ネットの反応

1
のっぽさん世代で沢山影響受けた方。子供の頃のっぽさんの作る工作が好きでよく手本見本にして作ってました。
喋らないキャラクターでもあって独特な子供の時間を提供してくれたと思います。
非常に残念ですが心からご冥福をお祈り申し上げます。
1-1
小学生の頃、なぜかのっぽさんは話せない人なんだと思ってたし、ごんたくんの声がのっぽさんの声なのだと勘違いしていたので、病気で休んで偶然にできるかなの最終回を観て急に話し出した時の衝撃は凄かった。。笑笑大人になって改めてトリビアの泉などで拝見して感じたのは、めちゃくちゃ背が高くて脚が長くてスタイルが良くてダンディーな方なのだと。
タップダンスをさらっとやってみせてくれたり話し方も品があって本当に素敵な方でした。

子供の頃から影響を受けた素敵な方々がお亡くなりになっていくのはとても寂しく悲しく感じます。

1-2
大変残念です。やはり子供の頃番組でよく見ていたおじさんですし色々と印象深く心に残っていますね。今頭の中であのテーマ曲が流れていますが、ゴン太くんとのコンビネーションは最高だったし楽しませていただきました。最終回にノッポさんが口を開いた時は衝撃的だったがそれまでの優しそうな雰囲気と同じ優しい語り口調だったのでなんだかホッとした記憶があります。
これまで番組を盛り上げていただき本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。
1-3
ノッポさんは俺たちのヒーローだった。
言葉が不自由なハンディキャップをはね返して、見ぶり手ぶりと鮮やかな工作で、NHK教育チャンネルの帝王に上りつめた、伝説の成功者だ。
真面目に努力していれば、いつかぼくもノッポさんみたいに、上手に工作出来るようになって、明るい人生が開けると、最終回まで大真面目に信じていた。衝撃の最終回。
それ以来、俺は斜に構えて、日の当たらない路地裏ばかり歩く生きかたをしてきた。でもこの年になると少しだけ分かってきた。
あれはパントマイムってやつだったんだな。

そんなわけで、俺の人生の師匠の一人はノッポさんだ。合掌。

1-4
えー、びっくりだなぁ。
悲しい。のっぽさん、ありがとうございました。
オレ、子供の頃から見て「工作って、楽しいなぁ。」と感じ、美術の教師になりました。
夢中になって、表現する行為は「感性」を豊かにしてくれます。授業では、普段、生活に問題がある子供が人が変わったように、本気になって手を動かしていたのを覚えています。「できた!どう?」誇らしげに作品を見せてくれる子供の笑顔が大好きでした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

1-5
図画工作が苦手だった子どもにとって、のっぽさんは魔法使いのようだった。ただの画用紙が、ダンボール箱が、トイレットペーパーの芯やゴミ袋まで、あっという間に魅力的なおもちゃに変身していった。大人になって番組が終了するときに久しぶりにのっぽさんを見て気が付いたこと。名前の通り長身でにこやかで素敵なおじさんだった。やっぱりいつまでも憧れの存在。

1-6
のっぽさん、本当に喋れない人だと思って子供心に気の毒に思って見ていた。
でも、工作が凄くて家にある物で頑張れば作れそうな物を作ってて、見ていてとても楽しかったし、真似して作った物もありました。
子供を持った時に、あの番組があればいいのに!って思ってました。あの音楽もワクワクしたし、ゴンタくんとナレーションも良かった。本当にいい番組でした。子供が工作好きな子だったので、見せてあげたかったな。
1-7
できるかな。の、どんぴしゃ世代なので
思い入れは強い番組です。
夏休み、冬休み、学校のテレビで見た時など
ほんと夢中になりました。
のっぽさんはしゃべらないけど
軽妙なナレーターの方とゴン太くん
いいトリオだったと思います。
のっぽさんは、とても指がキレイで長くて
この人は、工作の先生なんだと思ってましたが
のっぽさんと言うキャラクターを演じていたのだと知り
大人になって演出の奥深さがわかりました。
しゃべらないキャラクターを演じる苦労を
番組が終わって語っていらっしゃった
テレビ番組を見ましたが
子供の夢を壊さない、真のエンターティナーだと感じました。
テレビを見ている人の夢を壊さない。
最近の芸能人では、そんな方はあまりいないですよね。子供ながらに、年齢不詳で
何歳なんだろう?と思って見ていましたが
ミステリアスなのっぽさんを最後まで演じたくて
死の公表も遅らせたのでしょうね。。

1-8
今の時代と対極にあるような気がする。
今はいちいち演者の何の含蓄も無いコメントにテロップ入れて、大したこともない話を大きくして。もう話芸でもない。
語らずに見せて伝えることもたまには必要なんじゃないかと思うこともある。(ナレーションは入るし、ゴン太君は鳴くわけだが)
当人が語らない事を感じとってこそのコミュニケーションかなと思うこともあるね。そこは感じるとこだよって。
1-9
喋らないけど、表情と身振りで子どもに分かりやすく伝わる人でしたよね。
戦中戦後の苦しい時期を生きて来たのを感じさせない、子ども達が子どもでいる時間をくれた、優しい穏やかに微笑む人でした。どうか安らかに眠って欲しい。
1-10
「できるかな」子供の頃見てました。番組では色々な工作をして最終回でついに口を開いたのが凄く印象深かったです。正午のNHKニュースで「自分の死去については周囲に騒がれたくはない。黙っていてほしい」という本人の意向があったそうです。如何にものっぽさんらしい人生の最期ですね。のっぽさんありがとうございました。ゆっくり休んでください。
2
この番組をリアルで見ていた世代です。ビデオや配信などない時代ですから、放送が始まるとテレビにかじりついて見ていた記憶があります。
喋らないのっぽさんと何言ってるかわからないゴン太くんのコンビは最高で、ナレーションの方が進行に合わせて解説してくれる、このスタイルはハマりましたね。喋らないから伝わる魅力があったと思います。
2-1
個人的には
のっぽさんだけでなく、ゴンタ君
ナレーションで早逝された天才、つかせのりこさん
主題歌は、CMをはじめ女性コーラスの女王三姉妹の
(ザ)チャープス
よく考えれば豪華メンバーだな、と言うところが魅力
2-2
子供の頃見ていましたが、ムギュムギュいう音がおじさんの鳴き声(?)で、可愛い声でしゃべっているのがゴン太くんだと思って、なんだか怖くて工作に集中できなかった泣
2-3
>関係者によると、亡くなったことを半年以上ふせるよう高見さんが望んでおり武田信玄みたいですね。信玄は3年だったようですが。
期間限定で伏せる理由は、なぜなんでしょうか。

2-4
どうしても見たくて、学校をズル休みしたりしていた。 最終回を偶然見ることができ、
喋ったのっぽさんが衝撃的だった。
なつかしい。
2-5
言葉がないから、子どもたちが動きに注目するんですよね。教え方のうまい先生がよく褒めてらっしゃいました。
2-6
子供時代ずーっと見てたけど、のっぽさんが俳優だったって初めて知った。
なんだか知ってる人がどんどん亡くなって悲しいなぁ。
2-7
逆に喋らないから、想像力を掻き立てられたんですよね。いい歳になった今だから感じることです。ありがとう、ノッポさん!
2-8
子供の頃の夢をありがとうございました。
ゴン太くんの真似は難しかった
2-9
楽しかったですよね。
フゴフゴ
2-10
ノッポさん、たくさんの楽しい時間をありがとうございました。 (。-人-。)
3
「できるかな」のリアルタイム世代です。当時は教育テレビの番組でも一番好きな番組でした。つかせのりこさんの軽妙なナレーションとゴン太君のフゴフゴ声、そしてのっぽさんの身ぶり手ぶり、当時としてはかなり前衛的な番組だったのかなと思いますが、夏休みなどは再放送があってたので毎回楽しみに見てました。のっぽさんは当時は高見 映さんという芸名でしたが、できるかな終了後、しばらくして高見のっぽさんに芸名を変えられたのを見て、それだけのっぽさんがみんなの中に浸透していたのだなと思いました。私たちの子供時代の楽しい思い出をありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
4
子供の頃、よく見てました。
一言も話さないのに優しいおじさんで、なんでも出来て凄いなと思ってました。
たくさんの子供達に夢を与えてくれてありがとございました。
安らかにおやすみください。
心からご冥福をお祈りします。
4-1
こういう役を与えられて、やってみてと言っても普通は出来ないと思います。
のっぽさんの工作の才能と、パントマイムの演技があったから出来たと思います。本当にゴン太くんとの掛け合いが楽しくて、今でも「でっきるかな?でっきるかな?・・」のメロディーが頭の中を流れます。

のっぽさんは卒業されてからも、子どもさんのための活動をずっとされてましたよね。

ご冥福をお祈りいたします。
ありがとう、のっぽさん!

4-2
コメントとみなさんの返信を共感しながら読みました。とくに、
・多くの人にとってテレビで初めて出会う不思議キャラだったかもしれない。というご意見、当時まだ「不思議キャラ」という言葉はありませんでしたが、まさにそれだったんだと納得しました。
コメントに「一言も話さないのに優しいおじさん」とあり、実年齢はそうだったのかもしれませんが若々しくて私には「お兄さん」の印象がありました。
最後まで若々しく、また、後年のインタビューでは自分の人生哲学を貫く姿勢も尊敬できる方だと思っていました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。

4-3
特別工作が好きな訳でもないのに、のっぽさん大好きでした。工作の凄さなどは記憶にない辺り、やはりのっぽさんのお人柄、のっぽさんご自身が子供心に好きだったのだと改めて感じます。甥っ子が馬鹿みたいに工作大好き(セロテープの消費量が尋常じゃない^^;)だったので、のっぽさんを見せてあげたいとよく言っていました。きっと大好きだろうから。

88歳なら少し若いかもしれないが、大往生なのでは…。寂しいですが、心よりご冥福をお祈り致します。

4-4
子供の頃は本気で【のっぽさんはハサミが有れば何でも作れるんだ】と思ってました。造り始める時はいつも何が出来上がるか全然分からず、だけど気が付けばアラこの通り!みたいな。同じように出来ないかとチャレンジしては、大量のゴミを出し母に怒られました。世代を超えて、あらゆる子供たちのアイドル、ヒーローだったね。のっぽさん好きじゃない子供なんて、当時居なかったと思う。

4-5
ノッポさんの番組よく見てたのを覚えてます。
皆さんと同じで夢を与えてくださったことに感謝です!ドラえもん、サザエさん、しんちゃんなどのご長寿番組も子供の頃よく聞き知った声からどんどん変わっていきます。
大人になって、これまでこどものころに人知れずお世話になった大人たちにお別れするのは悲しいことです。

4-6
子供心にどうして喋らないのか不思議だった。
多くの人にとってテレビで初めて出会う不思議キャラだったかもしれない。
だからこそ忘れられない存在になっている気がする。
4-7
小堺一機さんの番組は、私も見てました。一緒に出ていた山瀬まみさんが
「私、うそを吐かない人なんです」
と話の流れ的に言った際、のっぽさんが
「うそ。それはうそ。」
と少し怖い顔で言ったのが印象的でした。
世の中にうそを吐かない人などいない、というニュアンスで。
神経質な話し方で、哲学者といった雰囲気。

4-8
のっぽさん。。
子供の頃学校風で休むと見れる唯一の楽しみでした。
一緒に工作するのが大好きだった。最終回に普通にお話しされて子供ながらに衝撃できた。
ありがとうございました!
ご冥福をお祈りします
4-9
ノッポさんとゴン太君コンピが大好きでした。
工作とか何でも出来てしまうノッポさん、凄すぎるなんて、子供心ながらに見ていましたね。
ご冥福をお祈りします…。
4-10
喋らないのに本当に優しそうで工作も上手で憧れてました。
ショックですが、どうか安らかに眠ってください。
謹んでご冥福をお祈りします。
5
自伝で読んだが、ダンスが好きで手先が不器用だったので、当初、工作番組をやることは不本意だったとのこと。しかし、不器用だったからこそ工作に真剣に取り組み、ダンスが得意だったからこそパントマイムでの表現を可能にし、それが功を奏して子供たちに大人気の長寿番組となったのだ。
「できるかな」に親しんだ世代は、ストローやティッシュの空箱など身近な(廃材)素材が、アイデアあふれる工作によって立派なおもちゃや作品に生まれ変わる驚きと、創作・工作の楽しさを教わったと思う。自分もノッポさんのおかげで工作好きになった一人だ。
かつて参加したノッポさんのトークイベントでは、還暦を越えてるにも関わらず、予定時刻を大幅にオーバーして喋り続けるパワフルさに圧倒され「喋らないノッポさん」とのギャップに驚いた。番組終了後にメディア露出は少なかったが、まぎれもなくノッポさんは伝説のタレントで唯一無二のキャラクターだと思う。


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