【追悼】ノッポさん、実は不器用で工作も不得意だったhttps://t.co/Gnd0ggQvee
高見のっぽさんは、24歳でショーの舞台を踏んだが、食えない日々が続いた。不遇の時期を支えたのは、「あなたはできる子です」と認め続けてくれた幼少期の父との記憶だったという。
— ライブドアニュース (@livedoornews) May 10, 2023
ネットの反応
ノッポさんは名前の通り、長身で手足が長く、無言劇でも動作はわかりやすくて印象的でした。逆にゴン太くんはずんぐりとして、できたものに驚くおもしろいキャラでした。
“できるかな”の前の番組から見ているので、トータルで長い間拝見していました。面白い番組をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
子どもは「小さな人」か。だからだろう。
「できるかな」には子供へ向けた変な媚びがなかった。
サイレント映画のようなのっぽさんのしゃれた動き、たたずまい、作ることへの優しいまなざし・・・。
子どもが欲しがるだろうもの、ではなく、子どもに与えたいもの、子どもがよりよく成長するために必要と思われるもの、がたくさん詰め込まれた番組だった。
今みたいに「子どもが好きというものを作って与えよう」って、今現在の子どもしか見てないような番組じゃなかった。
>ノッポさん子供の頃はなんか怖かった わかるひといる?
怖いとは思わなかったけど、違和感を覚えるというのには少し同意できます。
子どもは「みんなと違う」事にすごく敏感です。何なら差別意識もバリバリです。しゃべらない、表情の変化や動きが不自然ななほど大きい、背の高い大人が子どものような格好をしている等、のっぽさんの「異物感」を怖さと感じるのはあり得る話です。
ムツゴロウさんに続いて、子どもの頃のアイドルがまた。
感謝、合掌。芸名は高見映さんでのっぽさんは番組内のキャラクター名だとずっと思ってたけど、いつのまにか変わってたんだな。
良い記事だなぁ。かつての「できる子」は、30代後半となり、「できるかな」で大きく花を咲かせた。
かつて「小さかった人たち」の心の中で、今でものっぽさんは生きている。
泣いた。
できるかな好きだったけど、学校休んだ日しか見れなかった気がする。よく覚えてないな。
頭の悪い子だったから病気でも元気だから暇でずっとテレビ見てたけど面白いのは出来るかなだけだったな。
今までで一番面白い番組でした俺の中のBEST OF 教育番組
ノッポさん子供の頃はなんか怖かった
わかるひといる?
お亡くなりになってから言わなくてもいいこと取り上げなくてもと思いますが・・・
>>nicさん
ピエロ恐怖症(coulrophobia)的なものですかね?
子ども向きの工作番組は他にもあったけど、お手本のように上手に作る事が必ずしも目的じゃない番組は、「できるかな」ぐらいだったと思います。
考えること、工夫すること、とにかくやってみる事が楽しいんだ。まさに学校では教えてくれないことを、一緒に学ばせてくれたのっぽさんには感謝しかありません。
風邪をひいたりして学校を休んだ日、今日は「できるかな」が観られると、ひそかにワクワクしたのも良い思い出。
>私の息子にも見せたい番組である
同意です。
自分がのっぽさんや番組から教えられた、「上手くやることが全てじゃない」「人の一生懸命を笑ってはならない」も伝えられたらと思います。
風邪で休んだ日は私もNHKを見ていたのでお気持ちわかります。こちらはつくってあそぼでしたが。
私の息子にも見せたい番組である
完璧なものよりも多少ずれていたり、少しくらい理想とは違っても、普通で良いんだよ、という感じの工作の方が子供たちにも良かったのかなと思っています。
子供の頃は、ビデオも何もなかったので、その場で観るしかなかったのですが、相応の年代からはビデオ録画も可能でいつでも見られるようになてって思い返してみてみると確かに少しラフな工作もありましたけど、それでも普通にどこでもある神とテープとハサミで楽しい工作は今見ても素敵です。
愉しい番組をありがとうございました。
どこでもある神…?八百万の神!
ではなく紙ですね。失礼しました。
不器用であることはご本人も話されていたことだが、正直子供の時分にはそうであるとは分からなかったな。ずいぶんきっちりと器用にテープ張ったり折り曲げたりしているのを見て、丁寧にやってるなあと思っていた。今思うと子どもたちにきっちり向き合おうとする真面目な人柄の現れなのかもしれない。
造形担当者の江田常さんという方が「後は切るだけ」「ここにテープを貼るだけ」の状態にしてのっぽさんが全て作っているように見せていた
というお話でしたね。
できるかなでのっぽさんに求められていたのは工作の内容ではなく、工作した物とダンスを絡めたパフォーマンスだったそうです。
当時観てましたがあきらかに不器用でしたよ。補助線書いてあるのに全然合ってなくて、兄弟共に器用だったので「えーー」ってつっこんでました。逆にそれでがよくて楽しかった。
子供の頃、のっぽさんは工作の達人なのだと思っていた。裏で支えているスタッフがいたんだな。
漢字間違えてました。
江田常さんではなく、枝常さんですね。
自分も工作や絵を描くが苦手で、図工の時間は周りから馬鹿にされるのを恐れて苦痛でしかなかったです。
でもできるかなを見て、ノッポさんが楽しそうに工作をしている姿を見て、挑戦しようとする気持ちになりました。
最初は上手くいなかったですが、試行錯誤をしていき作品が完成したときは嬉しかったです。
今は、親となり子供にプラモデルやおもちゃの作り方を教えて楽しんでいます。挑戦する楽しみを教えてくれたノッポさんには感謝でしかないです。