ネットの反応

1
太田さんはちょっと枝葉の話しに
こだわり過ぎている気がします。問題の本質は、
障害者に犯罪のようなことをした人が。
パラリンピックの音楽を担当して地位や名誉やお金を手にいれることを世界や日本はあまんじて受け入れることが
出来るのか?

ということが問題のような気がします。

1 – 1
そういう事を武勇伝として語って、それを掲載して発行してしまう時代だったと言いたいんでしょうけどね。そういう時代だったからこそ現在、小山田氏の本質が垣間見えて良かったのでは?
過去に障害者を苛めたくせに、かつ反省もしておらず、今になってパラリンピックの音楽を担当するなんて事「(世間が)知らないから良い」って問題でも無いし。

てか、依頼した方もそうだけど、受けた方も凄いよね。
ネットで検索すると、2006年からこのいじめ問題を取り上げてるブログが出てくる訳で、それを「隠し通せる」もしくは「忘れていた」「何とも思っていない」とだったからこそ受けたんだろうし。

色々ビックリするよ。

1 – 2
昔から小山田圭吾というミュージシャンは知ってたけど、この苛めの件は今回はじめて知った。
彼のファンは昔から知ってた事なんだろうけど、この事実を知った上で、まだファンでいられる人ってのはどういう人なんだろう。
申し訳ないが俺はもう彼の音楽は一切聞きたくない。
1 – 3
批判は当時しとけよってことだと思うよ
結局彼が大舞台に出てくるまで大きな問題にはなってこなかったわけだから
ただ当時はネットが無かった時代なので大多数の目につくのは難しいけど
1 – 4
「そういう時代」があったからこそ、小山田の性根が証拠として残された。
これはこれで、結果オーライなのでは?もし、当時の記者が、インタビューを美しく脚色していたら、小山田は大手を振ってオリンピックに参加していたし、大金を得ていた。

陰で、被害を受けた方々がいて、どんなに泣いていたとしてもね。

因果応報。
やっと、あるべき処罰が下ったのだと思う。

1 – 5
誰にでも間違いがあり、真っ白な人間なんて存在しない。それらを踏まえて今回の問題点は「なぜ選ばれたのか?」という経緯と選考基準でしょ。

橋本も「全責任は自分…」と自己陶酔してるけど、そうじゃなくて…ワザワザ障害者イジメに関与した経緯があり、その後の被害者への謝罪や贖罪を経てない人間を、パラリンピックの担当に選んだ経緯と選考基準を問題にしてるんだよ。

単に「知らなかった」というのなら…稚拙だけど最悪それでもいいんだよ。
現在や次の選考での今後の国策イベントの選考マニュアルに追加して、同じ間違いが起きないようにすれば良いのだから。

でも、必要以上に身内をかばって選考基準や選定担当者に責任や査定が及ばないようにすると、今回のミスは全く生かされない。

日本のオリンピックはもう無いだろうけど、各種の世界大会や国策イベントは今後もある。
そもそも税金での国家事業という意識が完全に抜け落ちている。

1 – 6
歴史上の英雄が今の価値観だとただの侵略者や奴隷商人だったりするわけだけから一理あるけど、なぜかこういう人たちって本質である五輪にふさわしい人選かどうかには触れないんだよな
だから正論でもあるし論点のすり替えにも見えるんだよ
1 – 7
太田さんは要するに「俗悪なインタビューを掲載した側にも責はあるよね」っことを言いたいんでしょ。ぶっちゃけ、それはそれでごもっともな話じゃないの

いじめの問題とは別に、そういう事象を軽はずみに扱った連中も無視はできないでしょ。あの内容をボツにしない出版側もどうかしてるで実際

1 – 8
ロッキンオンの販売部数どれだけあるか知らんが、毎号愛読してて周囲の友人も読んでいるみたいなのは、小山田圭吾や田辺晋太郎やゴンドウトモヒコのような連中には常識なのか知らないが、一度も読んだことも買ったこともない人間の方がずっとずっと世の中には多い。

また当時その記事を読んでショックを受けた人間は多いというし。それでも一度の記事で廃刊などなかなかならない。だから雑誌に載って雑誌が続いたら、載った意見や行為が社会に許容されてるってのは飛躍もいいところ。

1 – 9
ネット時代ではなかったので、音楽誌は人気があるアーティストはどんどん取り上げました
QJ、ロッキン、これらの記事で、フリッパーズファンが減ったのは間違いありません
フリッパーズの犯罪行為を大人になってから自慢している常識の欠落

どんどん青い10代半ばから成人して受け付けなくなっていく人が増え、サーっとファンが減っていったので短期間でニーズがなくなったのです

ちなみにカズレーザーは「過去のマイナスを埋め合わせてこなかったのは自業自得」と言ったそうで、太田の主張よりもそちらが正論だと思います

パラの精神を汚す所業を猛省し、被害者本人家族に関わらせて頂けないので、長らく障がい者支援団体に寄付を人知れず続けてきたなどがあれば100%公表しただろうし、埋め合わせしようと努力した主張もできたけど、小山田は知らぬ存ぜぬTwitter謝罪で世間は納得する…と52歳まで世間を舐めたまま生きてきたのです

1 – 10
〉太田さんは要するに「俗悪なインタビューを掲載した側にも責はあるよね」っことを言いたいんでしょ。そうなんだよね。
どこが間違ってるんだか。
フジテレビも、ダウンタウンなうで、坂上忍のロッカーの件を、何の躊躇もなく放送してるし。

その話しを聞いていた、出演者や視聴者、どれだけ違和感があった人が居たかって事も、問題なんじゃ無いかな。
つまり、問題視されたら批判するくせに、問題視されなければ容認という社会こそ、改善するべきなんじゃ、という事だよね。

2
許容される時代だったのではないと思います。
大多数の人が知ることのない時代だったのでと思います。

大手音楽雑誌と言っても、読むのは所詮一部の人ですし、そこで知りえても、今より情報発信する場は圧倒的に少なかったので、目に触れる機会が少なかったのだと思います。

今の時代は、ネットで簡単に誰でも過去の情報も含め知ることができる環境が整ったのです。
昔は、知ることができる人が限られていたのが、今では知ることができる人がとても多くなっているのです。

その感覚についていけない人たちがイベントを取り仕切っているからおかしなことになるのではないかと思います。

2 – 1
その通りですね。
ロッキンオンですら、読んでいたのはごく限られた一部だったし。
許容されていたのではなく、目に触れる機会がなかっただけですね。
2 – 2
許容はされてないですよね。
異常ないじめの中身は女子高生コンクリート殺人の犯人と同じようなものを感じる。
他社への共感や想像が著しく欠如していて、あの時代でも今のような情報伝達世界だったら厳しい批判は受けてたと思います。
2 – 3
許容できる「時代」というより、許容してきた「業界」なのではないでしょうか。現にあの記事が出て以降、現在に至るまで、彼はNHKやCM、大御所との共演、海外ツアーなど、堂々と活動しています。

私など今回の件で初めて名前を知りましたが、業界ではゲス行為もそれなりに知られていたんでしょう?
(さすがに海外までは広まってなかったでしょうが)

彼にしてみれば「今まで不問だったのに、なんで?」という気持ちかも。

そういう意味では、彼を野放しどころか、それなりに厚遇してきた「業界」も、一般社会とは異質だと思いますし、太田さんのおっしゃりたいことも、少し分かる気がします。

2 – 4
私は当時、学生時代で今夜はブギーバッグでオザケンが流行り、オザケンを知る内にフリッパーズギターを知って聴いていたし
その後のちびまる子ちゃんのOPハミングがきこえるがコーネリアス(小山田氏)プロデュースと小山田氏の作品を見聞きしてましたが
今日に至るまで件のいじめを知りませんでした確かに優等生はダサいとかヤンチャがカッコイイとか尾崎豊が流行ったのもこの時代なので
太田さんが言ってることも間違ってはいないのですが、小山田氏の記事は限度を超えていると思います

2 – 5
音楽業界が小山田のイジメ問題を許容していた部分はあったと思う。当時、世間的には知らなかった人は多いけど音楽業界の人は知っていたと思う。イジメ記事が出た以降も様々な音楽の仕事受けているし世界的な有名なフェスにも出ている。

音楽業界は過去にそういう事があった事を知っていて仕事はオファーしていたと思う。環境的には甘やかされていたと思う。ああ言う事をしていても仕事はあったんだから。

2 – 6
>昔は、知ることができる人が限られていたのが、今では知ることができる人がとても多くなっているのです。本当にそうですよね。
こういう問題にかかわらず、何かを知ろうとすれば本を買ったり経験者に話を聞かないと情報を集める事が出来なかった時代。

今は知りたいことをググるだけ。
学校に行ったり何処かへ行かなくても、物によっては親切に動画まで上げて教えてくれる。

こういう事を知らない世代は、経験を積み上げる為に少ない情報で創意工夫や努力していたなんて、想像もできないでしょうね。

便利でお手軽な時代になりました。

2 – 7
自分は当時思春期のロック好きで、ロッキンオンとか時々買ってましたが、とくに小山田に興味がなかったので全く気づきませんでした。他のアーティストのインタビューは読んでたけど

そして、小山田事件のことは数年後にネットでしり、不快感と怒りを覚えました(その頃にはコーネリアスの音楽も聴くようになってただけに残念だった)自分ですらそんな感じなので、SNSもiモードも存在しなかった当時の世間的には小山田事件はまったく認知されてなかったです
そんなわけで、当時も今も倫理観についてはそんなに変わりません。
少なくとも聖徳太子の時代から今日まで、戦争でもなく、人がただ人をいたぶって喜ぶような文化が良しとされた時代はありません…

ちなみに、小山田のいじめ(犯罪)自体は高校時代までの80年代に行われており、90年代サブカル界の「悪趣味ブーム」とも関係ありません
今も昔も存在する、卑劣ないじめ(犯罪)です

2 – 8
許容というか、それが出ても炎上しない時代だったから、そういった情報発信が散見された時代。
発信しても咎められづらい時代だった。理由はネット社会じゃなかったから
情報も買った人にしか届かなかった。
だからある程度好き勝手言えたよね。

許容という表現はおいといて
そういう時代であったのは確か。

2 – 9
だからその「一部のサブカル層」には許容されている面もあったってことでしょ。一般的な倫理には程遠いのは丁寧に説明しているじゃない。あのサカキバラの自伝が出た時ですら「一部」読みたいという層は居た。これは残念だが悲しい事実なのよ。完全自殺マニュアルとかさ。

一般の倫理観と乖離した層が居たという事実を見ないふりして語ると本質を見誤るぞってことじゃない?衆目に晒されなかったのも時代の一部でしょ?

小山田個人の問題でもなく、それを許容した一部(掲載した雑誌や読者、音楽仲間)も含めて語らないとむしろそれを許す(見えてない)ことにならないかね。

2 – 10
向こうから一方的に送り付けられるだけでこちらからは反論しようがなかったからそう言う時代だったとは言えないと言う意見も分かりますが、そのような内容の雑誌が支持されてたのは事実ですからね。

このインタビューが載る少し前までは小学生の裸の無修正の写真集が飛ぶように売れて幼児性愛がステータスだった時代もあるわけで今とは価値観も倫理観も違いますからね。

そう言う時代だったから彼の告白がどこまで信憑性のあるものか疑問という太田さんの意見も良く分かります。

ここまで大ごとになったんだからロッキングオン、クイックジャパン両誌は当時のことをしっかり検証しないといけないと思います。

誌面に謝罪文を載せるだけで済ませないで欲しい。クイックジャパンはまだしもロッキングオンがそれで済ませたらこれまでの姿勢はすべて紛い物だったってことです。

3
時代が、変わっても彼の行為は許されないし、性格も変わってない追加情報で出された、病院での大音量での演奏して、末期患者への配慮の無さは、許されない!

時代とかの問題じゃない
人として、人間として許してはいけない

3 – 1
当時は一般人から情報を発信するツールがなかった。

だから具体的に編集者へクレームを入れた人間だけが批判していると思っていた。
販売部数から考えると極々一部であろう。

ただあの自慢はおかしいって思い続けてた人は沢山いてネットで直ぐに情報収集も発信も出来る今なら彼の名前が話題に上った時点で直ぐに火がつく。
社会や環境が許容したわけじゃなく、世間の言葉がメディアに届く環境がなかっただけなんだよな。

3 – 2
まさにその通り。
学習能力がない以前の問題かもしれません。
相模原のやまゆり園事件の犯人に近い感覚を持っている人なのかなぁと思います。
3 – 3
>時代とかの問題じゃない
人として、人間として許してはいけないその当時、まだインターネットがここまで普及しているわけではなかったので、その雑誌を買った人しか目にすることはなかった。それを見た人のどの程度が声を上げたのかはわからないが、現代のようにその声は大きくはなかったでしょう。

それゆえ、本人も編集者もそれほどのこととは感じずに、今まで特段何の対処もせず過ごしてきた結果がこれだとは思います。

あれだけのことをしたのに、騒がれたからと謝罪文のみで、何の罪にも問われない、何の罰も受けない、それが「人として、人間として許してはいけない」という感情につながるのでしょうが、かなり強い言葉ですね。ちょっと怖いです。

3 – 4
「当時のマスコミや業界人の価値観は今以上におかしかったから、当時の業界人の中では許容された」なら間違いでない。「当時の世の中の人は小山田のいじめ(犯罪)を許容した」なら大間違い。

当時生まれてたし、ロッキンオンも読んでたけど、不快感と怒りを覚えたよ。

3 – 5
芸能人にはヤンチャな人が多いから、ここまでひどくないが、多かれ少なかれ、差別的なイジメに関与している人も多いと思う。自ら告白して、謝罪や改心した事を表明しないと危ないですね。
3 – 6
記事読んだ?
太田は小山田を擁護なんてまったくしてないよ。あの当時、あんな文章を載せることが可能だったし、あんな発言をすることが可能だった。雑誌としては発行部数伸ばすために彼の誰も知らない一面を書きたいし、小山田はこの発言が拡散するなんて思ってなかっただろうし。

発行部数も少ないし、SNSなんてないしな。今なら絶対にあんな発言しないだろし、雑誌も載せられないだろう。

3 – 7
そうですね。よく太田はコロナ禍の一連の報道について「言葉遊びみたいなのやめろよ」とか言ってるけどこの弁明がまさにソレ。結局時代と環境がそうだったって言いたいんでしょ?

違うよ!個人の人間性や倫理観の問題!劣悪な環境で育っても立派な人は立派!太田はこれを機に社会的発言を控えた方が良い。もう無理でしょ。

3 – 8
>はっきり言って許す許さないは、当事者の話ではあって第三者が許す許さないとか?
>また正義の仮面を被って!本当に今の日本は狂ってるわその論理だと警察も司法もいらない、弱肉強食の無法地帯になるんだけどわかってる?

3 – 9
病院での行為の記事、読みました。
気分が悪くなって吐き気がして、当分胸がムカムカして、読むんじゃなかったと思いました。
3 – 10
>今「許せん」とか言ってるやつには、もっと前から言っとけよ、って思うけどね。ばかなの?
今回の事件で当時のインタビュー記事を知った人もいるだろが。
世界の人なんかは特にそうだろ。

小山田は許せない。
何度でもいう。小山田とかいうしょーもない逃げるだけの輩は許せない。

4
コンプラが現在と違うのはあったし、校閲、校正に問題があったのは確かなんだけど、それを含めてもなお、あの拷問は異常。
4 – 1
その雑誌知らなかったし。小山田の記事も初めて知ったし。そういう人のが大半ですよね。
過去の、過去だからうんぬんの問題ではないと。今の時代の今のオリンピックにどうなんだ?とゆう話しですよね。

あの時代に同世代でいた自分からしても、えげつない事してた人達いて、今はそれなりの地位にいる人もいるけど、やっぱりあーゆう事ができる人ってゆうのが頭に残ってる。

たまたま事件にならなかっただけの内容の犯罪。
時代で大切な価値観は変わらないと思う

4 – 2
同意です。「当時のマスコミや業界人の価値観は今以上におかしかったから、当時の業界人の中では許容された」なら間違いでない。

「当時の世の中の人は小山田のいじめ(犯罪)を許容した」なら大間違い。

当時生まれてたし、ロッキンオンも読んでたけど、不快感と怒りを覚えたよ。

当時も今も小山田記事やサカキバラ日記を読んで支持する人間もいるだろうけど、それは一部。

4 – 3
次の議論として‥
さらに、イジメがあった当時、先生、保護者達、生徒達が、誰も止められなかったのも異常。
なぜ、長年それが通用してしまったのか、どうしたらそうなるの??
4 – 4
今ほど情報が拡散せず一部の人間しか知らない事だったのかもしれない
でも結局今まで大事にもならずスルーされて来たって事実も受け止めなきゃだめだよ>当時生まれてたし、ロッキンオンも読んでたけど、不快感と怒りを覚えたよ。

でもクレームは入れなかったんでしょ?
それは消極的容認と言えるんでない?

今ネットやSNSで小山田を叩いて私刑にしている連中は、何十年後かの未来で悪人と言えネットで私刑にする事が絶対悪な価値観になった時、当時もネットで叩くのが悪い事だ、怒りを感じましたと言うんだろうと俺は思う

4 – 5
日本人って○○が悪いって責任を一極集中させたがるけど、それ以外にもちゃんと原因を考えた方が良くない?小山田が悪い。小山田を選んだ奴も悪い。
雑誌も悪い。それを許容した読者も悪い。
当時、その記事を問題視できなかったメディアも悪い。

太田さんが言いたいのは当時生きていた人間にも責任の一端があるのではないかってことを考えなきゃいけないってことでは?

4 – 6
太田さんは芸人ながら世間の方に自分は他の芸人やタレントとは違い頭がよくて感性抜群、どんな事柄も斜めから見て人とは違う意見を吐いて流石太田さんなどといわれたいのでしょうが完全に的外れ。時代と言いますがその時代既に学校では幾つもの校内問題で大変な時代で、小学生の虐めや不良中学生、高校生にもなれば暴走族や事件を起すなど今と変わらず問題を起す生徒は幾らも居ました。

虐めが当時は許されたかと言えばそんなことはありません。

小山田さんが異常なだけで彼がやった行為など、明治でも大正でも江戸時代でも他人からお前はクソだといわれたと思いますし、そんな行為を許す環境などありません。
本当に胸糞悪い人物に、擁護とも取れる言葉を書ける芸能人やお仲間は本当に理解できません。

4 – 7
太田さん、「まだまだ子供ですよ」「子供のしたこと~」とも番組内でおっしゃってましたが、そのあたりはどうなんでしょうか。子供のしたことだから赦す?という考え方?不愉快極まりなかったです。
4 – 8
誰も太田の言葉を間違えて受け止めて無いとおもうよ。
5
当時も「いじめ」自殺問題は大問題になっていた。「それを許した環境があった」というのが、そもそもウソなんだよ。雑誌が継続しているからと言って「あった事の証明」にはならない。当時はネット黎明期だったが、批判はあったと記憶している。だからこそ小山田によるリンチ問題は繰り返し繰り返しネットでコピぺされていた。

そもそも環境のせいにするのは、本人の責任を曖昧にするための「問題逸らし」でしかない。環境のことなど関係なく、本人の罪を問題にすべきである。


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