【反発の声】小学館、漫画家・芦原妃名子さん急死の経緯など社外発信の予定なしhttps://t.co/XfZwJWNiZU
小学館が社員向けの説明会を実施。詳細を公表しない理由は「故人の遺志にそぐわない」ためという。だが、社員からは「腑に落ちない。時間がたつのを待ってるだけでは」と厳しい声が上がった。 pic.twitter.com/5PB2OVj1vE
— ライブドアニュース (@livedoornews) February 6, 2024
ネットの反応
興味本位の社会一般云々への説明はさておき、小学館は作家を守るという姿勢を出さないと経営の根幹が揺らぎますよ。
これから出てくる新しい作家が小学館で描きたいと思うかどうか、それを大事にしてほしい。
漫画コンテンツがファンビジネスである以上、一定の説明責任・管理責任は出版社として問われて当然。
その責任を「自分のキャリアに汚点を残さないために」経営陣や幹部が放棄し、「故人の意思」として先生の問題に擦りかえるなど、本当にこの方々に人の心はあるのでしょうか?
小学館の経営体質が垣間見えたと同時に、「この出版社にしてこの悲劇あり」と言わざるを得ない結末かなと思います。
作家の方が、亡くなったのに関わった報道機関でもある日本テレビの当初の責任回避するようなコメントにも呆れたが、小学館側の隠蔽するとも取れるコメントにも驚く。『今後も作家に寄り添うことを誓い、その姿勢を改めて作家に伝えていくという。』
こんなコメント出しておいて、何の説得力もない小学館の対応。
今、脚本家個人の方が批判されているが、日本テレビと小学館が、協力して経緯調査し発表しない代わりに、世間が騒ぎ収まるまで脚本家の方を生贄として差し出したのではないだろうか。
原作者に企画が進んているからと、契約書にサインを迫った行為は、パワハラでありコンプライアンス違反だと思う。
小学館の体質は、ダイハツの不正と同じで、前任者がこの様なやり方をしていたから、それを踏襲していたって事でしょう。
企業体質を変えるには、前任者からの教育ではなく、会社としてコンプライアンスを守ったやり方を規則にする必要があると思う。
既存の人は売れている人なら別に動く必要は無いと考えるでしょう。実際に動くとは思えない。ただし問題はこれからの世代。
紙の本が市場か消えていく時代、漫画は電子化によるネット配信の時代になっています。今までは三大誌のポジションで自然と質の良い作家が集まったのでしょうが、今後は作家集めの競争も熾烈になる。特に今の若い世代はこういう理不尽な扱いを徹底的に忌み嫌うので外国資本であろうと良いと思えばアッサリと選ぶようになるでしょう。
出版社はもう少し危機感を持ったほうが良いと老婆心ながら思う次第です。
こういう時に、しっかりと調査し説明して謝るべきところがあれば謝るという態度を選択するのか、ごまかして逃げきることを選択するのかで、その人や企業の本質が見えると思います。日本人はすぐ忘れてしまうんでしょうか、政治家も不祥事を起した企業も一時をやりすごせばどうにでもなると思っているふしがある。
事を明らかにせずうやむやにするという選択は最悪の選択である、という社会認識に変えていかないといけないと思います。
そうしないと社会全体の闇はいつまでも闇のまま、悪いことをしながらずうずうしいものがのさばり、そしていつも犠牲になるのは弱者です。
既存の作家、既存の作品…
可能なら…
作家の皆さんで一度小学館から引き揚げたらいかがでしょうか?
いつまでも上から見下ろされて
安いお金で作品を好き放題されるの今の状況を
変えていくことが大事ですよ。
コメ主さんが仰る通り
今回の件は
日テレだけではなく
小学館も同様に
原作者さんをないがしろにし
孤立させた罪は大きいですよ。
特に、窓口である小学館は味方であるはずです。
それに裏切られたショックは大きいと思いますよ。
テレビ局との関係性を慮って
結局、テレビ局に忖度し
言いなりになっていたんでしょ?
結局、出版社は作家の待遇改善になにもしていない。
それは自分達にとっても
テレビ局との待遇が改善されたら
次は自分達にその矛先が向いてくる=都合が悪いからだ。
ちがう?
結局、出版社も同じくらい作家を飼い殺しにしてるんちがうか?
小学館が芦名氏を守り切れなかったのは事実。
このことに関しては何らかの意思表示があって当然だと思う。
これでは小学館が日本テレビと結託していたと思われるし事実そうだったのだろう。
未来の漫画家どころか現在小学館で書いている漫画家の心も離れていくだろう。
どうして逸れが起きたのか、検証して今後の学びにするのが一番正しい事後対応だと思うけど。
原作者や作家さんによっても感じ方は違うと思うし、一面的にただ何もかもダメだとはならないと思うし。
でも今回は、作家さんの思いを超えてTV側の作りたいエンタメ感覚優先で進んだのだと思うし、最後に原作者が入った事で流れが変わったので受け手が困惑したのもある。
TVはTVとしての番組作りが原作者のオリジナリティに上回るから原作者の意志は押し切ればいいと思っていたと思うし、調整側として事前の契約内容を文言まで含めてどうすればトラブルを防ぎ原作を守れ、TV制作側の暴走を制御できたか。
業界的にTV側の面子やスケジュールにも配慮して落としどころを作った部分はないか。
色々業界の今後にも関わると思うので、検証し見解を発表した方がいいと思います。
小学館がダメと言ってるのでなく、業界の責任として。
社外への説明責任はあるでしょう。
興味本位の野次馬だけだなく、芦原先生の作品を買って支えてきたファンも数多くいるのです。ファンも相当に心を痛めています。連載中であった作品の続きを読む楽しみも奪われました。
小学館はファンから経済的利益を得ていたのだから、さておきでは済まないと思います。今回の件の調査も検証も説明も謝罪もなしに、作家を守る姿勢など示せるのでしょうか。 現に「原作に忠実に」という約束が守られず、いざというときには作家が矢面に立たされているのだから、口先で守るなどと言っても信用できないでしょう。
>興味本位の社会一般云々への説明はさておき、小学館は作家を守るという姿勢を出さないと経営の根幹が揺らぎますよ。これがすべてだと思うな。芦原さんのためすべてを詳らかにせよ、なんてコメントもあるけど、ただの野次馬根性に過ぎないと思うわ。もしかしたら遺書などで本人の遺志が示されていたのかもしれないのだし。
一方で企業として再発防止をはかることも必要だし、そういったことは発信するべきと思う。
この問題は原作者が亡くなった事じゃなくて、
いままで散々原作クラッシャーと言われる行為が頻発していて
それにより連載を辞める事になったり、出版社を辞めた作家がいるのに
その問題を長年放置して繰り返してきた事だと思う。出版社もテレビ局側もいつの間にか原作者の思いは二の次というのが
当たり前になっていたんじゃないのか?
その放置の結果が今回の事件を招いたのであって、
出版社としての経緯説明と対応と改善を公に発信するべきだと思う。
「この問題は原作者が亡くなった事じゃなくて」以外は同意ですが、原作者が亡くなるところまで行ったことが大問題なことには変わりないでしょう。よく「この問題は何々でなくて何々の問題」と問題を一つに絞ろうとする意見を目にしますが、そんな簡単な問題ではないように思います。
今回は色々な問題が絡み合っています。
小学館の問題も日テレの問題も両者の問題もあります。
属人的な問題も組織的な問題もあります。
一つの問題に集約してしまうと他の数多の問題を見落とします。
田舎暮らしをしたいと、テレビに出ている高飛車な建築家が不動産屋の仲介で、江戸時代から300年続いている古民家を借りた。
「この家は先祖が代々守って来たので手を加えないように」と相手に伝えてくれるよう不動産屋にお願いしておいた。しかし不動産屋は「どうせもう見にもこれ無いだろうし、あの建築家が手を入れたとなると価値が付くんじゃないか」と考え、「好きに手を入れてもらっていいですよ」と、とびっきりの忖度をしてしまった。
案の定、建築家はあちこち手を加えてしまった。ある日、家主の知人が病院に見舞いに来た折に「あんた知ってるか?」と、リフォームのことを家主に伝えた。家主はすぐさま不動産屋に電話をしたがつながらなかった。そこで直接先方に電話すると「そんな話聞いていませんよ」とそっけない返事。家主はショックから体調が急変し、二日後亡くなった…みたいな話ですよね。関係者の中に嘘ついてる人…いますよね。
>いままで散々原作クラッシャーと言われる行為が頻発していて
>その問題を長年放置して繰り返してきた事だと思う。日テレからの発表によれば、
脚本を監修できていたのだから、
できる配慮はしていたのだと思う。
日テレと内容がダブることになったとしても、
今回はこういう契約でこういう体制でしたくらいは言うべきと思う。
作家の私情には踏み込めないとしても、
出版社側の立場として、
どの程度掴んでいたのかは説明すべきじゃないかな?
今回の件だけじゃなくて、結局出版社側も作家さんを守る側に立つ事なく例え改竄されようが作品をテレビ局に売る事で、儲ける事を優先していると取られても仕方が無いと思う。
>>bla
公には必要だと思いますよ。
密室での傲慢な運営がこの事態を招いたわけですし
何回も同様の事を繰り返して自浄する事ができなかった
業界と体制なわけですから。
出版社、テレビ局双方に必要でしょうね。
もっというと小学館、日テレに限らずこの問題を受けて
他社も自社のコンテンツに対する向き合い方の
声明を出してもいいくらいですね。マスメディアはマスに向けられて作られているから
マスが監視するのが適切だと思いますよ。
こういう結末にいたるまで問題に思えなかった責任ですね。
芦原さんの決断がきっかけではじめて問題提議になったわけです。
例えば今回の件、小学館が間に入り芦原先生には原作に忠実にで約束取ってます。でもテレビ局と共謀し、許可とったんでお好きにとプロデューサーに伝えてたら?原作に忠実にで約束してるので、芦原先生は、加筆修正する、プロデューサーもめんどくさいけど原作者を無視できないので、ある程度受け入れる。で脚本家が暴走して降ろされたのを不満でツィート、芦原先生の中の真実をツィート小学館が慌てて、原作者に注意、それで攻撃するつもりはなかったのコメントに、小学館に裏切られ嫌になりあの結果に
日本テレビ、小学館で共謀してたのをバレるのを恐れ、ドラマ関係者に箝口令、プロデューサーも脚本家も今後の仕事貰えないと困るので沈黙
という最悪のケースかもしれないとも思いだしました
なるほどつまり口約束みたいなことしかしてなかったのですか?
大きなお金が動く知財に関わることは必ず契約としてまとめるのは「やって当たり前」ですね。
作家側はちゃんと契約して事前にどこまでならOKなのか取り決めしてなかったの?
公に???
それこそ野次馬根性だろ…
芦原さんが浮かばれないな
原作者が亡くなったのは脚本家のSNSのせいだと思う。脚本家のSNSが無ければ原作のブログの説明やXでのお詫びはしてなかったと思うし、思い詰めることも無かったと思う。
自サッした人がお詫びしたまま、他に誰も謝罪しないとか日本のメディア業界と関連者終わっている。原作クラッシャー問題は、当然根本にあり、実写のクソ作品が量産を繰り返されたことは実績ある。けど死人出てないと思うんだよね。
芦原先生の作品が好きで今回の事はすごく残念です。
どこかの記事で日テレがコメントを出して小学館がコメントを出さないのはどうかと思う、という感じの記事を見ましたが小学館は作家さんを守る気があるのかな。申し訳ないけどなんなら一緒に追い詰めたんじゃないかとも邪推してしまう。
発端は脚本家のコメントだったかもしれないけど、脚本家も逃げてる今、企業(日テレ)対個人(芦原先生)のトラブルを小学館は作家さんを守ることもせずただ傍観してるだけになってしまうんでは?
自社の正当性をコメントしてしまうと、日本テレビのお悔やみ言い訳コメントと同じになってしまう。
何も言わないのも会社を守るひとつの手だけど、少なくとも社内で調査検証してそれを各担当から作家へフィードバックしないと、今後も繰り返される。
会社は、作家さんから検証結果が漏れるかもと心配したかもしれないけど…
いずれにせよ何もしない会社に、作家さんの不信感は深まったと思う。
改めて小学館は日テレ側(暗に改変を認めた)だったのが図らずも分かりましたね。多分担当編集者は芦原先生を守りますたかったんだろうけど、会社としては今までとこれからの利益優先で、原作者と作品を売ったんでしょう。裏では原作改変にGOサイン出してたんだろうね。
つまりこれからも同じスタンスで、同じ問題を繰り返すってことだ。
芦原さんがblogやsnsを消された理由は定かではないが、ひょっとすると小学館の編集担当ではなくより上の方から圧力が掛かったのではないか?
そして、その圧力に1社員に過ぎない編集担当も抗しきれず、結果この悲劇につながった。そう考えると、この説明会の内容もよくよく理解できる。だって、調査すれば圧力かけた人間が炙り出されるのだから。自分に(これ以上?)火の粉が被らないように逃げたんですよ、きっと。
そうでないなら、しっかりと調査をして、その内容を公表して、小学館側の落ち度がどこだったのかを明確にした上で具体的な再発防止策を示せるはず。そこを「ご本人の遺志」で逃げるのは卑怯でしょう。
相沢に関しては原作者の作品を使い金儲けさせて貰ったのに感謝の言葉もなく、あったのは、原作者だけタグ付けしない、仲間集めて袋叩き、出演者と写真を添えて全員味方アピール、こんな事は初めてと作者をクレーマー扱い、挙げ句の果てにSNS非公開で人間性に問題があり過ぎ、小学館は相沢から聞き取り原因究明しないと、今後のドラマ化でも同じ様な事が起こる。
出版社とテレビ局、原作者、脚本家など内輪の問題であり内輪で済まそうと思ってるのかもしれないけど、読者が居る以上視聴者が居る以上、今後実写化される度大切な先生方は大丈夫なんだろうか?と内輪ではない人も腑に落ちないし視聴して良いのか?映画ならお金払って良いのか?先生の不本意なものへ協力する形になるんじゃないか?と思ってしまいます。
どの様な形であれ内輪で済まして風化を待つのは良いとは思えないです。
何の証拠もないので「邪推」になってしまうけれど
Xへの投稿について小学館の編集が芦原先生を責め立てて、
それが自殺のきっかけになった可能性がある。最後の「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」と言うコメントに関して言えば、
出版社に謝っているという解釈が一番しっくりくる。
脚本家への攻撃が始まったことに対する罪悪感と言う説明も一応成立するけれども
動機としては弱く、誰かから直接責められたと考えた方が納得がいく。
あの時点で真っ先に圧をかけるのは、揉め事がビジネスの障害になると考えた出版社の可能性が一番高い。
だとしたら小学館としてはひたすら頬被りしたいに違いない。
何かを言えば言うほどボロが出やすくなる。
本当に寄り添う気があったのなら、芦原さんにSNSで経緯を発表させたりしないんじゃない?
文章や内容は小学館も関わったみたいだけど、今後のドラマ化やアニメ化を考えてテレビ局と揉めたくない、作家の脚本家の争いに巻き込まれたくないスタンスではあったのだろう。
日本テレビも小学館も、打つ手全てが悪手なんだよな。
私自身、人の悪意の前に死ぬことを考えたこともありますが、今回の件で死ぬことがとても恐ろしいことなのだと認識しました。
この世に残したものだけを、誰かの都合に良いように解釈して、明日も生きていく人達のためと大義名分かのように掲げられるなんて。これほど偲ぶ方の多い人であっても、四十九日も過ぎぬ間にこんなキリトリされて切り捨てられ方をするだなんて。
今、芦原さんがこの世の喧騒の届かぬところで穏やかに過ごされていることを、願わずにはいられません。
日テレがコメント出したから小学館さんは黙っててくださいね。ってことなんだろうか?
日テレに責任があったとしても小学館がそれを主張しない、できないのは色々と想像はできるけど、特に同社の関係が悪くなれば、小学館的には多くの作家のアニメやドラマ化の可能性を失うことになりかねない。けど、事を荒立てずに沈静化に向けるのがベストって考えないら、それは絶対に違うと思う。
あれですかね…日テレにはジブリ、ジブリには宮崎監督、
あの方はどちらかって言ったらクラッシャー側ですもんね。
今回原作を守るって言っちゃうと、あちこち飛び火するから怖いのかな?出版社は何ですかね、こっちは漫画を売り出してやってんだから、それをどう使おうが関係ないだろ!ですかね、
原作者が何か意見を言ったら冷遇したり?
アレを言ったらコレも言わないといけなくなるから、なんも言えないのでしょうかね?
好きに使うって言うなら言えばいいのに。
これからも同じだって言うなら、これからは原作者に対して精神的負担が少しでも減る(諦める)くらいのものを積むもの積みなさいよ!って思う。
日テレも小学館もコメント出さないなら、せめてプロデューサーは出すべきでしょう。
おせんに続き連載中の漫画を壊した諸悪の根源を。
過去にアニメ化した作品「しろくまカフェ」の作者の方も、アニメ化に際し全く口出しできないどころか、自分のアニメなのにネットでしか情報を収集できない、アニメ化に際し一円も支払われないのに、グッズの絵の監修などさせられ、忙しい漫画家業の中毎週呼び出され、疲労の末連載を続けられなくなったと言う事件がありましたね。
その漫画家さんは、他の出版社に移って現在は連載を再開していますが、本当に酷い話だと思います。
元からこう言う体質の出版社なら今変わらないといけない時だと思いますよ。
発明と同じですよ。考え出した人が一番利益を受けるべきで、あくまでそれをアシストするくらいの姿勢が無いとダメだと思います。
あれは酷かった。担当編集の独断だったって話で、唯一の救いは、漫画家さんの直接の訴えを知ったアニメ制作会社とテレビ局が漫画家さん救出の方に動いてくれたってとこだった。しろくまカフェは2期続いたが、もし制作側が味方につかなかったら2期はなかったろうなあ。
作家を食い物にしてきたのでしょうね。
普通なら、大切な作家さんがこのような事態になれば、真っ先に出版社が日テレや脚本家に猛抗議するものだと思いますが、それが無い事が不思議でなりませんでしたが、非常に残念ながら納得してしまいました。
味方というか、一緒に戦ってくれる相手がいなかったのかもしれませんね。
でもせめて、こうなってしまった以上は、先生の無念を晴らそうと動いて欲しかった。
こんな寒い時期にダムまで一人でどんな想いで向かったのだろうかと、芦原先生の記事を読む度に思います。
本当真っ先に小学館が前に出て追及すべき事柄だと思います。
故人の意思は確かにことを荒立てたくないのは間違いないですが、報道されている経緯の中で作者さんがXに投稿した経緯が捻じ曲げられて、いいなり攻撃的な投稿を作者が行ったとか、そう取られかねない内容の物が目立ってきてると感じます。
故人の名誉は守られるべきと思います。
社長以下、社員全員で川治ダムにお花を持って現場に黙祷を捧げに行くといい。場所の画像を見ただけで自分は苦しくなる。
何も感じないようだったら、人の心を動かす仕事なんてやめた方がいい。
故人、遺族の意向を踏まえた上で、ファンの行き場のない気持ちに誠実に応える方法はあるはず。
原作者vs脚本家.日テレ.小学館の対立構造で、9.10話の脚本を任され協力も得られない状況で、奮闘したが満足する出来ではなったと語り、そこに脚本家が作品と能力の否定と、クレーマーの様な印象的を与える人格攻撃、原作者もこんな投稿されたら弁明せざる得ず、責任を一手に押し付けられ苦悩を語り、最後は謝る必要もないのに謝罪する位に追い詰め、ダムに向かう作者の心境は無情で、相沢が社交辞令で一言でも良いので感謝の言葉があったら悲劇はなかったかもしれません。
「何も発信しないことに世間から疑問が出るのは当然。時間がたつのを待ってるだけでは」小学館は社員のこういう発言を真摯に受けとめ、もっと誠意のある対応をして欲しいですね。
自分は20年ほど前、小学館で契約社員として働いていました。
社員の方々はとても親切で活気のある職場で、個人的に良い思い出しかありません。
お世話になった編集長も今は取締役になり、今回の件では責任のある立場だと思います。
亡くなられた作者の方の名誉や遺志を守る為にも、真相を闇に葬る様な選択はしないで欲しい。
小学館の社会的信用に関わると思います。
指摘されているように、やっぱり出版社もテレビ局や脚本家と利害は一致しているということか。今後の損得勘定をするとテレビ局や脚本家に対して毅然とした態度を取れないのかもな。
>芦名さんが経緯などをつづったSNSへの投稿などを削除したことを踏まえて「故人の遺志にそぐわない」何も悪くない被害者の芦原さんが謝罪&投稿削除し、加害者の日テレやプロデューサー&脚本家からはこれまでに只の一度も謝罪はなし!
どう考えてもおかしいでしょこれは!
なので私は芦原さんが謝罪&投稿削除したのは日テレor小学館の上層部に命じられたからではないのか?と思っている。
今回主演女優は芦原さんがOKする前からベリーダンスの練習を始めていた。
つまり芦原さんの意向に関係なく、初めから日テレはドラマ化を決めていたことになる。
そして小学館側もそれを了承していた可能性が極めて高い。
あとはうまく作者を丸め込むからと。
もしそうなら小学館も芦原さんを騙していたことになり経緯を説明出来ないよね〜。
本当に作者の遺志に沿うなら、もう二度とこんな事が起きないよう真実を明らかにすることでしょうに。
小学館は、昔も、漫画家さんと編集者との諍いやトラブルがあったと聞いていますが。
今でも漫画家を下に見ている出版社なのかな?
少なくとも、「小学館は作家を守って行きます」などの、これからのスタンスくらい対外的にいうべきです。 でないと出版社を見限って別の出版社に変わる作家が雪崩を打つことになるよ。
「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」
この言葉は小学館に向けらたものだったんだ。そう思うとすごく腑に落ちる。自死を選ぶなんてよほどのことだと思っていた。
自分を守ってくれる味方だと信じていた人に裏切られた時の絶望は、あまりにも辛い。
小学館にも問題あるとは思ってましたが、まさか守る側が芦原先生のとどめを刺す、みたいな仕打ちをしてたのか?という気がしてきました。
きっかけは日テレ脚本家のSNSだけどそれだけで先生が自死するかな?と疑問は多く残ってました。
この対応だと、先生が投稿したSNSの後で小学館が何らかの圧力を直接かけられたんでしょう。
だから先生は「ごめんなさい」と謝ってにダムに飛び込んだ。
単なる誹謗中傷で迷惑かけたのではなく、その方が自死の辻褄が合います。
それに連載の「プチフラワー」?でしたか、次号は最初から芦原先生の「セクシー田中さん」は休載決まってたとあったが、小学館がこの件で先生に打ち切り打診させたのかもしれないと疑惑すら感じます。
とにかく何らかの圧力をかけて芦原先生を追い詰めたんでしょう。
小学館はこのままだと貴重な漫画家を見殺しにしたと誤解されても仕方ないです。
至急記者会見を開いて下さい!
仲間であるはずの出版社に、芦原さんが亡くなってなお裏切られた。
そのことに胸が絞られる。
調査公表が必要という世間の声を完全に無視するとは驚いた。
普通に解釈すればよほど都合の悪い事実があるということでしょう。
小学館は信用するに足る企業であることを自ら放棄しました。
このことは忘れてはいけないと思う。