ネットの反応

あれが、年寄りです、うちの主人も認知症ですが、ものが無くなれば人のせいです、年をとると誰でも、物忘れが、でも頑固に認めない人がいる。うちは車を処分しました、

始めは大変でした、でも私は若い人の命を奪うことに、なったら私が主人を殺しかねない、強い覚悟で車を処分する決断をしました、本人の意思ではなく私の決断です。車が無いのはとても不便です、でも人の命はもっと重い。

暴走している時にアクセルをふみ続けていた覚えがないと記憶しているならば、ブレーキを踏み続けた記憶はあるのだろうか?
もしブレーキを踏み続けた記憶があるならばそれはアクセルと踏み間違えてたと物的証拠から過失は認められるはずである。逆にブレーキを踏み続けた記憶がないならば暴走している車をブレーキをかける動作を怠ったことになり、どちらにしても過失が成立して無罪にはならない

無罪を主張して有罪になった場合と終始反省の態度を示してそのまま有罪になった人の量刑が同じではおかしいと思う。
無罪を主張する分色んな(無駄な)議論を交わすしかなくて裁判の時間だけが延びて被害者の苦しみも増えていくわけなんだから。あの政治家夫婦にも言えるけど、最初から「私はブレーキを踏んだつもりだったがそちらの用意した証拠が踏んでないと出ているなら間違ってアクセルを踏んでいたんだと思います」(←これは最初はこの供述でこれを証言すると思って今まで逮捕されてなかった理由の一因)と言って客観的証拠だけで甘んじて判決を受け入れるべき。

被害者家族は判決の確定までは凄い加速度で傷付いているのだから。(実際には死ぬまで傷付き続けるだろうけど)
裁判では被害者側ではなく加害者側が早く裁判が終って早く罪を償いたいって態度になっているのが本来の人間としての姿だと思う。

今の車、プリウスより安価な車でも、パソコン端末に繋げば事故などの強い衝撃を受ける前の速度、ブレーキを掛けたか掛けていないかすぐに分かります。(大型トラックのタコグラフが付いているようなものと思ってください。)

また、メーカー標準のカーナビが付いている車は位置情報、現在の走行情報もわかっています。(オペレーターと通話出来るナビ。契約していなくとも、メーカー側には、位置情報や車両の使用情報が認識されている。だからオイルの交換時期のメッセージなどが表示される。)

犯罪捜査への影響や、個人情報保護の観点から弁護士も、テレビではこのことを言えないのだろう。

杉村さんが言っているように、冷静になって判断しなければならないのは確かだと思います。

車両の記録ではアクセルが踏み続けられた記録があり、ブレーキが踏まれた記録が無いことから被告がアクセルとブレーキを踏み間違えた可能性が高いが、仮に車両に不備がありブレーキを踏んでいたにも拘らず車両が加速したとしても、

パーキングブレーキを掛けたりニュートラルにするなど、何かしら行うことは出来たはずです。(難しいかどうかではなく理論的に)例えばプリウスが電動パーキングブレーキ搭載車で、速度が出ているときは操作を受け付けないなどの使用があれば別ですが。

よって、無罪になることはないだろうと思います。あくまでも素人の考えなのでご承知おき下さい。

杉村太蔵さんのおっしゃることはなるほどと思いました。

思うに、被告は多分ブレーキを踏んだと心から思っているのでしょうね。騙そうとか、嘘をついているのではなく。ただ結果として暴走し多数の死傷者を出しているのだから、自分はブレーキだと思って踏んでいたのはアクセルだったのかなと顧みることはないのでしょうか?

検証でもブレーキを踏んだ形跡がないという結果がでていること、自分が高齢である事から、顧みた方がいいと思ってしまいます。
無罪を主張するほど、自分の記憶に自信があることにこの方の歩んできた道を感じさせます。

一般の人は「常識論」や「感情論」で主張しがちですが、法律というものは法の規定や被告の態度、双方から提出された証拠をもとに裁判官の経験や知識により客観的に物事を判断します。

また弁護士の人は仕事柄、被告にとって少しでも優位な判決を取ろうとします。ですから法廷で被告の方は弁護士からの指導により、反省する態度を見せつつ、肝心な部分は、はぐらかして「いけしゃーしゃー」と主張します。

そこに一般と司法との間にギャップが生じるわけです。最終的には裁判官が判断を下すことになるのですが、被告が高齢で体も弱っていますので、そんな人を刑務所に送るかどうか、微妙なところでしょうね。

「有罪が確定するまでは推定無罪」と言うのは、犯罪を犯したかどうかを争っている場合の事であって、自動車事故を起こした事が明白な飯塚被告に対して使う言葉では無いと考える。

飯塚被告が主張しているのは、その責任がXXX自動車にあると言うことである。すると、推定無罪と言うべきは、XXX自動車ではないのか?工業技術院の元院長に対し、元通産省の幹部職員に対し、XXX自動車は、無過失を主張出来るのだろうか?

昔通産省、今経産省と言う権限を有する官庁に対し、一自動車会社が逆らえるのだろうか?

89年間、自分の失敗を全て他人の所為にして来たのではないかと推察する元官僚に対し、一自動車会社が逆らえるのだろうか?裁判官だって一種の官僚だろ。公文書の改竄すら屁とも思わずにやってのける官僚達に、一般国民は何を期待出来るのだろうか?

「自分が間違っていたとは思いたくない」が「ブレーキがおかしかった」という思いになっているのでしょうね。過去にこうした事故がないということ、自分だけがこういうことを犯したことを客観的に感じられないものなのでしょうか。ものなのでしょうね。

この方は、エリート官僚だったということ。職務上、問題がおこったとしても誰も責任を取らないで、転属してあとは何もお咎めないという日本の公務員のあり方そのものですね。

日本には公務員がたくさんいます。こういう嘆かわしい人が今後出てこないことを祈ります。それにしても…この被告の家族は、どう思っているのだろうか?自分の夫・親がこういうことを言っているのを恥ずかしく、そして人間としてあり得ないと思わないのだろうか?

そこが一番考えられない。

そもそもそだが、事故当時は本人も踏み間違いだったかも。と言っていたのだろう。。

89歳の事故当時の証言と、一年半経った今の証言。どちらが正しいかなんて、一目瞭然だろう。ホント官僚経験者という人たちは。。。一括りにしてはいけないのだろうけど、本当に自分の責任を認めないなぁ。


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