【Wヤング・平川幸男さん死去】https://t.co/joZ6EehOxj
お笑いコンビ「Wヤング」の平川幸男さんが、亡くなった。78歳だった。病名などは明らかになっていない。11月上旬に入院、昨夜容体が急変したという。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) November 12, 2019
お笑いコンビ「Wヤング」の平川幸男さんが亡くなったことが12日、分かった。78歳だった。病名などは明らかになっていない。関係者によると11月上旬に入院、昨夜容体が急変して亡くなった。
平川さんは2009年に芸能生活50周年、コンビ結成25周年記念イベントを開催。今年2月、左ひざの「左変形性膝関節症」、腰の「腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症」と診断され、手術を行い、3月30日に退院。4月に仕事復帰していた。
お笑いコンビ「おぼん・こぼん」のこぼん(70)は自身のツイッターで「朝早く関西の仲間から、Wヤング、ヤング平川さんの訃報が入ってきた」と報告。
「ヤング中田さんは、野球賭博が原因で熱海、二見ヶ浦から飛び込み自ら命を絶った。元気な先輩でしたが、病には勝てず…合掌」と元メンバーの中田治雄さんについても触れ、訃報を伝えた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191112-00000150-spnannex-ent
ネットの反応
誰もこの人を知りません。
懐かしい人がまたいなくなった。
寂しいな。
初代Wヤングの漫才は最高に面白かった。
私的には「やすきよ」や「巨人阪神」よりも面白く笑わしてもらった。
ありがとうございます。
やすらかにおやすみください。
何度かNGKで拝見しました。
ご冥福をお祈りします。
78歳は少し早いですね
昔の相方の中田さんのお兄さんが会社の経理していて可愛がっていだいていました
しゃべくり漫才とギャグの ちょっと聞いた が耳に残っています
中田さんは色々有って自ら命を閉ざしてしまいましたが平川さんは若い相方を探して昔のようなテンポの良い漫才を引き継いで楽しましていだいていました
あの世でコンビ復活で頑張って下さい
合掌
天才漫才師の平川さんが亡くなられたなんて、ショックだよ。おそらくWヤングは最高の漫才コンビだったと思う。ご冥福を祈ります。ありがとう、平川さん。
吉本新喜劇を見て、有名な若手芸人よりWヤングさんの方のが何倍も面白くて面食らった事があった。特に平川氏のカツラ疑惑のネタは無茶苦茶面白かった。
平川さん、中田さんのWヤングはダジャレを取り入れた最高の喋くり漫才のでした。自殺した中田さんは同僚芸人達の借金の保証人を受けていたのが原因だったと聞きました。
中田さんの死が無ければ、やすきよ漫才と頂点を争っていたと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
昔昔になるが、相方の中田氏がアルトサックスを吹き、平川氏がピカピカの金属製アコーステイックギターを弾きながら、ボケとツッコミの音楽漫才をやっていた頃が偲ばれる。ご冥福をお祈りします。
中田さんの件は子供ながらに鮮烈に記憶しています。
当時人気絶頂で、しかも当日か全日テレビでみたばかりだったので。。。
いよいよ御二方とも鬼籍に入られてしまいましたね。
ご冥福をお祈り致します。
一番面白い漫才師は、旧のWヤングと答えている。特に前コンビの中田さんの突っ込みは抜群であった。
お笑いネットワークが懐かしい
最高の萬歳市でした。ありがとう
中田さんが亡くなった時、取り乱して号泣していた平川さんの姿が忘れられません。同時に、そんな状態の人の所にまで押しかけてた報道陣の無神経な姿勢に怒りをおぼえました。ご冥福をお祈りします。
中田平川のWヤング、最高でした。
さみしい限りです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
また一人、昭和レジェンド芸人が星になられてしまいました。
ほなこのへんで、吉田茂。
「ちょっと、あんた聞いた?」学生の頃から聞いていたセリフだったけれど、、、。最近見ないなと思ってはいたのだが。
え!!!!!
平川師匠が亡くなるなんて、信じられない!!!
あんなにいつもハツラツと元気やったのに、どうして??
Wヤングさんの漫才はここ数年で直接2度観ました。
安定感のある笑い。
最後に相方が平川さんのジャケットを上手に客席目がけて蹴り飛ばして、それをお客様が平川さんに渡して、「ポケットのお金がないよ……??盗った??」みたいなジェスチャーをしてお客様が笑う。
漫才が終わってもそういう面白い余韻を残しながら舞台から去って行かれるという、本当に素敵な漫才でした。
ご冥福をお祈りします。。。
ちょっときいたぁ?
中田さんが自殺したのは熱海の錦ヶ浦であって二見が浦じゃないですよ!
ちょっと聞いたあ?
では、この辺でエンドウ豆
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
変なの
NGKでは誰のあとの出番でも、必ず笑いの取れる漫才でした。昭和59年4月に今のコンビを新喜劇にいた佐藤武司と組み、前のコンビより長く活躍できたのは素晴らしいことでした。
ツービートやセント・ルイスが出てくる前の若手漫才の頂点でしたね。向こうで漫才が出来ますかね。
ご冥福をお祈りします。
昔からのファンだったからショックです!
息子の秋岡秀治のカラオケも良く歌うしどちらもファンたつたのに残念です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
ちょっと聞いた??“の平川師匠と中田師匠のWヤング時代のダジャレで綴る「お国づくし」はおもろかった!お二方のご冥福をお祈りします。
今と違いWヤング全盛の頃の漫才のネタは作家が書くのが一般的でした。ネタが良くて笑える漫才師もいましたがWヤングは2人の雰囲気作りが抜群でした。
可愛げのあるスマートな平川さん、下町人情の塊の様なコテコテの関西人の中田さん。大声を張り上げる事なく笑ってしまう雰囲気をかもし出す。この2人なら何をやっても面白かったと思います。
これでもかこれでもかと矢継ぎ早に笑わされ本当に腹を抱えて笑えた漫才でした。
Wヤングの漫才が大好きでした。平川さんの年齢を感じさせない、熱演が見られないと思うと、残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
きついね