東宝「若大将」シリーズのヒロイン・澄子役など、さわやかなお嬢さんイメージで人気だった女優の星由里子(ほし・ゆりこ、本名清水由里子=しみず・ゆりこ)さんが16日、肺がんのため京都市の病院で死去した。74歳だった。
東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで営まれる。文芸作品からアクション、怪獣映画まで幅広く活躍した。
古希を過ぎても若々しく、昨年も「大岡越前スペシャル」(NHK・BSプレミアム)や「水戸黄門」(BS―TBS)などテレビ時代劇を中心に活躍していた星さんが静かに逝った。「健全な娯楽を広く大衆に提供すること」という東宝の企業理念を見事に体現した名女優だった。
肺がんと闘病していたという情報はなかった。京都の自宅で家人も「急なことでした」と話し、「葬儀は京都のお寺で営みます」とスポニチ本紙の取材に言葉少なに答えた。
実家は東京・神田の乾物店。5人きょうだいの末っ子として生まれた。58年に東宝が宝塚歌劇団の東京公演にちなんで開催した「ミス・シンデレラ娘」に姉が応募し、当選して芸能界入り。翌59年に「すずかけの散歩道」で銀幕デビューした。
60年には浜美枝(74)、田村奈巳(76)とともに「東宝スリーペット」として売り出された。
加山雄三(81)の主演で61年に始まった「若大将」シリーズが代表作になった。全17本のうち、第12作「リオの若大将」(68年)まで、若大将の恋人・澄子を演じた。一方「モスラ対ゴジラ」(64年)や「クレージーだよ奇想天外」(66年)など特撮映画や娯楽作品でもヒロインを務めた。
「若大将」シリーズを卒業した後は日活「忘れるものか」(68年)で石原裕次郎さんと共演。翌69年には東映「日本侠客伝 花と籠」で高倉健さんとも共演を果たしている。
90年代以降は舞台「蝉しぐれ」(大阪松竹座)や「北島三郎特別公演」、NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」「ほんまもん」、テレビ朝日「科捜研の女 第3シリーズ」「ドクターX~外科医・大門未知子~」などに出演。清そな美しさは健在だった。
私生活では3度の結婚を経験。最初は69年に財界人の横井英樹氏の長男とゴールインしたが、性格不一致のために3カ月で離婚。75年に脚本家の花登筐氏と再婚したが、83年に死別。その後、90年に会社役員の清水正裕氏と再々婚し、京都市内のホテルで盛大な披露宴を開いて話題を呼んだ。
◆星 由里子(ほし・ゆりこ)1943年(昭18)12月6日生まれ、東京都出身。精華学園女子高校(現東海大市原望洋)卒業。1年後輩に吉永小百合がいた。58年に東宝入りし、「八重歯のシンデレラ」のキャッチフレーズで売り出された。成瀬巳喜男、岡本喜八といった巨匠の映画作品にも幅広く重用された。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-00000165-spnannex-ent
みんなのコメント
「科捜研の女」シリーズではちょっと天然マイペースだが
犯人を心配するような心優しい母親。
そういえば沢口靖子さんのデビュー映画「刑事物語」でも
沢口靖子さんの母親役でしたね。
沢口さんも悲しんでいるだろうなぁ。
本当に、「優しい母親」の役がピッタリな、素敵な女優さん
でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
大人のどろどろした世界でした…
ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りいたします。
たまにしか出てこなかったけど、重要なキャラだった。
「日本侠客伝 花と籠」や新網走番外地シリーズも、
映画館で拝見しました。
近年もテレビドラマで活躍されていたはずなのに…残念です。
品のある美しい女優さんでしたね。
とてもお綺麗な人でしたね、74じゃまだお若いのに。
ご冥福お祈り致します。
若大将には死ぬほどショックの年やんか。船が燃えてスミちゃんおらんくなって、これで青大将まで死んだら…。
ホントに「ただ家庭を守ってるだけの専業主婦」の役どころなのを、けっして脇で埋もれず、かつ目立ち過ぎず、あれだけ自然な存在感を発散できてた星さんはスゴい!…と今でも思い返します。ご冥福を。
ご冥福をお祈りいたします。
お二方のご冥福をお祈りします。黙祷
連日、昭和のスターが去っていく。
時代がえらく早足で過ぎ去ってるのを実感する。
これからもシリーズは続くだろうけど代役は無いだろうな。
久しぶりに若大将シリーズ見ます。合掌。