1998年に亡くなったロックバンド「X JAPAN」のギタリスト・hideさん(享年33)が、5月2日に没後20年を迎える。今月末からトリビュートライブ、CD、ドキュメンタリー映画など功績を振り返る企画が展開される。hideさんを同バンドに引き入れたリーダー・YOSHIKIが単独インタビューに応じ、「hideの魂とともにこれからも世界を目指す」と語った。hideさんの実弟で当時マネジャーだった松本裕士(ひろし)さん(50)にも故人の素顔を聞いた。(星野 浩司)
20年前。YOSHIKIは米ロサンゼルスでhideさんの訃報を聞いた。
「車を運転してスタジオに向かっている時、スタッフから電話をもらいました。途方に暮れて、毎日通ってる道を迷ってしまった。死を信じたくなかったけど、翌日に日本へ帰国する飛行機の中でニュースを見て絶望しました。空港からhideの元へ直行して対面して、何度も体を揺すって起こそうとしました」
5月6、7日に東京・築地本願寺で葬儀が営まれた。遺体が運ばれて5日間で約7万5000人が訪れ、7日の告別式はファンの列が同寺から隅田川沿いに約2キロも続いた。熱狂的ファンの後追い自殺とみられる騒ぎが続き、YOSHIKIがやめるよう呼び掛けた。
「自分たちよりファンの方々が心配で、彼らを勇気づけたい気持ちが強くて会見で『僕らと一緒に乗り越えて』と話しました。告別式では(洗脳騒動で脱退した)Toshlも含めてみんなで『Forever Love』を演奏したけど、ああいう場で歌いたくなかった。つらかったです」
86年頃、別バンド「サーベルタイガー」で活動していたhideさんが横浜でXのライブに訪れ、初対面。すぐに意気投合した。
「最初は『ライブで生肉を食べる変な奴』という印象だったけど、仲良くなったら『心優しい超いい奴』でした。Xに引き抜きたくてサーベルのライブに行って、打ち上げで『hide、Xに入れ!』と叫びましたね。その後、サーベルは解散してhideは美容師を目指したけど、まだギターを続けたい気持ちがあったようで(87年2月に)Xに入ってくれました」
ギターの腕前は天才的だった上、常にバンド全体を冷静に見守る存在だった。
「歌うギターを弾く、センスのかたまりでした。特にXの初バラード曲『Endless Rain』はhideのアルペジオやギターソロが光ってた。バンドの全体像を一番よく見てて、『好きにやればいい。あとは俺が何とかする』という言葉に支えられました。僕はどんどん突っ込む長男、hideは後ろから支える母親、TAIJIは弟。Toshlは親戚のお兄さん、PATAは叔父さんみたいな感じかな(笑い)」
気配り上手な一面もあったhideさん。バンド活動はもちろん、私生活でも仲が良い親友だった。
「僕が不器用で魚の骨がうまく取れないと言ってたら、『ちょっと貸せ』って言って丁寧に取ってくれたんです。バンドじゃない時でもよく遊んでて、デビュー当時は2人で東京ディズニーランドに行ったこともありますよ。派手に化粧して丸一日楽しんで、ミッキーマウスより僕らが目立っちゃいましたね」
1997年のXの解散ライブ。hideさんとのラストステージとなった。
「(脱退する)Toshlと最後のライブで僕はやりたくなかった。でも、hideの『Xに終止符を打とう』という言葉に背中を押されてやることを決めました。よくリハーサルなしであんなライブをやったなと。あの時はToshlの件や解散の時だったのでみんな精いっぱいでした」
翌年、hideさんはソロ活動に励んだ一方で、誰よりXの復活を夢見ていた。
「2000年をめどに新しいボーカルを据えて、新しいXを作ろう。世界に向かっていこうと2人で話してた矢先の死でした。直後に1曲だけ作った曲が『Without you』。数年後(07年)にToshlが訪ねてきてこの曲を歌ったこともあって、翌年の再結成につながったんです。hideが2人を会わせてくれたと思ってます」
X JAPANは14年の米マディソン・スクエア・ガーデン、昨年の英ウェンブリーアリーナ公演など海外でも活躍。hideさんがギターを弾く映像を流すなど、ともにステージに立ち続けている。
「hideは空から『まだまだじゃない』と言ってるはず。Xが世界に向かって頑張るほど、彼の偉大さが世界に伝わるんじゃないかな。hideが抱いてた夢、魂とともにこれからも走っていきたい」
◆hide(ヒデ)本名・松本秀人(ひでと) 1964年12月13日、神奈川・横須賀市生まれ。ハリウッド美容専門学校上級コースを修了後、ロックバンド「サーベルタイガー」を経て、87年にX(現・X JAPAN)に加入。93年にソロデビュー。95年ソロで全国ツアー開催。97年末にバンド解散後、98年1月ソロプロジェクト「hide with Spread Beaver」を発足。5月に死去後も「ピンクスパイダー」などがヒット。2010年の十三回忌法要(築地本願寺)には3万5000人が献花に訪れた。
◆「心優しい兄だった」実弟・松本裕士さん明かす
兄・hideさんのマネジャーを94年から約4年間務め、現在はhideさんのマネジメント事務所社長の松本裕士さんは「真面目で物静かで、心優しい兄だった」と振り返る。
20年前の5月2日。泥酔したhideさんを松本さんが早朝4時頃に自宅に送り届けた数時間後、呼吸停止状態で発見された。「兄弟というより、側近として家まで送ったのは僕なので責任は感じてます」。築地本願寺での葬儀でとどろいたファンの悲鳴を思い返し、「あの顔を笑顔に変えなきゃいけないと思い続けて20年やってきた」。2000年に横須賀市で記念館を建設するなど尽力した。97年のX JAPANの解散ライブは、hideさんとYOSHIKIが相談して一日だけの公演を決めた。「ライブ後に舞台裏に来ると、hideが『もう一日やりたい』と。彼は本当にXを愛してた。2000年までに新しいXを作るんだと話してました」
天才的なギターで魅了した兄を「練習で100%やって、本番で遊ぶ。裏の努力は惜しまなかった」と裕士さん。「hideが世界で成功する姿を見たかった。YOSHIKIさんがその思いを背負って進んでくれて本当にありがたいです」
◆hideさん没後20年の主なプロジェクト
▼献花式(5月2日) 川崎・クラブチッタで午後1時開始。
▼ライブ(28、29日。東京・お台場野外ステージ) hide with Spread Beaver、PATA(X JAPAN)、布袋寅泰、BUCK―TICKらが出演。会場内にhideさんが所有した高級車を展示。
▼浮世絵「hide 桜の景」 The Rolling Stonesとのコラボで話題を呼んだ浮世絵木版画シリーズの新作。数量限定で発売中。
▼書籍「君のいない世界 ~hideと過ごした2486日間の軌跡~」(28日発売) hideさんの盟友で「hide with Spread Beaver」のI.N.A.が初めて思いをつづった。
▼メモリアルBOX(5月2日発売) 98年4月に米ロサンゼルスで収録された「hideのオールナイトニッポンR」の全4回分の音声などを収録。CD6枚、DVD1枚、書籍2冊の完全生産。
▼ドキュメンタリー映画「HURRY GO ROUND」(5月26日公開) 俳優・矢本悠馬がナビゲーターとして、hideさんのお墓や生まれ育った横須賀、亡くなる3か月前に過ごした米ロサンゼルスなどを巡る。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180407-00010004-spht-ent
みんなのコメント
妻のロザンナさんは頑張ってますよ!!
XJAPAN時代ではなかったけど、
歌がすごく好きで聞いていた。
hideの訃報は衝撃的すぎて鮮明に記憶にある。
ソロのhideが大好きだった!高校時代を思い出しました。
自分も普段は簡単には酔わないほうなんだけど、数回だけ泥酔状態みたいになって危ない行動しちゃったりな事があったように思うからね。そのはずみでしんじゃう可能性があると思ったよ。
あなたが殺したも同然です。
それほどまでにXとhideの影響力は凄まじいものがありました。
作詞作曲はもちろん、演奏に演出、そして今でも通用するオシャレなファッションセンス、そして何よりファンを大切にする素晴らしい人。
こんなに素晴らしいアーティストはもう出てこないと思う。
そんな時代は二度と来ないだろう
似てなさすぎ。。。
ましてや、金がないから稼ぐためにでてるとか言ってるやつもいるけど、そんな訳ないし、いい加減な上に的外れ
横須賀に実家が有ったのでどぶ板に行ったり今はもう無いけど
hideミュージアムも通いました。生涯心に残しておきたい存在です。
泥酔していなかったらと悔やまれる。
未発表曲
よく出すけど…。
故人が、ダメ出ししたから未発表なんじゃ無いのか
しかし、お隣さんもごく普通の故人様の居場所です。
なによりも、ごく静かな霊園です。
2日に、おそらくファンで殺到するでしょうけど、どうか、お静かに願います。
かわいすぎる、なんだよもう。と同時にそんな無邪気な友人を失ってしまう気持ちを考えるだけだ辛くなる
本当に仲が良かったのね
そりゃ自分も歳をとるわけだ
withoutyouを聞くとYOSHIKIさんとはしゃいでいる映像が思い出し涙が出てきます。
XJAPAN大好き。
興味がない人でもつい見てしまう魅力があると思う
YOSHIKIは今でも自殺ではないだろうと述べているが状況的にもファンも自殺ではなかったと考えているだろう。
hideはXのヒストリー上欠かせない。
いつまでもオリジナルメンバーとして大切にされているのは良いと思う反面、hideイベントを定期的に開催して死人で商売する姿勢には賛同出来ない。
傍から見て弟さんの兄貴商標での商売があまりに露骨過ぎて萎える。
自身が中学生の頃、
14歳(1995年)だと考えて、
そこから20年前の音楽と言えば、
70年代ミュージック。
昔は、20年前の曲と言えば、
90年代とは、大きくテイストも違い、
古さや、物珍しさを感じるのが常でしたが、
ピンクスパイダーが発売されてから20年、
自身では、この曲が今発売されても、
何の違和感も感じない気がするのですが、
最近の若い子聞いた際の意見やリアクションは、
どうなのか、凄く興味が沸く。
何から何まで伝説的な人でした…
hideさんがhideさんであり続けたからこそ、今でもみんなの中で生き続けてるんですね…
でも…もっともっと沢山の曲を聴かせて欲しかった…
それが本音です…
サーベルタイガーもかっこよかった
YOSHIKIとHIDEは相思相愛みたいな感じだね。一緒に世界を見たいんだよね。それがYOSHIKIの原動力になってるのね。
ずっとずっと応援します!!!
20年前のhideの映像を見ても古臭さを感じない
今生きていたらどんな音楽を聴かせてくれるかなと思う事があります
ソロ曲も好きだけど、X時代のhide曲が本当に好きだ
ユーモアとカリスマ性と優しさが溢れている
celebrationのPV、ビデオテープが擦りきれるほど見たな
今生きてたらどんな風に活動してたのだろう?どんな人と結婚したんだろう?って考える。
YouTubeでhideさんの映像見てるけどほんと一人だけ未来人みたいに髪型、服装が浮いてるんだよね。そのせいで周りがダサいと言うか、古くさいと言うか、hideさんだけ現在の映像かのような錯覚に陥る。本当に先見の明と言うか、未来を先取りしてたんだろうなぁ