180センチを超す長身で、長い髪を振り乱しながら、情熱的なハスキーな歌声で「ローラ!」と絶唱する姿に、世の多くの女性は虜(とりこ)となった。ライブでは、感激のあまり失神するファンもいた。ロックを基調としたヒデキの歌唱スタイルの原点は、幼少時代に遡る。子供の頃に兄と組んだバンドでドラムを担当し、音楽に親しんだ。中学生で本格的にバンドを結成。西城さんは「(米国の歌手の)ジャニス・ジョップリンの影響があった。ベンチャーズ、ビートルズなど洋楽が大好きだった」と語っている。高校時代にスカウトされると、両親の猛反対を押し切り、家出同然に広島から上京した。
73年に「情熱の嵐」がヒットして人気に火が付いた。日本の音楽業界は、グループサウンズ、フォークとブームが続いた時期。西城さんのワイルド&セクシーなスタイルは新たな男性アイドル像を作り出した。
デビュー時から約5年間、西城さんを支えたマネジャーによると、素顔は子どものように無邪気で、片頭痛で入院中にパンと牛乳が欲しくなり、夜中に脱走したこともあった。ユッケが大の好物で、話し声がガラガラな時でも「生肉を食べると声が出る」と、ステージで美声を響かせていた。
74年、「やめろと言われても」のフレーズで有名な「激しい恋」がヒットし、TBS系「火曜歌謡ビッグマッチ」で郷ひろみ、野口五郎の「新御三家」が初共演。その年、紅白歌合戦に初出場を果たし「新御三家」そろい踏みを果たした。
ドラマ「寺内貫太郎一家」や映画「愛と誠」で俳優として活躍したり、バラエティー番組に多く出演する形は現在のアイドルに受け継がれている。
人並み外れた運動神経の持ち主としても知られ、テレビの芸能人水泳大会、運動会などに出場しては大活躍した。だが、この体力への過信が順調だった人生を変えた。2003年の脳梗塞は、サウナでの無理な減量が裏目に出て引き起こされたものだった。
芸能界のパイオニアでもあった。74年、大阪球場で、ソロ歌手として初めて「野球場」でのライブを開催。75年には日本人ソロ歌手として史上初の日本武道館コンサートを行った。
今では主流となった客席でペンライトを使う演出は、74年に西城さんが導入して広まった。自身最大のヒットとなったヴィレッジ・ピープルのカバー曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」をはじめ、洋楽のカバーを積極的に取り入れた。
80年代以降は、アジアに進出。88年のソウル五輪前夜祭で、当時日本の歌が禁止されていた公の場で「傷だらけのローラ」を披露。98年は日本人として初めて中国・万里の長城の前で歌唱するなど、“日本のアイドル”にとどまらない活躍を見せた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180518-00000054-sph-ent
みんなのコメント
売れた(日本人が金を出しても)にしても、本家に割合ありきで金が流れるだけ。
情熱の嵐でヒデキにキュンとして、初めて買ったレコードは、「ちぎれた愛」
未だに大切に持っています。
部屋にポスター貼ってました。
広島って、やっぱり凄い土壌やな。
しかも、我が道を行く個性派揃い。
御三家では違う人のファンですが、もちろん殆どのヒット曲はわかります。そして今でも活動されててYMCAを歌うために上半身のリハビリをしてたそう。今CMでYMCAが使われてるのは励みになったでしょうね。
ご冥福をお祈りします。
合掌。
ワイン毎日2本、煙草80本、サウナで水飲まない
体は正直ですよ
それは間違いですね。
年齢については3歳サバ読んでたことを、いつかは言いたかったんだろうけど、事務所が偽造書類作っちゃったから、たぶんそのせいで言えなかったんじゃないかな・・・
かなりのファンならそのことは知っていたと思います。
これは危ないなあ。
サウナ後の水分摂取が大事だと今ならみんな知ってるけど。
突然の発病が本当にお気の毒で。
数多くのスターが生まれ消える昭和でひときわ輝いていたビックスター。
発掘された時からひときわ輝く逸材だったんだろうね。
あの頃のスターの中でも最も輝いていましたね。
白人さんのドラマや歌手が流行している時世でも、全然引けを取らなかった。
ほんとに無念でしたでしょうね。
でも三人のお子様は、秀樹さんが残された歌や本やビデオなどに
一生支えられて生きて行かれると思います。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
イメージだが、この人だけはけた違いに歌の実力もあったね。
あと、CMやドラマ等多方面に活躍するタレントとしての
パイオニア的な存在だった。
今週だけでも差し替えして欲しい。
お姉ちゃんの憧れの存在としても
描かれなくなっちゃうのかな。。
それまでの直立不動の歌手とは違い西城秀樹の登場は実に画期的なものだった。
真に一時代を築いた人物「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」「ブルースカイブルー」ヒット曲も数え上げれば枚挙に暇がない
映画「愛と誠」は当時彼が10代だったのにも拘らずそのカッコよさと色気は際立っていた。
また大スターでありながら素朴で気取らない所もCMやTVドラマお茶の間で愛された所以だったのだろう
今昔の映像を通して見て長身で長い手足と抜群歌唱力を最大限に活かし全身全霊を傾けて情感豊かに歌う彼の姿はあまりある才能を持った本物のスターだったと改めて感じた。
努力の人 ファンへの愛
彼の偉大な功績と晩年の生き様に深い敬意を表したい。
お悔やみを申し上げます。
この方元々は韓国人ですよね?
昔母が韓国人は歌が上手いと言っていたのを
思い出しました。
そうとしか言いようがない。
西城秀樹さんは、中国で天皇巨星と呼ばれています。天皇巨星と認められたのは、全アジアで西城秀樹さんだけです。中国音楽界を席巻した香港の四大天王すら、ヒデキの前では弟子を自称したくらいです。唯一無二のアイドル、偉大な歌手、彼の功績は国をあげて讃えるべきです。なのに、在日うんうんと、雑音が多いことにうんざりです。どこまで心が狭いですか?泣きたいです。ヒデキが中国で生まれたらきっと伝説になったでしょう。もったいない❗