世界最高峰エベレスト(8848メートル)登頂に単独無酸素で挑んでいた最中の21日に死亡した登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)さん(35)=北海道今金町出身=の公式フェイスブックが25日に更新され、低体温症とみられた死因について、所属事務所のチーフ小林幸子氏(39)は「実際には栗城は標高7400メートルのキャンプ3から下山中に滑落し、頭や全身を強く打ったことが原因で、帰らぬ人となりました」と訂正した。葬儀は親族で執り行い、後日、お別れの会を開く。
小林氏は「栗城の遺体を発見したという第一報の時に、日本と撮影隊との緊急連絡で行き違いがあり『低体温で息絶えた』とお伝えしておりましたが、実際には栗城は標高7400メートルのキャンプ3から下山中に滑落し、頭や全身を強く打ったことが原因で、帰らぬ人となりました。混乱の中とはいえ、誤った情報をお伝えしてしまいましたことを心よりお詫び申し上げます」と報告。
「20日にエベレストの南西壁を標高7400メートルのキャンプ3まで登った栗城は、テントを張れる場所を探して標高を少し下げてテント場を確保、しばらく経ってから体調不良のために下山しますと無線で撮影隊に伝え、下山を開始。
その後、無線連絡が途絶えてしまい、時間が経っても下りてこないことから撮影隊が捜索のため上部に上がったところ、標高6600メートル付近で息絶えた栗城を発見いたしました。遺体の状態から推測して、恐らく100―200メートルほど滑落したものと思われます」と詳細を明かした。
「滑落したものの遺体の損傷は大きくなく、安らかに眠っておりました」とし「これから、ご遺族の意向により、親族のみで火葬と葬儀を執り行う予定でございます。
多くの方から葬儀についてお問い合わせをいただいており恐縮ですが、生まれ故郷の北海道の自然の中で、親族のみで静かに見送りたいというご遺族の意向ですので、ご理解のほど何卒よろしくお願いいたします」と呼び掛けた。
「今後、東京はじめ様々な場所で、応援してくださった皆様にお越しいただけるような栗城のお別れ会を開催したいと思っており、決まり次第にお知らせ申し上げます」とした。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180525-00000146-spnannex-ent
みんなのコメント
彼は高度順応のため、ローツェに登ろうとし、サウスコルまでの一般ルートのC3から引き返した。
報道が英雄にしたてたいだけの報道。
エベレストを知らない記事は残念。
寒くて具合悪い中、単独で下山、
転倒したときにふんばれる両手の指もない、
想像しただけで状況は厳しすぎる
具合悪い中、どれだけつらかったか・・・
いろいろと言われてる人だけど
最後まで自分のやり方貫いたことはすごいこと
ご冥福をお祈りします
なおさら危険が伴う。
体調が悪ければ迎えを呼ぶべきだったね
 ̄
固めたのは関係者なんだろうけどね
私には理解できない!
単なるルール通りで登山をする登山家ではないんでしょう?あれ、でも紹介は登山家か、ルール通りにしてたのに失敗した登山家さんなんですね。
まあ、アメフトでも重傷負っちゃうんだからスポーツにはリスクは付き物だしね。
あくまで「攻めに攻めた結果のアクシデント」感を出してきたね
最後の最後の最後まで
しっかりと嘘で塗り固められる姿勢
凄いですね
そして今後は
絶品の嘘で塗り固めた「栗城列伝」出版ですね
わかります
先人が成し遂げられなかったことに命を懸けて挑戦しようとする勇気は、私のような凡人には想像できるものではない。これが仮に名声目的だったとしても、その恐怖を思えば軽い気持ちで続けられることではない。力量うんぬんではなく、命を懸けて挑戦し続けたことに対して、その勇気と情熱に敬服する。
海外の報道では皆そう伝えてる。
富士山も登れない人がエベレストなんてねぇ・・・
偉業を・・・いや、異業を達成した下山家らしく、下山での死亡。
物語の主人公のようにはいかなかったけど、ヒーローの様なカッコ良さは無かったけど(すみません)、でも人が生きるという意味をすごく勉強させて貰いました。それは今も自分の中に根付いてます。。ありがとうございます!
心よりご冥福をお祈り致します
滑落したのに遺体がすぐ見つかってよかった。
一度きりの人生、やりたい事をやらなきゃ!
低体温なら、少なくともSOSは出せるはずよ(多分)
死んでなお輪をかけて美談にしようとする
全てが虚飾
そんな人生はいらないだろ
つまりは雪山登山で凍死して、遺体が三十年くらい前は、早々簡単には見つかってないわけよ。
日本登山界は、もって冥(めい)すべきでは。
かってスゴ腕(無償:命や青春をかけて)だった山ヤの方、今の登山の現状に何か言ってください。
長い歴史の中で、「これは危ない」と思うことを知識と照らして避けながら生きている。
その営みの中で、次の世代に自分の知識を引き継ぐことが、生き物としての人類の一番大事なことのように思う。
この人は確かに、自分の行動で誰かを勇気づけようとしたのかもしれない。
結果的に、先人の意見を真摯に受け止めて自分の力量で成せる範囲の活動から何かを生み出すことを完全に放棄した結果、やっぱりそういうことをすると命を落とすというわかり切った結論しか残せなかった。
人に何かを残したいと思うなら、まずは自分の力をしっかり見極めて、でできることを見定めるところからやらないといけない。
そういう意味で、C3にあの時点で設営することの判断含め、無茶苦茶な今回の登山計画に留まらず、自分の夢の設計においても、この人は「計画性が完全に欠如」していた。
亡くなってたの知らなかったわ
プロの下山家として、ちゃんと下山して欲しかった
生きてこその挑戦ですからね