『偏差値32の田村淳が100日で青学一直線~学歴リベンジ~』が放送され、ロンドンブーツ1号2号・田村淳が、予備校に通う受験生の前で決意表明を行った。
同番組のディレクター・通称しげさんと共に、来春の青山学院大学合格を目指している田村。11日放送回で2人は、東進ゼミナール関校で実施される受験合宿に参加するため、岐阜県関市へ向かった。今回の合宿の目的は、受験生との交流と苦手な英語学習の強化。合宿1日目は、英語の基礎をみっちり学んだ後、同校の伝統行事である決意表明の会に出席した。
「受験勉強では負けていますけど、おしゃべりでは絶対負けない」と、ライバル心をむき出しにする田村。受験生たちの前に立つと「なんでその歳になって勉強するんですか?大学を目指すんですか?とよく聞かれるんですけど、シンプルで、今勉強したいからするんです、今行きたい大学があるから大学受験をします。これ以外の答えが見つからなくて」と話を切り出した。
田村は受験勉強を開始したここ2週間で「学びたい時に学ぶということが、一番自然な形である」と痛感したという。「世の中には学びたくないのに学んでいる人がいるのが、ものすごくもどかしい。義務教育でも学びたくない時は、学ばなくて良いと思っています。先生のこと蹴ったりするような生徒は、たぶん学びたくないんだよ」と持論を展開した。
さらに「やりたいことがあるから学ぶというこの縦の流れに、43歳になってようやく気づきました」と発見を語り、「受験のその先のことを考えながら勉強すると、1つ1つの覚えなくてはいけないこと、解かなくてはいけない問題が楽しくなる」と熱弁した。
その後は「俺は楽しんで走ってやろうと思っています。じゃないと、俺の頭には勉強が入って来ないから。とにかく誰よりも楽しんで勉強して、さらに大学合格というところまで行きたい」と意気込みつつ、「もし受験に失敗したとしても、自分の人生にプラスになると思っている」と率直な心境を明かした。
同じ境遇の若い受験生たちと、目標を共にした田村。この日はセンター試験の願書も記入し、いよいよ受験が現実味を帯びてきた。田村は合宿1日目の感想を「今日の授業だけで英語の道が開けてきたからその希望の光もあるし、現実の重い物も背負った」と振り返り、改めて受験の厳しさを目の当たりにしたようだった。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171112-00010006-abema-ent
「学びたくない時は学ばなくて良い」なんて考えてたから、中央工業にしか行きようがなくて、今頃になって後悔しています。
学びたくないから学ばすに大人になって、家庭を持ってから学びたくなって、そこに時間とお金をつぎ込める人はそういないと思う。
自分を一般的な例として話してほしくない。
たぶん勘違いしてる方は多いと思うけど…
でも、この方の言ってる事は共感出来る所も。
たぶん、なぜ勉強するのか解らない子もいるんじゃないかなぁ?!勉強出来る事のメリットがある事、知って欲しい。
何を分かったような顔して語っているの?
まず、義務教育は、「教育を受けさせる義務」つまり保護者の義務。
子どもは、「教育を受ける権利」があると定められている。
また、発達心理学・学習心理学・大脳生理学から言って、
子ども達は、その発達段階に応じた学びをしないと、
本来持っている伸びるべき到達点まで達しない危険性がある。
無責任な事を言うなよ。
責任取れないだろう?
大人が安易にそういった発言をするのは、マズイ。
自由とは基本が出来た人に与えられる判断力。
勝手気ままとはまったく違う。
馬鹿でちゅね
若い子達が勉強の価値がわからないのならそれが出来る事に価値があるということ。こういう人間に若い子は騙されたら駄目だよ。
何を期待してるの
勉強はそんなに出来なくても良いかもしれないがとんでもなく勉強出来ない子は敬語の使い方だったり集団行動など出来ない一般常識のない馬鹿が多い。
恥をかくのは大人になってからだ。
淳は芸人だから勉強があんまり必要なかっただけ。
こんなんで大学行って何学ぶのかね。
やっぱ最低限度の基礎学習は必要じゃないのかね?
まず勉強したらどう?
番組のMCしかやりたくないということでしょうか?
コメントが大多数だね。いい年こいたオヤジの一大決心だろ。
頑張れっ!て応援してやりゃいいじゃないかよ。
まるで判でついた様に叩くヤツばっかりで少し驚いた。
人生には後になって気付く皮肉な事柄がある。
若い頃の勉強もその内の一つ。最後まで頑張って欲しい。
田舎の進学校でしたが、どこの大学に行くかしか聞かれなかった気がします。
最近の子どもの学力の二極化(エリート層とそれ以外の差の大きさ)は子どもの自主性に任せて,親が子の顔色を伺い,大人としての責任を果たしていないことが大きく影響している。自主性とは,それ相応の能力があるものに対して認めないと,責任逃れでしかない。
田舎の進学校でしたが、どこの大学に行くかしか聞かれなかった気がします。
最近の子どもの学力の二極化(エリート層とそれ以外の差の大きさ)は子どもの自主性に任せて,親が子の顔色を伺い,大人としての責任を果たしていないことが大きく影響している。自主性とは,それ相応の能力があるものに対して認めないと,責任逃れでしかない。
自分のことでしょ?
日本が学ばなくてもそれなりの生活ができるのは、多くの学ぶ人々がこの国を豊かにしたからだ。
世界の現状と歴史を学ばないといかんね。
しかし若者に勉強しなくてもいいと思えるコメントは如何か。
しっかりと勉強の先にある目標を持つ事の大切さを語ってほしい。