『ハレンチ学園』『マジンガーZ』--。いまも日本男児の心を掴んでやまない、名作の数々を世に送り出してきた永井豪先生が、画業50年を突破した。半世紀以上にわたる「戦い」の歴史を紐解くべく、仕事場を訪ねた。
人類滅亡をもくろむデーモン族と、悪魔の体と人間の心を併せ持つ主人公の戦いを描いた、不朽の名作が『デビルマン』だ。
1972年、テレビアニメと連載(『週刊少年マガジン』)がともに始まったが、その内容はまるで違う。マンガ版は、人間の “闇” の部分を可視化した、超過激なエンタテインメント作品となっている。
「僕は、描きながら物語を考えていくタイプなんです。このキャラクターだったら、ここでどんなことを言うのか? どんな行動に移るのか? それぞれのキャラクターに、自分が乗り移っていく感じ。
だから、作品がどう進んでいくのか、自分でもわかりませんでした。『なりゆき』まかせで、編集者との打ち合わせも、基本的にしたくないんです」
ストーリーが進むにつれ、残酷な描写が増えていく。いまだにトラウマになっている読者は多い。
「女性の体を真っ二つにしたコマを描いたら、編集長に『これは絶対に載せられません。くっつけてください!』と言われました。
僕が『いかに人間の残酷性が表現できるのか、この衝撃が、デビルマンでは大事なんです。長い歴史のなかで、多くの戦争がおこなわれてきたという事実もあるでしょう』と説明しても、とにかく無理だと。
でも、うちのマネージャーに『大丈夫だよね』って同意を求めたら、『いや、コレはダメでしょう』って、全員から駄目出しされました(笑)。
僕自身は興奮状態で描いているから、冷静でなくなっていたのかもしれませんね。いかにインパクトを与えられるかを考えて、血気盛んだったんです」
表現方法で編集部と対立したのは、1度や2度ではなかったという。そのギリギリのラインを突き進む『デビルマン』は、一度読んだら一生忘れられない、強烈なエンディングを迎える。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190916-00010006-flash-ent
ネットの反応
「デビルマン」読んだ時小学生女子でしたがハマりました。最初は身の回りで事件が起こってるだけだったのに話がだんだん大きくなって永井豪さんのイメージがきっとどんどん膨らんでいったんですね。飛鳥了の正体に驚き衝撃的な最後でした。
あんな傑作を朝ドラで「魔界の番長」なんてダサいアニメのネタ元にされ腹立たしい。
永井豪先生は作品の幅が広くて本当にすごい漫画家だと思う
「娯楽」を追求して、人を楽しませるジャンルなら幅広く描いてる
カッコいいヒーローからエロいもの、教育教材まで網羅してる
そしてこのデビルマンみたいに社会への警鐘もしっかり抑えてる
本当にすごい
この娯楽への追求は手塚治虫先生よりすごいと個人的には思ってます
永井豪という漫画家の凄いところは
デビルマンや酒天童子、バイオレンスジャックのような
シリアスな名作も描けると思えば
けっこう仮面やいやはやナントモの様なはちゃめちゃな名作も描けるところ
こういう漫画家はほかにいないでしょう
ギャグ漫画とヒューマンドラマのどちらも名作を描いてる人なんて
いやはやナントモの
いやはや家とさてはて家の争いは
エッチで面白かったなあ
けっこう仮面も、毎回
鉄腕アトムやサイボーグゼロゼロナインなど、有名なキャラクターのオンパレードで楽しかった
デビルマンには残虐描写より人間の残虐さを学んだな。長期連載の同じような敵とプロレストーナメントみたいな漫画ばかり読んでると考える頭は身につかないね。今のガキはある意味可愛そう。
少年マンガでは勧善懲悪が既定路線だったけど、、、いや今もそうだ、だから尚さら衝撃的だった。
また何が善で何が悪なのか、ということも紙一重なもので考えさせられたなぁ。
デビルマンは人間の心を持った悪魔と、状況によって悪魔の心を持ってしまう人間を描いた傑作。
主人公のどっちが悪魔だ!のセリフは漫画史に残る名台詞だと思う。鳥肌が立ちます。
このような作品は永井豪先生しか書けないと思う。
永井先生は手塚先生を尊敬しているから。
立派に意思を継承しています。
デビルマンは本当に衝撃的。
ただ、ヒロイン一家が悪とされてヒロイン含めて周囲から血祭りにあげられる流れは今のネット社会を反映している気がする。濡れ衣で家まで特定して、、って正にそんな感じ。それを半世紀前に描いているのだから凄まじい。。
いや、描写も凄まじいんだけども。。
ハレンチ大戦争の時に、永井豪は主人公でも平気で殺すやつだ、というようなセリフがあった。山岸くんだったか?
70年代くらいまでの作家の作品は、哲学的深さを持ったスケールの大きいものが多いですね。
現代に多い、日常生活の切り取りのような枠を超えている。
たぶんWW2で日本が敗戦したことが大きく影響し、ストーリーに独特の光と影の対照を生み出していると思われる。
単純な勧善懲悪になっていない深さを持っている。
だから大人の鑑賞に堪えるのだろう。
黎明期に手塚治虫氏などが影響力を発揮したのも大きいと思う。
70年代は永井豪先生のデビルマンとか、楳図かずお先生の漂流教室など、まるであの時代に魅入られたかの様な、人間の想像力の限界を越えた作品が幾つも生まれてるんだよね。
天才と時代のエネルギーの波長が合って生まれた奇跡みたいなのが
漫画もアニメもどちらも良い
先生も仰る通り描き始めた時はあんな展開になるとは考えてもいなかったのでしょう。
小学生にはちょっと重過ぎたけど何度も読み返した。
今では連載出来ないだろうなぁ
小学生高学年のころ、ふらっと立ち読みした、デビルマンの衝撃は忘れません。その本屋の棚の色や背文字の色までがくっきりと思い出されます。掛け値なしの名作だと思います。
後年加筆されたのがやや残念です。
子供の頃にアニメのデビルマンを見ていて、初めて原作を読んだ時は衝撃だったな。
ギャップが大き過ぎて別の物として楽しめたけどな。
ちなみに、妻の実家が徳島なのだが、近所のお店の屋上にアニメのエンディングのような感じでデビルマンが腰掛けている。
女の子の肘から先と、膝から下を切り落として裸にして犬の首輪のようなもので繋いで四つん這いで這わせていた絵が忘れられない。
あれはなんという名の作品だったのだろう。子どもの頃は恐怖しかなかったけれど、大人になった今、もう一度ちゃんと読んでみたい。
どの部分が「戦争の真実」なのかはちょっとよく分からんけど…
若い女性が首を狩られたり、守ろうとした群衆にこそ自分が裏切られたり、
人間の相互不信が相互不信を増幅したり、そういうところなのかな。
戦争の、というより、人間自身が生み出す地獄というものの描写かな。
作品としては、最後のコマが本当に美しくて、恐ろしくて、
まったくの金字塔だと思う。
もちろんそこに落とし込むまでの話の運び、何より、伏線回収、
真相に近付いてからの話のテンポが速すぎず、遅すぎず、素晴らしい。
金もうけの上手になった今の出版社・編集者が手がけたら、
「せっかく人気出てきたんだからもっと続けてよ」「ああそうですか」
みたいになっていたかも知れない。
そうならなかったという点でも、良き時代でしたね。
デビルマンの美樹やタレちゃんのシーン、ジョージ秋山のアシュラ、ちいちゃくなあれが三大トラウマでっす。
カッコイイ!自分ができる範囲で表現する。被るけどカッコイイ!
女性ですが、確か『マジンガーZ』は幼稚園児時代で、『デビルマン』は小学校低学年で見ていました。今でも両方の主題歌が歌えます。私がロボットアニメ好きなのは『マジンガーZ』が原点ですね。
楽しんで見ていたのを思い出しました。
天才を笑う小林よしのり。
デビルマンはキューティーハニーやハレンチ学園の作者が描いたと思えぬ凄い世界観の作品だ。
勿論、後者二つも好きだけど。
原作版デビルマンとTVアニメ版のデビルマンの違いが衝撃的だったな。人間の残虐さがこれでもか、これでもかと描かれていた。本当の悪魔は人間!
デビルマンは日本漫画の指折りの大傑作だけど、最終ページだけは、いまだによくわからん
40年くらい前に読んだ三冊くらいの漫画のデビルマンは衝撃的だったな。
未だにラストを覚えている。
人類が滅亡し、デビルマン一族と悪魔一族との最終決戦がゴビ砂漠で行われた。
デビルマンはいろいろなストーリーがあって面白いが、この時読んだ漫画が一番だと思う。
ほんっとにトラウマの元をありがとうございました。
シベリアの永久凍土が溶けてデーモンが大量に湧き出てくる
温暖化でシベリアの永久凍土が溶けてメタンガスが噴出し
温暖化にさらに拍車をかけている現在の地球のことを当時予言していたのかとも思える深い作品
美樹の生首、タレちゃんを始め、おじさん、おばさんなどのレギュラーの死体がショックだった。
デビルマン巻数も少なく読めるのが魅力ですね
最近の返済漫画はやたらと長期連載でコミックス買う気にも読む気にもなりません
人間にとっては人間が一番残虐とゆう本質を突いており怖いですよね 特に人間の集団心理は恐怖です
単行本何十回も読破しましたよ。個人的に好きなのはシレーヌ編のカイヌとの愛ですね。出番は少ないカイヌだけど、身を呈してまでシレーヌに勝たせようとするのが忘れられません…悪魔にも愛があると分かる一面でした。
デビルマンの基本的コンセプトは大魔神と同じだと思う。
結局、神を怒らせると、善人も悪人も関係なく皆殺しの目に遭うということ。
大魔神では皆殺しの手前でいつも中止するが、デビルマンでは人類絶滅までやっちゃった、って感じ。