■三枚目俳優のキャラそのままに、20代半ばで現在に通じる特異なポジションを確立
柳沢慎吾が芸能界へ入ったきっかけは1978年、『ぎんざNOW!』(TBS系)の「素人コメディアン道場」で第19代チャンピオンになったこと。
当時、このコーナーはかなりの人気で、同コーナーからは関根勤や竹中直人らもデビューしている。
その後、1979年にドラマ『3年B組金八先生』(第一期/同)にチョイ役出演したことを皮切りに、ドラマ版の『翔んだカップル』(フジテレビ系/1980年)に出演、『翔んだライバル』(同/1981年)では主演と、
俳優として順調にステップアップしていく。そして1983年、柳沢の代表作とも言える『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)で一躍、世間的にも知名度を上げた。
同作では仲手川良雄役の中井貴一、岩田健一役の時任三郎とともに三流大学の学生役を演じ、完全に三枚目の役者としてのポジションを確立した。
そのキャラの影響もあってか、バラエティ番組では“うるさい”“落ち着きのない”キャラクターを披露。
そして1989年、とんねるずの正月特番『仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきますスペシャル』(日本テレビ系)で放送された「ねるとんね紅鮭(べにじゃけ)団」(芸能人によるねるとん)で、
元おニャン子クラブ・内海和子にフラれた際に言い放った「あばよ!」の決めゼリフでブレイク。20代半ばにして、現在にまで通じる「俳優兼バラエティタレント」としての地位を築いたのである。
■俳優ながら芸人顔負けの“バラエティ力” ジャンル不問の汎用性
柳沢の最強の武器として、「ひとり甲子園」や「ひとり警視庁24時」などの“ひとりシリーズ”がある。そもそも『徹子の部屋』(テレビ朝日系)などのトーク番組で披露していたものが評判となり、各バラエティ番組でも取り上げられるようになったのだが、
2008年には甲子園の熱闘をひとり20役で演じたCDアルバム『柳沢慎吾のクライマックス甲子園!!』を発売したり、
今年3月には、横浜スタジアムでひとり甲子園を再現する「日本一長い始球式」が話題になるなど、このネタは見事に“ひとり立ち”した。
そんな柳沢が“笑味期限”知らずなのは、その“汎用性”の高さに起因しているといえるだろう。俳優ながらも芸人顔負けの“バラエティ力”があるため、ときには芸人以上にハマることさえあり、テレビなどでの露出も途切れず、
結果的にお茶の間でも欠かせない存在として認知されていく。また、ネタにしても「ひとり甲子園」や「ひとり警視庁24時」のように
、一過性のものではなく、ある意味普遍的なネタであり、決して腐ることもない。いつの時代でも“生きた芸”なのである。
柳沢の得意技のひとつ、「あばよ!」に代表される一発フレーズも、今なお“現役”。そのほか、「いい夢みろよ」、「おい、かまいたち」、
「お前中三のとき、俺高三っ!」などのフレーズにしても、よく考えれば大したことは言ってないのだが、逆にシンプルすぎるインパクトから、やはり“普遍性”“汎用性”を獲得していくのだ。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180911-00000371-oric-ent
みんなのコメント