ロックバンドRADWIMPSの楽曲「HINOMARU」が「軍歌のよう」「愛国的だ」と批判を受け、作詞したボーカルの野田洋次郎が「傷ついた人達、すみませんでした」とSNSで謝罪した。古語を用い“さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に”といった詞は、確かに愛国的とも取れるが、そもそも“愛国”を歌うことは悪なのだろうか?今後、東京五輪に向けて、日本に誇りを持って鼓舞するような曲も多く発表されるはずだが、それもナショナリズムと断じられるのか? 今回の騒動をきっかけに“愛国ソング”の是非を考察したい。
■RADWIMPSの「HINOMARU」に批判、謝罪する必要ないとの声も
RADWIMPSは、大ヒットしたアニメ映画『君の名は。』の主題歌「前前前世」などで知られ、『NHK紅白歌合戦』にも出場した若者に大人気のバンド。「HINOMARU」は6月6日にリリースされた最新シングル「カタルシスト」のカップリングだ。
野田はこの曲についてツイッターで、「…日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました。世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」と述べ、「まっすぐに皆さんに届きますように」としていた。
ところが、日の丸に由来するタイトルや、古語による“気高きこの御国の御霊”“たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ”などの歌詞から、SNSやネットで「戦時中の愛国歌のよう」「なぜ軍歌のような曲を歌うのか」「失望した」といった批判が殺到。野田はツイッターで、そのような意図がないことを訴えつつ、「結果的に不快な想いをさせてしまった人がいたというのが何より悲しいです」と謝意を表明した。
それに対し「謝罪する必要はない」との声や、批判を問題視する意見が、ウルフルケイスケ(ウルフルズ)、きゃりーぱみゅぱみゅ、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、今井絵理子(元SPEED/参院議員)、タレントのフィフィ、『新世紀エヴァンゲリオン』主題歌などを手掛けた作詞家の及川眠子ら多くのアーティスト、著名人からも上がる事態となった。
■前回のW杯でも起こった、J-POP の“愛国”認定
影響力の強いアーティストの曲だけに大論争に発展したが、こういった事態はなにも初めてではない。2014年の『FIFAワールドカップブラジル大会』において、NHKのサッカー番組テーマソングだった椎名林檎の「NIPPON」が、同様の批判を受けた。内容は、“乾杯! 乾杯! いざ出陣”“いちばん混じりけのない青”といった歌詞が、「軍歌のよう」「愛国的」「選民思想のようだ」というものだ。
「HINOMARU」も「NIPPON」も歌詞だけを切り取れば、確かに実際の軍歌にも見られるような表現もある。だが、批判の対象になっている古語や歴史的な表現は、そこに込められた純粋な気持ちもあるにせよ、日本をテーマとした曲ではよく用いられる手法でだ。
伝統的な言葉と最新の音楽を融合させることで、より強い印象を残し、先進性を持たせることができる。椎名林檎が関わった、2016年リオ五輪の閉会式の演出にも感じられた、一種のクールジャパン的な効果を出すことに有効なのだ。
「HINOMARU」は穏やかな曲調のためそういった刺激は薄いが、歌詞とメロディ、リズムの組み合わせで、厳かで大きな安らぎを感じさせるとともに、若い人にも受け入れやすい軽やかさも併せ持つ。
■曲の背景にある、震災で感じた日本人の不屈の精神
「HINOMARU」冒頭の“胸に手をあて見上げ”る旗はもちろん日の丸だろうが、その描写は曲調ともあいまって、戦争に駆り立てるような意図は感じられない。むしろ、五輪やワールドカップのようなスポーツのビッグイベントで掲揚される国旗と、それを見上げる人々の中で生まれる自然な気持ちのようにも思える。
ちなみに、RADWIMPSは東日本大震災の直後に被災地へのメッセージと義援金を募るサイトを開設。熊本地震の際も支援のための楽曲を配信し、収益を寄付している。
「HINOMARU」について、「大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌」と語った野田。曲の背景には、災害を通して野田が感じたであろう日本人の不屈の精神、日の丸に喚起されてそれを誇りに思う気持ちが発露しただけなのではないか。
右派や左派といった思想的な意味ではなく、「生まれた国をちゃんと好きでいたい」という国を愛する気持ちから作った“愛国ソング。それは、はたして批判されるべきものなのだろうか。
■過去にはあった歌での扇動、SNS全盛の現代で可能なのか?
批判側からは、「作り手にその意図がなくても戦時中のように利用されかねない」との声も上がっている。確かに、過去には軍歌などの娯楽が、思想の誘導や国威の発揚に使われた歴史があるのは事実だ。いまだ戦争での惨禍が尾を引く、海外からの受け取られ方を気にする向きもある。
ただ、現代はネットやSNSで一般市民からも多様な意見が飛び交う時代。かつてのように、仮に権力側からの発信があったとしても、国民を一律に扇動することは不可能なのではないだろうか。現に「HINOMARU」についても、賛否様々な意見が忌憚なく出ており、物議が醸されている。ある意味この騒動こそが、現代において一方的な思想誘導が難しいことの証左になったと言えるだろう。
■表現の幅狭める“愛国ソング”アレルギー、考えるきっかけに
野田は「傷ついた人たち」へ謝罪した。それもまた純粋な気持ちからだったのだろうが、アーティストの表現には賛同も否定も付きものだし、受け取り方次第とも言える。法に触れたり人道に反しているならともかく、様々な捉え方がある中で、炎上鎮静のために謝罪しなければならないという風潮こそ、危険な気もする。
前述した及川眠子は、「左とか右とか、そういう思想で簡単に縛ってバッシングする。アーティストから言葉を奪うな、と私は思う」などとツイートしたが、当たりさわりのない歌しか世に出せないことになったら、それこそ戦時下の思想統制に近いのではないか。
2020年の東京五輪では、開会式等ではもちろん“日本”を全面に打ち出し、応援する際には自国に誇りを持って鼓舞するような曲も続々と生まれてくるだろう。日本の選手を応援するうえで、“愛国”に結びつく言葉を避けなくてはいけないなら、自由であるべき表現の幅は狭まるだけ。受け取る側も、歌詞のエッジに反射的に過剰反応をするのではなく、作品を広い視野で冷静に受け止める姿勢が必要だ。
それは、エンタテイメントを豊かにするだけでなく、自分が生きる国に対して考えることにも繋がるはずだ。そういう意味で、今回の「HINOMARU」騒動は、“愛国ソング”へのアレルギーを考え直すきっかけとするべきだろう。
(文:斉藤貴志)引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180621-00000361-oric-ent
みんなのコメント
ごちゃごちゃ言ってるのは一部のクレーマーだと思うんだよな。無視していいと思う。
自分の生まれた国を嫌いな人が多いんじゃない、ワールドカップの応援する人達の姿を見ていたら自国への愛を感じる。
自身が生まれた国なんだから……。
偏見捨てよう……。
そのような国は、崩壊の方向に進む。
無宗教で人としての指針も持てない大人が多すぎるのも、
崩壊に拍車を掛ける一因でしょう。何教でもいいですから。
基本的に人は自由でいいのだが、自分達ひとりひとりが
この国を支え、作り上げてゆくものだ…という意識は
持ったほうがよいと思う。
なんでも批判すれば日本は折れると思っているのだよ、あの低レベルの生き物たちは。
NIPPONなんて、曲調もテンポも乗ってて
これから戦いに出ようとしてる人への送る曲には
ぴったりやと思うぞ。
新参が勝手に失望したとか知るかよ
大陸の工作員は正常化される兆しが出たのでとっとと帰国された方がよろしいかと。
ここは日本です。
最近多い、批判されて謝罪するパターンはほとんどは商業的理由であって、政治的な理由ではないと思いますよ
そういう層を相手に商売していなければ、百田尚樹氏みたいにいくら批判されも痛くもかゆくもないですよね
時代を見ないで、過剰に愛国精神を批判するのは見当違いかと。個人が今の日本が好きとか嫌いとか、自由に言えなくなる社会のほうが怖い。
嫌なら聞くな、この一言でいい
日の丸とか軍歌とかがあろうがなかろうが、戦争起きるときは起きるし起きない時は起きないんだから、そこにこだわる意味はわからない。
そもそも自分の国を讃える思想を否定する人間がいるという実情があることすらおかしい。自分の国を賛美する=戦争を誘発しかねないって、どんだけ単細胞的な思考なんだか(笑)
戦争を連想する歌詞を使ってはいけないという事でしょうか?
男女の恋愛ソングしか作っていけないとしたら、日本の音楽はつまらなくなりそうだなと思いました。
愛国なんて当たり前だし、いろんな思想を持つ自由が権利として保証されてるんだよ。
意に合わない物を排除する考えこそが排他主義だろ。
ダブルスタンダードの反日左翼こそ恐怖政治を目指してるのがバレたね。
その前に
ヒステリー要因の除去をお願いしたい
捉え方で不快に思う人もいたとしても、自由主義の国で言論の自由を押さえつける、この考えはダメだと決めつけるのは良くない。色んな考えがあって良い。歌わせないと実力行使に出る輩は一種の威力業務妨害だと思う。
ボクはこの歌に心が洗われた!
大好きな歌です。
それが新聞や雑誌やテレビラジオで一日中垂れ流されている。いわゆる知識人や有名人、良識人を装っている人たちが己の自己顕示の為に躊躇なく用いている。無責任に。
世間の一般人は影響されるよね。
平和的にだとか話し合いで解決とか言っておきながら、話が通じないと理由をつけて話し合いの場を欠席する議員や、道路を封鎖してしまう自称しまんちゅとか、今回の件でも歌わせないようにライブの時にデモをしようみたいな話も一部ありましたよね。
戦争さえしなければそれ以外の実力行使は構わない、なんなら日本がやられる分には別にいいよーみたいな考え方は大嫌いです。
戦争がダメなんじゃなくて、国籍問わず市民が犠牲になるのがダメなんじゃないのかね。
反対派ほど、そこの前提が狂っているからこんな騒ぎが起こるのだと思う。
これに協力した日教組、共産党、左翼系、偽称知識人系、反日紙、メデイア、マスゴミの罪は重い。現在も国賊たちはこれに協力している。
自虐史観を破棄し、大東亜史観を回復しなければ、我が国は真に自由で独立した国家になれない。
愛国を謳う人がネットで悪さし過ぎた影響だと思う
数が多い訳では無い
自分達の、自分達による、自分達のための国家だから、その国に対する責任を引き受ける。
こういう形での愛国心は必要だと思います。
ただ、日本の場合、制度的には国民主権ですが、歴史的な問題、特に天皇という特殊な要素があって、
国民主権が国そのもののあり方と不可分だという認識がそこまで共有されていない。
そして「愛国」を強調する人に、そのような国民主権否定論者が多いことが問題でしょう。
同じ「愛国」でも、国民主権が切り離されれば、全体主義の道具に成り下がってしまいます。
個人間の愛だって、相手を尊重し思いやる美しい愛もあれば、束縛や奴隷化の言い換えでしかない場合もあるでしょう。
「愛国の何が悪いんだ」じゃなく、その「愛国」が本当に賞賛に値するものなのか、中身を厳しく検討することが必要だと思います。
「戦時中をモロに思い起こさせるワードを用いて、国際スポーツのイメージソングを書くというアーティストの姿勢を支持するか、しないか」ということなのでは?
甘美な言葉たちだから、国民をひとつにする力があるということは確かなので、批判を承知で覚悟を持って使ったという姿勢ならいいと思う。でも批判を想定していなかったと言い訳するとか、ただ謝るとかは残念。
個人的には叩き潰してやりたいけどね、