タレントの志村けん(69)が5日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへSP」(金曜後8・57)に出演、2004年に72歳で亡くなった「ザ・ドリフターズ」のリーダー、いかりや長介さんについて、涙ながらに「師匠として間違いなかった」と語る場面があった。

いまや国民的コメディアンとして知らない人がいない志村だが、芸能界入りのきっかけは高校3年生のとき、いかりやさんの自宅にアポなしで押しかけ、「(ドリフの)付き人をさせてください」と直談判したことだった。

「あまりの顔面の迫力に押された」という志村だったが、1週間後、いかりやさんから呼び出された。「お前、雇ってやる」と言われ、芸人人生がここからスタートした。

番組では、志村の生い立ちから現在までの軌跡を2時間にわたって特集。「素で出るのが苦手でじっくり話す番組にはほとんど出たことがない」という志村は照れ笑いを浮かべてスタジオに登場した。

最高視聴率50%超でお化け番組と言われた「8時だョ!全員集合」に24歳で初出演したときは「見習い」メンバーだった。テロップにも「見習い 志村けん」と表示されていた。「舞台に出ても、なんだこいつは?という空気だった」と振り返る。


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ネットの反応

1.
とにかく、国民で知らない者無しと言われたグループですもんね。もう出てこない。絶対に。
2.
頬を伝ったけんさんの”涙”がすべてかもしれない。感動しました。
3.
体調は、いかがですか?
4.
当時は「俺達ひょうきんぞく」に視聴率争いで負けたから打ち切りになったのだと思うのだが、当の志村に「当時はたけし、
さんま、伸助のひょうきん族をどう見てました?」との問いに「こっちは生放送だからあんまりみてない。ってかなんで折角どっちもおもしろい番組なのに同じ時間でやるんだ?みんな片方しかみれないじゃないか?」という思いの方が強かったと言ってました。

確かにそのとうりです。どっちも違うスタイルのお笑いなんだから戦わすのもおかしな話です。

5.
久々に良い
TVを見ました。
志村ケンには長生きしてほしいし、そろそろ『となりの志村』を見たい。
6.
志村さんがドリフの正式メンバーになる前は、加藤さんがエースでしたね。後には志村さんがエースになってもギクシャク感がありませんでした。リーダーの存在は大きいですね。
7.
言葉では言い尽くせないのですね!分かります。
8.
運も才能の一部だね。
9.
志村さん、いい人と思う。これからも頑張って欲しい。
10.
全員集合が終わってからは、実力のある志村だけが生き残ったのだな、、と思っていたのだけど、ドリフから志村へある意味世代交代したということだったんだね、、、知らなかった。
11.
いかりや氏の遺影となってる、ベース弾いてる写真ですが超絶カッコイイと思います。あれに敵う写真無いなと思うくらいに。
12.
“師匠として間違いない”って素敵な言葉だと思いました。
いかりやさんも志村さんも以前から大好きですが、この言葉をきいてもっと好きになりました。
13.
亡くなる直前の「加藤がえらい、志村がえらい」のメモ書きに涙腺が大決壊。
14.
初めて好きになった大人が親でも先生でもなく、あなたでした。
15.
雪が降る中で半日いかりや長介の自宅前で待っていたから現在の志村けんがあるんやろな!
番組の企画会議の合間の休憩時間加藤茶と将棋を指していて何気なく口にしたのがきっかけでいかりやに気に入ってもらい東村山音頭が有名になったとは知らなかったわ!


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16.
なんだか父子みたいな関係だなと勝手に思ってしまった
17.
いかりやさんがいたから4人が舞台で輝いてましたね。いかりやさんはみんなを照らすお月さまって感じました。踊る大捜線の和久さんはモーガンフリーマン位存在感がありかっこ良かった!
18.
我々もドリフを好きで、間違いなかったよ。
いかりやと志村の師弟関係の絆に、涙した。
19.
番組自体はみてないけど…記事読んだだけで泣ける。
観てたら泣いてたな~
20.
いかりやさんが本で「ドリフの中で一番コメディアンなのは志村だ」っていうようなことを書いてる。長さんも凄く認めてたんだなと思う。
21.
いかりや長介さんは愛情がある感じが伝わってきてた。だから、好きだった。俳優としても素敵でした。もう少し俳優のいかりや長介さんを観たかったです。
表ではあまり見せなかった師弟関係が強くあったんですね。面白い部分しか感じなかった、プロですね。そして、最後まで志村さんを気にかけていたなんて、本当に愛情深い人で素敵な人。最後まで慕っていたのは志村さんだけだったのかな?
22.
減点パパ。
クイズ面白ゼミナール。
23.
一時代を創った人達はカッコいいなぁ。全ての話が絵になる。
24.
志村さんの老いもかなり気になりました。
25.
ドリフやってられるころは、くちびるオバケとか顔のことをイジられまくっていたし、チビッ子も失礼ながらあんな顔いやだ・・・とでも思うような態度されていたが、俳優業に転身した、
いかりやチョーさんとともに、ドリフを観てたチビッ子が大人になってCMに出て、ウッドベースを奏でるチョーさんを見て、シブイッ!こんなイメージの年の取り方したい・・と多くの人が思ったことと思う。
26.
ドリフ世代です。
昨日の放送の中で過去の映像が流れましたが、懐かしんで爆笑する自分の横で10才と8才の子供たちが爆笑してました。
世代を超えて受け入れられる笑いなんだなぁと嬉しくなりました。
最後の共演シーン、師の影を踏まない志村さんに感動!
27.
今と昔は確かに違うが、若い芸人さんにはこの奥深い話を聞いて学んでほしい。

最近の芸人さんでM1とかの賞レースにかける思いから審査員批判したのがいたが、なんだかさみしくなる。

やっぱり、先輩から学ぶべき事、伝承する事を忘れないでほしい

28.
この人にして、この師匠あり。
29.
ドリフターズはやっぱり「神」だよ。憧れた大スターだし
30.
全員集合は終わっても、「ドリフ大爆笑」という砦があったので、個人的にはメンバー全員揃ってのコント番組が終わった、という実感は当時は薄かった。
「加トケン」は引き続き土曜8時の必須視聴番組だったが、「だいじょうぶだあ」はや趣が違っているような気がして、あまり観なかった。
やはり加藤さんとのコンビが好きだったし、今では考えられないカースタントなど、バブル期ならではのロケコントが最高だったのも大きな要因だった。
いかりやさんは、さすがにコント番組に疲れて役者に転向したように思えるが、月イチの「大爆笑」収録はあったので、気持ちの切り替えにはなっていたであろう。だから、二人が不仲であった、と言うこととはちょっと違うのではないか。


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