志村けんさん「家では味噌汁も手作り」人を愛し、独り身も愛した(SmartFLASH) https://t.co/J48YlXJ191 pic.twitter.com/bRfk7qqxoo
— KAKASHI 119 (@yourporisman110) July 17, 2020
志村けんさん(享年70)が逝ってから、7月7日で100日。あらためて、「喜劇王」の偉大さに感じ入っている人は多い。女優の川上麻衣子(54)は、「ひとりの時間をとても大切にしている人だった」と振り返る。
「飲んでいる席で師匠がよく言っていたのは、『彼女や奥さんがいたとしても、自宅では誰にもさわらせない、入らせない部屋が必要だ』ということでした。
夫婦になっても玄関は別。できれば別の部屋で、お互いに信号をつけて、青信号のときに会うのが理想だ、と。『それは違う!』と、だいぶ言い合ったんですが、師匠のなかでは、そういう一線を引きたいと思っていたようです」
モト冬樹(69)も、独特の “理想の相手” について聞いていた。
「結婚願望は、あったのよ。だから『どんなタイプが好きなの?』って聞いたら『年は若いけど、精神的には40代ぐらいの』って。いねーよ(笑)」
以前は、志村さんが気を許す飲み仲間も少なかったと、川上麻衣子は話す。
「師匠が45歳くらいのころは、可愛かずみちゃんと3人で飲むことが多かったですね。みんな独身で、しかも全員が恋人とうまくいっていなかった(笑)。みんなで文句を言いながら、誰かしらの家に行ったり、カラオケに行ったりして、朝まで。本当に、コアなメンバーという感じでしたね」
引用元: https://news.yahoo.co.jp/articles/e38f1896ae6393339f8645209c26744d7d3451f8
ネットの反応
こんなにみんなに好かれてる人だったんだね。ずっと人気だったのも納得。自分も独身だけどこんなみんなに愛される人になりたいな。
最後は人間性。勘違いして偉ぶる若いタレントはいずれ消え去る。
亡くなってこれほど悲しい他人はそう居ない
結局は孤独の寂しい人生
これも喜劇王
お笑いの中で唯一無二と言っていいくらい笑わせてくれるのが志村けんさんのコントだった
志村さん亡き今、お笑いは見てません
志村さんの御考えに激しく同意します
やはり無理してでも書斎が無ければダメ
まぁ贅沢は出来ないから叶わなかったけど子供には助言してやりたいね
みんな志村後ろ後ろをしてあげていたんだね
志村さんの死は本当に信じられなかったし幼少の頃から見続けてきた志村さん、有名人が亡くなられることは多々ある中で
志村さんに対してだけは悲しみや寂しさを感じた。
コロナで亡くなられた方々の中に志村けんさんがまさか、一等ショックです。芸人は人を笑わせてなんぼの世界なのに志村さんは笑われる芸を極めたところが凄い、笑われる芸の中でシャイで真面目な人柄が垣間見えるところも魅力でした。
悪口言う人が出てこない。売名かな?って女の人はいたけど。
素敵な人だったエピソード読んでると泣けてくる。寂しい。
「志村は死なないの、ずっと生きてる」
そう思って過ごすことにしました
志村さん大好きだけど、皆んなで現実受け止めてそろそろ逝かせてあげようよ。
これだけ毎日ニュースにあげてたら気になって向こうでゆっくりできないでしょうに
感染経路は収録現場だったのではないか?と思うんだが。
日本中、いや世界中に多くの笑いを届けてくれた本当に偉大な芸人だった。彼の笑いで心が軽くなり明日への活力となったことも幾度とある。これからも過去の映像で楽しみたい。
パチンコ台作って変な金稼いでしまった分、
余計にあるのが仇になったのかなと思う。
ないはずの金があると
価値観もおかしくなる。
コロナが落ち着いたら特集や追悼番組を改めてやって欲しい
ちゃんと送り出したい
100日かぁ……。
何百日経ってもいいから
『お別れの会』はやって欲しいなぁ。
こんな終わり方、似合わないし耐えられない。
自分も中年独身やけど、血の繋がらん人と同じ屋根の下で、しかも、家が狭くて相部屋とか、考えただけでもしんどくなる。
職場の若い子でも、結婚を前提として同棲している子の話とか聞くと、願望ある人は妬みとか感じるんかもしれんが、ワシはそれより先に、自分が置き換えたら、ストレスたまるわぁ。ワシは結婚無理や。という考えが先行する。
その点、地位名誉もあり、若い子大好きで、共同生活苦手やった志村が独身でいる理由をわざわざ語る必要もあるまい。
ただ、ワイの場合両親が生きてるからこそいえるんかもしれん。
両親もだいぶ老いてるし、よく独身は親が亡くなった後、本当の孤独が始まる。
といわれるが、
親亡きあとの孤独感と結婚に興味がない
というこの二者相反のジレンマで生きるのは辛いな
(ノД`)・゜・。
読んでいて目頭が熱くなり鳥肌が立ちました。振り返ると志村けんは日本のヒーローだった。喜劇王は寂しがりだけど孤独を愛したと思う。孤独だからこそ仲間を大切にしたのかと思う。
だからこそ皆を愛し皆に愛されたのだと思う。笑いを創作する真剣な志村けんが浮かびます。ありがとうございました。
いい記事だと思うけど、わざわざ志村けんさんの戒名の写真を撮りに行ったの?
戒名ってみんなが知りたい?
その際はお花を供えたり手をあわせた?
なんだかなー。。
一人の時間を大切に出来る方だから
自分に関わる人の時間も大事に
考える事が出来たのだろう。
だから周りの人が安心して寄ってきた
のだと思う。
自分の時間も他人の時間もお構い無し
な人は正直お近付きにはなりたくない。
ホントに天国に逝ってしまったんだんだな。
コロナさえなければ。
志村けんさんが大変素晴らしい方なのは、理解し同意しますが、いつから喜劇王になったのですか?映画やドラマで喜劇作品残っているのですか。コントやバラエティ番組が主な活躍の場かと思いますが。ご本人は、喜劇王を喜んてるのかな?
死後になって色々と普段の生活とかプライベートな情報がたくさん出てきたけど……
そういった情報を見れば見るほど、ご本人は、この手の報道を嫌がるだろうなと
人には優しく、芸にはトコトン厳しくを貫かれたんですね。高温で燃え付きあっさりと灰になられました。皆に惜しまれつつ…。格好いい生き方でしたよね。怪しいか政治家と真逆ですね。
低温で燃えてくすぶってなにもないままダラダラ生きているだけ、格好つけて無駄なプライドだけ人一倍。
本当に色々な人に愛されていたんだな
あの優しい目とはにかんだ笑顔が忘れられないわ自分も
10年前に上京して仕事で夕方4時ぐらいに麻布十番の通りをよく歩いていた時期がありますが、結構な確率で志村さんを見かけました。
通りに面したお店で、大きなガラスの入口ドアから奥まで丸見えのお店でしたので
そこで志村さんと竜さんとリーダーが向かい合って飲んでいらっしゃるのを目撃しています。
目撃したと言っても前を横切る
ほんの1、2秒でしょうか。
私も仕事中の為、特にリアクションもせず
そそくさと前を通るのですが
志村さんの一日の時間の1、2秒という
とても断片的なものですが
今思い返してみると
毎回毎回あの満面の笑みしか見ていない
ような気がします。
ほんの一瞬の光景なのですが
その笑顔を見られた時
とてもほっとした気分になれました。
正直最近の芸人はあまり面白くないなと思いながらテレビを観ている事が多いんだけど、やっぱり志村けんのコントはシンプルでわかりやすく面白かったなぁ〜と改めて感じます。
大御所の中でも変に威張り散らさず常にお笑い一筋で現役を貫き通した人もそう居ないのでは?
人はいずれ誰しもが死ぬけど、やっぱりこういう形では亡くなってほしくなかったな…
美談化されてるけど、ただの飲んだくれやで。
私も昭和、平成、零和を生き抜いた喜劇王と思うがドリフ大爆笑は仕事か特殊で子供の番組と思っていた昔昭和40年代は東横デバートの中で四人で楽器持ってやっていたその頃クレージキャッがぜんせたい
日々さびしさを感じます、
昭和のころの、お茶の間で見ていたテレビが懐かしく思います。