名女優、故・樹木希林(享年75=本名・内田啓子)さんの葬儀・告別式が東京・港区の光林寺でしめやかに営まれ、夫でミュージシャンの内田裕也(78)が喪主を務めた。
内田は黒いサングラスに車椅子で報道陣の問いかけにノーコメント。スタッフらの厳重ガードで会場に入り、帰りは別ルートでコッソリと引き揚げようとする姿が印象的だったが、
希林さんが亡くなった翌日(9月16日)に遺体と対面した際にはこんなことを言っていたそうだ。
「きれいだ。きれいだ。昔から美人だと思っていた」
会見で義理の息子の本木雅弘(52)はそう明らかにし、「(火葬場で内田は)あごの部分の骨を拾っていました。ハンカチに入れ、ポケットに入れていた」と語った。
1973年に出会い1カ月で結婚するも、すぐに別居。女性スキャンダルに警察沙汰、内田が勝手に離婚届を出して騒ぎになっても、希林さんは最期まで内田の妻であり続けた。入院中のベッドでも「会いたい」と繰り返し訴えていた。
2001年に2世帯住宅にした自宅には内田の部屋もつくり、いつ帰ってきても迎えられるようにしていた。体中にたくさんの管をつけられた状態になっても、希林さんは自宅に帰りたいと言い続けた。晩年はまた内田と一緒に暮らしたいと繰り返し語っていた。
希林さんは家族にみとられて最期を迎えるとき、電話のマイクを通じて、内田の声を聞いていたそうだ。ここまで愛され、求められた内田は今なにを思っているのだろうか。芸能リポーターの城下尊之氏はこう言う。
「たとえば映画のイベントで、熱愛などの噂の出ている女優さんにマイクを向けていると、『おい、もういいだろ!』と声が入る。
マスコミ嫌いかというとそうでもなくて、きちんと取材を申し込むと『近くに公園があるだろう』と場所まで指定して対応してくれる。
内田裕也さんは荒っぽいイメージで知られていますが、そればかりではない顔がのぞく場面が何度もあります。葬儀でノーコメントだったのは思いがありすぎて言葉にならなかったのでしょう」
■金銭面のサポートは
節目の時など内田は希林さんと会っていたことも明らかになっている。
2009年にはハワイのオアフ島でとんかつ店やカフェで向かい合って座り、キルト店では店頭の椅子に希林さんが座り、店内で電話をかける内田が「ヨロシクベイビー」としゃべる姿が目撃された。
だが、内田が希林さんからもらったものは、共に過ごした時間とは比べものにならない。金銭面でも、内田をサポートし続けていたんじゃないかともっぱらだ。
「そのあたりについて希林さんが話されたことはありません。ただ、あなたは好きなことをやっていればいいと、内田さんを常におもんぱかっていたのは間違いなく、
そうしたサポートが内田さんをより自由にしていたと思います。身の回りの世話をしてくれる女性はいらっしゃるようですけど、内田さんはこれから、希林さんの不在をより強く感じていかれるかも知れませんね」(前出の城下氏)
最愛の妻は、草葉の陰でもハラハラし続けるかもしれない。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181002-00000008-nkgendai-ent
みんなのコメント