1970年代の大ヒットドラマ「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」で人気を博し、名バイプレーヤーとして知られた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さんが24日午後3時、心不全のため都内の病院で死去した。80歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。左さんは昨年、急性心筋梗塞で倒れ、闘病を続けていた。
復帰の夢はかなえられなかった。希代の名バイプレーヤーは家族にみとられながら旅立った。昨年6月、ミュージカルの舞台を直前に控えていた左さんは、自宅で胸の痛みを訴えて救急搬送され、急性心筋梗塞の緊急手術を受けた。手術後には誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、酸素呼吸器をつけながら闘病を続けていた。
10月ごろには呼吸器を外し、自発呼吸できるまでに回復。関係者も「筋力を戻すためにリハビリが必要で入院している。良い方向に向かっている」と語っていたが、願いは届かなかった。親しい知人らは「後日、お別れの会ができれば」と話している。
左さんは愛嬌(あいきょう)のある表情と、とぼけた味わいのある演技がお茶の間で愛された。舞台関係者は「チャーミングな人で誰からも慕われた。病気でミュージカルや全国巡業の舞台を降板したことが心残りだっただろう」と語った。
1957年に同級生と劇団を結成。芸名の「左」は本名の「肥田木(ひだき)」からとったもの。20代の頃は10年ほど新宿コマ劇場で修業。先輩役者の芝居を見て学び、喜劇役者としてのキャリアを積んでザ・ドリフターズのコメディー映画にも出演した。70年代にはTBSの「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」などさまざまなドラマでお茶の間の人気者に。86年にスタートした日本テレビ「女監察医 室生亜季子」では刑事役を熱演し、20年以上続く人気シリーズとなった。映画でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」(83年)や「吉原炎上」(87年)などに出演した。
私生活では賭博事件で3度逮捕されるなど波瀾(はらん)万丈。助けてくれたのは仲間たち。小林桂樹さんは自宅に来て「これが犯罪者の家か」と笑い飛ばし、憧れの森繁久弥さんや「お母さん」と慕った森光子さんは「左とん平を叱(しか)る会」を開いて叱咤(しった)激励した。
さまざまな役柄を演じた左さん。役者人生の長くを脇役で過ごしてきたが、その存在感は主役に勝るものだった。
◆左 とん平(ひだり・とんぺい、本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)1937年(昭12)5月30日、東京都生まれ。高校卒業後、実家の寿司店で働いていた時に友人に誘われて俳優活動を始めた。57年には三木鶏郎さんの「冗談工房」に参加。人気ドラマ「時間ですよ」などで注目を集め、「銭形平次」や「鬼平犯科帳」など時代劇でも名脇役として活躍した。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180225-00000000-spnannex-ent
合掌。
謹んで、お悔やみ申し上げます…(´;ω;`)うぅぅぅぅ…
死んだ気がしない。ダンディでいつもいけてたね。
いっせーのーで、!? !? !?
ちょ、大杉漣に続きまた神俳優が死ぬとか、、、
涙腺崩壊、止まらんち!涙腺崩壊、止まらんち!
とりま、ご冥福をお祈り致しますたった。。。
個性的な人たちが次々いなくなるのは
さみしい限りですね。
ご両名に合掌。
ご冥福を祈ります
二枚目の若手ばかりのドラマは見たくない
若手も味のある名脇役の成長を望む
とてもいい味を出してらっしゃいましたね。
お悔やみ申し上げます。
あなた様がおおせの通り、人生は「すりこぎ」を実感しています。
ご冥福をお祈りいたします
俺をスリコギにした奴は誰だ!?
人生はスリコギなんだ!
もちろんさがみ典礼だよね
本当に寂しく思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
とん平のヘイユーブルースってレコードがあったな。
自分にとっての生涯の魂の歌です
誰でもいつかは来ることですが、
見慣れた人が減っていくのは残念です。
今こんな俳優さんいねぇ?なぁ
色んなドラマでよく観ました。
長いこと俳優業お疲れさまでした。
御冥福を御祈り致します。
どうぞ安らかに
ご冥福をお祈りします。