1986年(昭61)に亡くなったアイドル岡田有希子さん(享年18)の歌声が令和に再び聞ける。シンガー・ソングライター竹内まりや(64)が提供した全11楽曲を収録したコンピレーションアルバム「岡田有希子 Mariya’s Songbook」が、10月16日に発売されることが17日、分かった。まりやは発売にあたり、デビュー当時の有希子さんと自身の2ショット写真を提供。「永遠のアイドル」と有希子さんを追想した。
約2年という短い期間ながら、昭和アイドル史に鮮烈な1ページを残した有希子さん。その間、竹内は作詞作曲で9曲、作詞2曲の計11曲を提供。その全楽曲がコンプリートされたアルバムが時代を経て令和に発売される。
有希子さんの歌声が時を超えてよみがえる。竹内は発売にあたり、トレーナー姿でほほ笑むデビュー当時の有希子さんと2ショットで撮った写真を提供。
「彼女が生きていたら52歳…没後33年たった今も、あの愛くるしい笑顔と、ほのかな憂いを含んだ歌声が私の胸の奥に深く残っています」と振り返る。
2人の出会いは有希子さんのデビュー前。所属レコード会社の名プロデューサーだった故・渡辺有三氏が考案した有希子さんのコンセプト「六大学野球を見に行く山の手のお嬢さん」に合うとして、竹内が起用されたのがきっかけだった。
有希子さんは84年4月、竹内まりや作詞作曲「ファースト・デイト」でデビュー。同年シングル「リトル・プリンセス」「-Dreaming Girl-恋、はじめまして」の学園恋愛3部作は全て竹内作。
有希子さんは日本レコード大賞・最優秀新人賞などに輝く鮮烈デビューとなった。
竹内は今月4日発売した自身の40周年記念アルバム「Turntable」でも「ファースト・デイト」「憧れ」「恋、はじめまして」の3曲をセルフカバー。有希子さんに提供した曲への思い入れは強い。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190918-09170483-nksports-ent
ネットの反応
♪ほぉら、くちびぃるに、ねえええった~く。
死人を利用して金儲けかな?
そっとしといてあげて。利権しか感じない。
この事故は今でも鮮明に覚えてます。
先週BSで竹内まりや特集で生前の岡田有希子さんが映りました。不思議と色褪せなく古臭くなく今でも生きているかのような映像でした。
あれから芸能界は岡田有希子以上の人出てきませんよね。まさしくアイドルって言葉がぴったりな方でした。
彼女の亡くなった経緯を考えれば、たしかに「表だった事はしないでほしい」って思う方もいるのでしょう。それも理解できます。
でも、彼女の残した歌声は後世に残して行ってもいいんじゃないのかな。
そのために一区切りになる「33回忌が終わってから発売」にしたんでしょうし。
石原軍団にハメられてしまった。
脳ミソ破裂した飛び降り自殺!!
当時は衝撃ニュースやったな・・
佳人薄命、三十三回忌で一区切りですね。
罪を犯しても長生きする人もいれば、若年でなくなる偉人もいる。
数奇な世の中だ。
峰岸徹に出会わなければ・・・
今も昔も芸能の世界ってのはそういうもんです
子供が憧れるようなキレイなもんじゃ決してありませんよ
覚悟のない女の子が飛び込んだらそりゃ死にたくなりますって
自死したことは美化しないほうが良い
デビュー当時からcDに代わってアルバム購入声が好きでした。発売が楽しみです。
現場付近を歩いていましたがぐちゃぐちゃの脳ミソが散乱していて気持ち悪かったです
あれから もうだいぶ経ちましたね。
同い年だったし、桃子ちゃんと双璧を成す存在でしたから あの衝撃的なニュースは未だに忘れられない。
いつかまた 笑顔が見たいです。
ユッコちゃんの この出来事 当時 時代を共にしてた アイドルたちは どう感じてたのか
訃報をきいても 生放送が多かった当時 笑って出演しなければ ならなかっただろう
中森明菜さんとかは ユッコちゃんと親しかったと聞いたことがある
一般視聴者だった私でも 時々ユッコちゃんのこと 思い出して せつなくなるんだから 周りにいた人たちは今でも 思い出しては心を痛めてると思う
でも もうそろそろユッコちゃんのが輝いていた みんなに夢をあたえていた 笑顔と歌声を 素直に思い出してもいいのかなと 思えてきました
若いー。懐かしい。
一枚も売れなければいいのに。
もういい加減静かにしてあげてください。
歌がすきだった。自殺なんて、しなくても。その当時は、衝撃だった。
過労から来る情緒不安に陥っちゃったのかなぁ?
確か田舎で育ち、真面目で勉強も良く出来た女の子だったんだよね。
芸能界には向いてなかったでしょう。
家族対抗歌合戦での話を覚えている。芸能界入りに反対する親御さんに、成績でトップになったら許すと言われトップになったと。そんながんばり屋さんの女の子に、何があって死ぬところまで追いつめられてしまったのか。今でも可哀想でならない。
ドラマ「禁じられたマリコ」は当時いろんな意味で衝撃的だったよ。
生前最後のシングルで最大のヒット曲「くちびるネットワーク」。
歌い出しの「♪ねえ誘ってあげる」が「あげでゅ」と聞こえ、松田聖子っぽいな~と思った記憶がある。「天使のウィンク」の「♪願いを叶えてあげでゅ」を思い出したからだ。
当時は子供だったので、作詞が松田聖子であるとか、事務所サンミュージックの先輩だ、とかは知らなかった。
好きな曲だな、と思ったが、ファンになる前に亡くなってしまった。
当時、16で国から、神奈川に来て、大工のだった、屋根の上で仕事しながら、ラジオのニュースに、泣いても泣いても、涙が止まず、声を上げて、悲しみにくれたことを覚えています。
それから、1か月くらいは、気力もない状態だったけど、何とか、立ち直れたよ。みんなに、こんなに愛されてて、本当に、嬉しいし、良かったね。いつまでも、忘れないからね。
前にどこかのサイトで彼女が書いた詩を読んだけど、すごくすごく繊細なんだろうなと思った。心が病んでるのも感じられました。
私の中学入学の時だったかな、亡くなっちゃったの。凄く可愛くて好きだったから当時凄くショックだった。
CD楽しみだな
この人みたいに、自殺する人が減るといいな
一昨年に、名古屋出張のついでにお墓まいりしてきました。まだまだ彼女は皆の心に残ってますね。
すごく努力家でがんばりやさんと目にしたことがあったわぁ。昔ベストアルバムを買うたことがありたまに聞いたりするで。デビュー時と比べて中盤あたりで歌が上手くなったと感じられたりして成長しているのか分かるわぁ。
国生さゆりの最大のヒット曲にして、今も歌唱印税が定期的に入るバレンタインキッスを上回る売上げをあげた後に亡くなった人ね。
岡村、本田、松本…既に鬼籍に入っている人の多いクラスである。
ロンサムシーズンって曲が好きだったな
岡田有希子の自殺事件の年の前後って、子供のいじめも深刻化した時代だし、それにまつわる事件もあったね。
当時すでに
「いじめなんざあって当たり前」
「被害者(のほう)が(全面的に)悪い」(被害者も原因がある、も有)
という意見も飛び交ってた。
子供の自殺が多かった年なのは、これも原因の一つだろうね。
あれから時代は変わっても、この辺に変化はないみたいだ。