ネットの反応

年齢や経歴から人はその人物をイメージする。しかしこのイメージは、現社会システムや今の世界や社会から見たもので、それが地べたにある。非公表とすることは、その様な社会から見られたくない、つまり突き詰めると、一つのアナキズムなのだと思う。

社会システムから抜け出している存在と言えるだろう。革命家的精神持っているのかもしれない。社会がひとつの袋小路に来ている今、この様な限定的履歴非公表主義者は、今後増えてくると思われる。

なんでも見た目を求めるからでしょ。
ボカロも流行ったし、中身を見て!という人も増えたんだろうね。でも露出するからにはメディア的に良しとされるくらいでないとならない。
特に誰かに提供してもらって歌うだけの場合はそうなんでしょう。

自分で作っているなら容姿よりは作品として注目もされる。

自分の好みに合った人を応援する。
素性がわからなくても、音楽を作品として捉えるならその作品を好めばいいんじゃないかな。

収入も落ちている人も多いだろうし、働き方改革以降収入減に嘆いている者も多い。

副収入的に能力あればミュージシャンやユーチューバーとして生活成り立たせるための一助として手を出す人も多いのでは?

この方は、売れたので良いが上記理由で顔出さないという人も一定数いるように思う。

実際2〜3年前の曲が徐々に拡散されたヒット曲もあるし、素性隠してても実はソニーじゃん!ってのもいるから、一概に評価出来ない場合もある。

どっちにしても結果多くの人が良いと感じれば良い曲だと思う。

カーペンターズのボーカルのカレンさんも、あんなに綺麗な歌声だったにも関わらず、アーティストにヴィジュアル的な容姿を求められることが発端となり、摂食障害を起こしてしまい、それが原因で心不全を起こして亡くなっている。

素性や容姿を明かさなくても、良い曲は良い。それで良いではないですか。

もちろん、ビジュアルとセットで自分の歌を広めるやり方は、それはそれで良い。アーティストが表現したいものを表現できる世界であることが重要。

売れる売れないは、また別の問題だし。

昔とは全く違う時代を生きてきたSNS世代だな。匿名という安全圏から、手軽に自分を試せるという理想的なツールもみんなの目の前にある状態。そこには簡単に1000人、10000人のチャレンジがあって、中には光る1人くらいがいても何もおかしくない。この手の人間が増えるのは必然だった。

大げさに言えば、ネットが一般的になった90年代後半から始まり、さらに、ここ10年ほどは過去に例がないコミュニケーション新時代に突入してる気がする。
少ない成功例を見て、是非を語るのは無意味だが、また新時代始まったな、という感じはものすごく感じる。この流れは止まらないだろうね。

音楽性だけで勝負してるなら支持された楽曲と併せて素晴らしいことだろ。間抜けな歌番組が無くなってネット配信上で自ら音楽を求めに行く音楽ファンから支持されているのは本物だという事でしょ?

まぁ、ミュージシャンではなく、芸能人として事務所の戦略でメディアを使って人気を造りだすのも一つの姿ではありますがね。紅白に事務所枠なんてのを持たせている時点で一部の痛いファン以外にはふざけた姿勢でアーティストに対する冒とくであるとは思いますがね。事務所以上にNHKがね。

人となりが排除される事で、聞き手がメロディや歌詞に広がりを(勝手に)付与できるのが素晴らしいと思います。

具体的より抽象的な歌詞の方が多くの人が「自分の事だ」と思い気にいるのと同じく曖昧だからこそ夢があり、変に個人的な情報が出て顔の造形や年齢、好き嫌いなどを元にファンの集散があるより余程理想的な音楽活動だと感じました。

初音ミク等ボカロも各曲にあった人格をファンが付けて行ったからこそキャラクターに厚みが出て長い間人気を博しましたし、想像を掻き立てる余白って大事ですよね。

これが本当の音楽の世界だね。

テレビが主役を握ってた頃は歌手=アイドルだから、歌唱力が高くても、オーディションで容姿その他がふるいにかけられ、埋もれていった人が沢山いた。
ネット配信は有名無名関係なく、純粋に音楽を楽しめたか?が評価のすべてだから、今後こういうあり方が普通になってくると思う。

芸能活動と歌手活動が不可分の日本では、売れると私生活まで売り飛ばすことになり、住居も変えなければならず、そこまで収入が見込めない場合は、「自称ファン」の押しかけとか、特に女性の場合、芸能事務所でも守れない。

低コスト、高コスパなスタイルで、コロナ禍で、配信に重点が置かれている現状とマッチするのでしょう。でも、歌手の全身全霊のパフォーマンスこそ音楽の真骨頂という古い意見もあります。


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