史実を基にしたドラマは全部ノンフィクションじゃないとダメなの?あゆのドラマでも田中みな実みたいなミカンの皮の眼帯着けてる人が実在してないとドラマのモラルを逸脱してるということなのかな?所詮ドラマは作り話だと思うんですけどwhttps://t.co/0HfqY9RTE9
— アンブローシア@Ixion鯖 (@AmbrosiaGritti) October 25, 2020
ネットの反応
「事実は小説より奇なり」と言われます。確かに8月15日を境に180°変わった日本と日本人の暮らしには、興味深いものがあります。
エールの戦闘シーンで、部隊が全滅しなかったことが不思議でした。しかし、戦闘の激しさは伝わりました。古関裕而先生があんな経験をしているはずがないことは、当然わかりますし、戦後あの厳しい中で、仕事をしなければ食べていけないこともわかりきっています。そこはドラマとして受け入れることができます。
また、なんといってもこのドラマの中で古関裕而先生の楽曲がとても素晴らしいものであり、多彩であることを再認識させてくれたことは意義深いことだと思います。近い昔の場合、事実が記録や記憶に残っているため、実名を使うことはできないですよね。
でも、原曲を使うことで視聴者それぞれの過去を思い出させる効果もあり、引きつけてくれます。エールは素晴らしいと思います。
あくまでもドラマなのですから、このドラマを見てどう受け止めるかは、視聴者の問題だと思います。
私は、軍歌を含む昔の歌がすきなので古関裕而のこともある程度は知っている。事実関係については、記事の内容のとおりであるが、現代の価値観から見るとエールの描き方のようになるのだろうと思う。
ただ、この記事の、古関氏を含む、今の文化人等に対する批判もまた、今の価値観から当時を批判した内容であると思う。
歴史を評価するのはつくづく難しい。
私の祖父は海軍だったけど、いったん出撃して帰ってくれば体重も落ち
熱海の温泉で芸者さんと静養してたと聞いた時は驚いた。食料やお酒、タバコも豊富に配給され、休暇があればお土産として
田舎に持って帰るとみんな喜んだ、とか信じられないだろうなー。
その祖父が言っていました。
「戦争は小説や映画のようなものではなかった、さんざん泣いたり
さんざん笑ったりしたものだ」と。
戦争を伝えることは大事だけど、それを正確に伝えることは難しいと思う。
ドキュメンタリーでなく、ドラマだとわかって観ているのだから、ご本人をモチーフにしているだけと承知の上です。戦争に関わる曲も、戦後の曲も依頼を受けて仕事をしただけだし、それを誰も責めてはいけない。ご本人も、戦争で亡くなった方々への哀悼の気持ちはあったと思います。それを反省なかったと何故言い切れるのか。
本人の曲も、私はドラマの中で本物を聴けて良かった。だから、あー!あの曲を作った人んだー!となる。それが架空の曲ならあまり意味がない気がする。
こういう四角四面な融通の利かない目でドラマを見ていたらさぞかし楽しめないことだろう。「実名を使わないのなら楽曲も新たに作るべきだ」との意見には苦笑してしまう。
ドラマを作るのにいつからそんな物差しが出来たのか。
実際に人々の心を打った名曲を用いるのは当然のことだし、そうでなければいけない。
フィクションとノンフィクションの間だからこそ真実を訴えるドラマが出来る。
出来不出来はあるが過去に放送された「カーネーション」「わろてんか」前作の「スカーレット」も同じである。
特に「カーネーション」などは史実のヒロインの生きざまが凄まじく、ドラマではあれでも随分マイルドに作られていた。
ドラマはドラマとして見ることが心の栄養にもなります。
エールでは、誰もが知っている音楽という題材であるためこれまでの朝ドラとは違う面があるが、モラルを逸脱しているとまでは言えないのでは。
せっかくの感動ストーリーをこんなふうに ひねくれてディスるなんて最低!
ほとんどの人がこれは誰をモデルにしているかを知っているし、全てが事実で無いこともわかるでしょう。
その中で、曲だけが本物である。だからおかしい。そんな事考えて見ている人はいないでしょう。
新たに曲ができないのか?
馬鹿じゃないか?長崎の鐘の他に長崎の鐘を作ってどうする?
物語の表現したいものはそんな小手先の事実ではない。
人間の希望による再生なのだ。
この記事を書いた人は物事の本質を見ていない。そしてだらだらと物証を記事にしている。
つまらない。
記事の切り口になるほど感は持てたが、はなしの展開のさせ方に違和感が付きまとい、何か考えさせられると言うよりは気持ちを悪くさせらた。
ものを書くもののとしての愛が感じられないディスる態度が邪魔をして、伝えるべきメッセージを消してしまっている気がした。