台風24号が襲った9月30日、樹木希林さん(享年75)の本葬儀の取材で東京・光林寺(南麻布)に行きました。そこで信じられないような不思議なことが起きました。ちょうど娘の内田也哉子さんが“積年の親とのわだかまりが解けた”と語る挨拶をしているときでした。開式までぐずついていた空模様がうそのように、そのとき晴れていました。
希林さんも生前に見た樹齢300年という立派な桜の木そばに、アゲハ蝶が姿を見せたのです。昆虫専門家でないので厳密にアゲハではないかもしれませんが、そっくりの大きな蝶でした。
希林さんとは、ひょんなことから交流が生まれ、多くの時間を過ごす機会に恵まれました。一番強烈な思い出は訃報を伝える追悼記事にも書かせていただきましたが、式の間、それとはまた違った記憶が次から次によみがえってきて、仕事中なのに心が乱れ始めました。ヤバい、と思いました。
アゲハ蝶がくる前、小さなかわいい茶色っぽい蝶がチラチラ飛んでいました。もっと大きい蝶が来たらいいのに…などと違うことを考え、気を紛らわせていたら、うそのようにアゲハ蝶が視界の右の方からやってきたのです。何度もまばたきをして確かめたので間違いありません。
しかも、その蝶はゆっくり視線を横切ると、ふわふわと希林さんの遺影がある方に行ったのです。そしてUターンしてきて再び桜の木に近づいてきました。この蝶は希林さんかもしれない、と勝手に思いました。
この日の朝、式場に着いて希林さんの遺影を見たとき、胸が苦しくなりました。私たちメディアに見せていた豪快さとはずいぶん違って寂びしそうな表情に見えたからです。
遺影を正視せず、焼香して帰ったら、希林さんは怒るだろうな、などと考えていました。その心の中を見透かしたかのように、アゲハ蝶は飛んできたのです。
そして、「遺影」を巡って希林さんと話した記憶がその時、よみがえってきました。自分の父が、誰にも言わず遺影を撮って逝ったことを話したことがありました。
それを家族が知るのは、葬儀会社からの連絡でした。新聞記者は、毎日飽きるほど写真と接しながら過ごしています。しかし、遺影として使われる写真を撮るとき、一体どんな気持ちでレンズを見ていたのだろう、と想像すると言いようのない寂りょう感に襲われたのです。
たくさんの人を取材しながら、結局、自分に一番近いはずの親の本質的なところをまったく知らなかったこと、理解しようとしていなかったこと…。
そんなことを希林さんに話したと思います。すると「結局、そんなものじゃない? 家族だろうと。すべて理解するなんて、そんなのできないわよ、できるわけないじゃない」いつものあの口調で返されたことを、思い出しました。
晩年の10年間ほどでしたが、希林さんとは取材と関係ないことばかりしゃべっていたように思います。これからも、ふとしたとき、いろんな記憶がよみがえってくるでしょう。
あのアゲハ蝶は希林さんからのメッセージと受け止めました。取材が落ち着いた後、遺影をしっかり見て焼香し、少し涙をふいて、次の加藤剛さんのお別れの会のあった青山葬儀所に向かったのでした。(内野 小百美)
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181003-00000065-sph-ent
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