日本テレビ「スッキリ」のコメンテーターを務めるなど、メディアでもおなじみの日本文学研究者、ロバート・キャンベル東大名誉教授が14日までにブログを更新。
自身が同性愛者であることを公表し、自民党の衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことに対し、憤りと批判をつづった。
米ニューヨーク生まれで、1985年に来日したキャンベル氏はブログで「衆院議員が性的指向や性自認のことを『趣味みたいなもの』と言うのを聞いて笑ってしまった。」と書き出し、「当事者からすると、むしろ生を貫く芯みたいなものだと捉える人が多いに違いにありません」と説明。
議員による一連の発言について、「同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々をひっくるめて『生産性がない』ので『支援』に値しないという別の議員が発した言葉も、お粗末すぎて、反論する気持ちも起きません。」と無力感に襲われたことを記した。
また、「私自身、20年近く同性である一人のパートナーと日々を共にして来た経験から言うと、この国で、性指向のために身に危険を感じたことは一度もありません。」と自身も同性愛者であることを明らかにした上で、
「数年前、重い病気で入院した時も、窓口で状況を説明すると事務員から看護師、主治医にいたるまで淡々と治療方法や予後のことをパートナーにも伝え、終始、自然体で接してくれました。それは今でも、感謝にたえないことです。」と自らの体験に触れた。
そして、「積極的に排除はしないが『触れてほしくない』が日本の常識で『美風』であるなら、改めるべき時期に来ていると私は信じます。」と日本社会のLGBTに対する“態度”について意見し、
「アンケートにLGBTが『周囲にいない』と答える日本人が多いのは、存在しない、ということではなく、安心して『いるよ』と言えない社会の仕組みに原因があります。ふつうに、『ここにいる』ことが言える社会になってほしいです。」との思いを訴えた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00000099-dal-ent
みんなのコメント
そもそも人は誰であっても差別すべきではありません。キャンベルさんの仰る通り、それで偏見の目にさらされたり、まして差別するのは間違えていますね。
私の嗜好は至って普通ですが性的な興味を持った思春期に、自分だけ変態ではないかと悩んでいました。大人になり、その願望を本能的に求めてくれる女性がいる経験が出来て、またその価値観を何度も会話や行為で取り交わすことで、そのコンプレックスが解消出来ました。
しかしLBGTの方々はそれを確信する機会が限られていると思います。アイデンティティーが世間から理解されず否定批判されるほど辛いことはないと思います。
だからこそ自ら告白して、同じ苦しみをしているかも知れない人を励ましたいと考えるのでしょうね。価値観が共有出来る者同士が一緒になることは素晴らしい出会いだし、有意義なことです。自分と違う嗜好を認めず、積極的に批判することは、明らかに間違えた行動ではないでしょうか。