90年代終盤、モーニング娘。やCHEMISTRYらも輩出した『ASAYAN』(テレビ東京系)のオーディションを勝ち抜き、小室哲哉のプロデュースでデビューした鈴木亜美。一躍“あみ~ゴ”の相性で親しまれる超人気アイドルとなり、一時代を築いた。
結婚を経て現在は一児の母。今年でデビュー20周年となるが、最近では“激辛女王”として新境地を開拓しバラエティーでも活躍している。前編では華やかな足跡の表と裏を振り返ってもらったが、後編では休業期間に感じていたこと、そして今後の展望を聞いた。
■休業中もポジティブ「諦めなければ大丈夫」
華々しいデビューから紅白歌合戦出場とスター街道を歩んだ。しかし、人気絶頂の最中、鈴木は2001年から3年にわたり、活動を休止している。「必要な時間だったと思います。普通の人に戻って、家族との時間も持って。
遊園地に行って並んでいたらバレちゃって、人が集まってすごいことになって、追い出されちゃったんですけど(笑)。リフレッシュできたし、20歳になって、次のステップに行くためにどうしたらいいか、自分に問いただして考えられました」。
ダンスレッスンを受けたりしながら「諦めなければ大丈夫」と再出発に備え、インディーズからのCDリリースや学園祭ツアーで活動再開。エイベックス所属となり、2015年5月に5年ぶりとなるシングル「Delightful」でメジャー復帰した。
「10代でデビューしたときより、自分から『やりたい』と言った分、プレッシャーや責任感はありました。お休みしている間も応援してくれていたファンの方のためにも、まずは直接会えるライブをやりたいというのがすごくありました」。
また、10代の頃からの料理好きが高じて、フードアナリスト2級の資格を取得。安産レシピの本を出版し、インスタグラムには1歳の息子の離乳食をアップして話題になるなど、新たな活動の場を切り開いてきた。
さらに最近では、激辛料理を涼しい顔で平らげることでもお馴染みに。「前から辛いものは大好きでしたけど、わざわざ激辛にチャレンジはしてなくて。
『有吉ゼミ』の激辛グルメに出たら、意外とペロッと食べられて、そこまで辛いとも感じなかったので、自分が異常だと気づいてビックリしました(笑)。
そういう企画に呼んでもらうようになって、食べるだけでいいならもちろん出演して、ハッピーですね。今のところ、自分が芸能界で一番、激辛はイケると思います!」。
歌手としてはこの夏、アイドルフェス『関ヶ原唄姫合戦』にスペシャルゲストとして出演した。「現役アイドルのファンのなかで、昔から私を見ていてくれた人もいたのか、昔の曲のメドレーで一緒に歌ってくれて大合唱になりました。温かかったですね。
お客さんがグルグル回るの(サークルモッシュ)は昔はなかったので、見ていて面白かったです(笑)」。今のアイドルからすると彼女はレジェンド的な存在。「エイベックスの子もいて挨拶に来てくれたんですけど、逆にこんなママさんが来ちゃって申し訳ない(笑)。
今はグループが多いじゃないですか。私はずっと1人でやってきたし、昔とは雰囲気が全然違って、バトルをしているような気合いを感じました。衣裳とかは可愛らしいけど、体育会系ですごく男気があるなって」。
■母親としての思い 育児も仕事も手を抜かず「子どもが自慢できるお仕事を」
活動が多岐にわたるようになったなか、支えになっているのが息子の存在。「自分の人生がガラッと変わりました。
子どものためにも仕事を頑張りたいと、気持ちがピシッとします。ごはんもミルクに始まって、グチャグチャの離乳食からだんだん固いのになってきて、おいしそうに食べてくれる姿を見ると、『もっとおいしいのを作ってあげたい』と思います。
今ちょうどイヤイヤ期に入って、この前も、地ベタでウェーンとなってました。『男の子にはあまり手を貸さない』と思って放っておいたら、向こうもしぶとく床にへばり付いていて。我が強いのは私に似たかな(笑)」。
幸せではあっても、仕事と育児の両立には大変な面もありそうだが…。「今は近所のママ友グループにどう飛び込んでいくかが一番の悩み(笑)。育児も家事も全部私がやっているので、スケジュールを組み立てるのは大変です。
でも、慣れてしまうとひとつのセットになって、それも楽しいというか。高校生の頃、この世界に入って、一つひとつの仕事を『これは何だろう?』と思いながらやっていたのと同じように、育児の一つひとつを『何だろう?』と感じながら楽しんでいます」。
そんなポジティブさとマイペースぶりは20年前と変わらない。「変わらず楽観的だと思います(笑)。新しいことにチャレンジするのが好きなのも、ちょっと飽きっぽいところも変わりません(笑)。
でも、母親になってやることが増えたので、そのときごとに一番見なきゃいけないことを見逃さず、やっていけたら。家族の時間も大事だし、仕事も大事。ちゃんと楽しんでやることが一番ですね」。
では、これからさらに30周年、40周年に向けた目標は?「いや、何か恐ろしいので、もう考えません(笑)。本当に10年はともかく、20年までやれるとは思ってもいなかったので、これからも目の前のことをやっていくだけ。
ただ、10年後には子どもも11歳になっていて、お母さんがこういう仕事をやっていることもわかっているので、子どもが自慢できるお仕事をできていたらいいですね。そのために、変わらず強くありたいです」。
(取材・文/斉藤貴志)
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180804-00000312-oric-ent
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