7月17日、亡くなってから31年目を迎えた芸能史に名を遺す昭和の大スター・石原裕次郎さん。
31年前の昭和62年7月17日、その華々しい生涯に幕を下ろした。
7月19日に放送された「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、妻だからこそ語ることができる石原裕次郎さんの素顔に迫った。
結婚する時の約束に慣れるまで8年…
命日を前に、生前、裕次郎さんが過ごした邸宅を訪れたMCの坂上忍。かつて石原プロ制作の連続ドラマにも出演するなど、彼らとの関わりは深い。
そんな坂上さんを迎えてくれたのは、裕次郎さんの妻、まき子さん。
かつて女優・北原三枝として裕次郎さんとともに日活の“ドル箱コンビ“として活躍していた。
稀代のスターである裕次郎さんのデビューは、兄である石原慎太郎さんの作品「太陽の季節」が芥川賞を受賞し、1956年に映画化された作品に裕次郎さんが端役で出演したことがきっかけ。
この出演がまき子さんとの出会いとなり、裕次郎さんの初主演映画『狂った果実』での共演を機に交際を始めた。
それから裕次郎さんが出演する映画や作品中の歌が次々と大ヒットし、日本で空前の“裕次郎ブーム“が巻き起こる。
一方、2人は結婚を視野に入れて密かに交際を継続していたが、当時の芸能界ではトップスター同士の恋愛はご法度だったため、駆け落ち同然でアメリカへ婚前旅行へ行ってしまう。
なぜ裕次郎さんは、クビを覚悟してアメリカ婚前旅行を決断したのか。
「周りのスタッフさんたちは認めてくれましたが、会社が認めなかったんです。私もその時は、会社が反対していることはいけないことというのは常識で分かっていましたから。でも、どちらを選ぶかとなったら裕次郎さんを選ぶ。会社に抵抗して実力行使です。そうしたら社長から『結婚を許す、帰ってらっしゃい』と。帰ったらまた飛行場が大騒ぎですよ」(石原まき子さん、以下同)
帰国した2人を約200名の報道陣が待ち構え、2人は謝罪会見を行った。これが日本で初めての謝罪会見だと言われている。
そして、2か月後には結婚を発表。
まき子さんは女優業を引退し、家庭に入って裕次郎さんを支えることを決断した。普通の旦那さんとしていてくれたというが、結婚する時にある約束をしたという。
「ネオン街が嫌いな人じゃありませんから。キレイどころ大好きな人ですから。結婚する時に約束があるんですよ。『お酒は飲みます』『お友達は家へたくさん来ます』『ネオン街から足は洗いません』それに慣れないとダメなんです」
この約束をまき子さんは許し続けたが、慣れるまでには8年かかったという。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00010011-fnnprimev-ent
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