熱戦が繰り広げられている平昌オリンピック。メダルの期待がかかる日本人選手が続々と登場してくるなか、気に掛かるのは、その期待通りの結果を出せなかったときだ。これまでオリンピックなどのビッグイベントではしばしば、日本人選手がテレビの向こうにいるファンに向けて、涙ながらに謝る姿を目にしてきた。なぜ日本人選手は“謝る”のだろうか? スポーツの勝敗は誰のものなのだろうか? 平昌オリンピックが開催中で、東京オリンピックを2年後に控えている今だからこそ、あらためて考えてみたい。(文=谷口輝世子)
期待通りの結果を残せなかったとき、ファンに対して謝るべきなのか?
日本の選手はお詫びの言葉をよく口にするような気がする。期待通りの結果を出せなかったとき、チームの足を引っ張るようなプレーをしてしまったときに「申し訳ない」と言う。
私がそんなことを感じたのは、2016年リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピックの頃だった。米NBC局が映し出す米国選手は、負けたときでもあまり謝らず、サポートしてくれた周囲、応援してくれたファンに感謝の言葉を述べていた。それと比較すると、日本の選手はよく謝っていた。これは文化の違いから来るものだから、どちらが良くて、どちらが悪い、という種類のものではない。何かをしてはいけない理由を教えるとき、キリスト教文化圏では「神の命令だから」、日本文化圏では「他人に迷惑を掛けるから」とされることが多いことも影響しているだろう。
それでも、日本の選手が、記者会見で「申し訳ない」と絞り出すのを聞くと、私は心苦しい気持ちになる。スタッフやチームメイトら身近な人に謝りたいと思うのは、当たり前のことかもしれないが、テレビ画面の向こうにいる人たちにも謝らなければならないのか。不祥事の会見でもないのに。
結果を出せなかった選手がお詫びするのには、それぞれの事情があるだろうが、ここでは、私なりの考えを綴ってみたい。
報酬系を活性化させるマスメディアの報道
選手たちは、期待に応えられなかったことを申し訳なく感じているようだ。各競技団体、指導者ら、選手を直接的にサポートしている人からの期待がある。オリンピック・パラリンピック級の大きなスポーツイベントになれば、世間からの期待も膨らむ。
世間からの期待に少なからぬ影響を及ぼしているのが、マスメディアだ。マスメディアは選手への期待を煽りがちだ。
人の脳には報酬系というドーパミン神経系がある。報酬系は「心地よい」という感覚を生むための装置だ。例えば、喉が渇いている人が水を飲むと、報酬系は活性化する。実際に水を飲んだときだけでなく、もうすぐ水を飲むことができると想像するだけでも活性化するそうだ。人間は報酬系がゴーザインを出した行動を選ぶようになっているという。
これをスポーツ報道に当てはめてみる。これから始まる大会で、日本の選手はメダルを獲得できるかもしれない、と期待を込めた文脈で報じる。視聴者、読者は、応援する選手の活躍を想像するだけで、報酬系が活性化されるのではないか。胸躍る瞬間を逃したくないと思い、中継や記事を求めるのではないだろうか。マスメディアは、できるだけ多くの人に試合中継を視聴してもらう、記事を読んでもらうことでビジネスが成り立っている。だから、無意識的であれ、意識的であれ、期待させるような報道になっている。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180215-00010004-victory-spo
ステレオタイプを言うのは良くない。
もしも自分が「謝罪」するなら、国内で代表を争ったライバルに「ベストパフォーマンスができなくてごめんね」ってとこだろうか?
何て言われても「自分の為にやってください」って応援したい。
あやまる必要なんて 何もないと思う。
でも こういったコメントをするのは
やっぱり 日本人のやさしさだと思うな。
オリンピックに出られたのは
自分の実力なんだけど
そこに行くまで いろんな人が
精神的、金銭的に 競技活動を支えてくれてることを
常に 忘れないってことだよね……
選手が 他人を思いやる心
お世話になった 恩を 絶対 忘れないことを
大切に思っていることだと思う
日本人の持つ 美徳のひとつだよね
でも 選手には メダルよりも
精一杯 最後まで 頑張ってくれるのが
感動するし
最高の恩返しだと思います
がんばれ 日本 応援しますよ!!
謙虚でいいよ。何ら問題はない。
「あいつでダメなら仕方ない」と国民は納得すべき。
選手も、もし謝るのなら競技関係者だけで良い。
そうゆう気持ちになるのも致し方なし
脳を変えないとダメでしょう。
この写真の鬼塚選手
今までお世話になった人に対して
期待に応えられずごめんなさい・・・
ってことでいいのでは?
そもそも、そう言わせる場を作るメディアがいるからの他にない。
スポンサーとかになら判らなくもないが。
つか、謝る姿を放映して喜ぶマスコミは〇ね。
過去に五輪でメダルも取ってない選手を、今度は取れる・間違いない・ワンツーフィニッシュ・等々、メダルを取れると言わないとゲストじゃない雰囲気でニワカ解説者達が競ってますが。
日本人が取れる金は数少ないでしょう、銀は前回同様、銅は優勝候補者(勝手に日本人が期待した人達)が運が良ければ取れるでしょうのレベルです。
いざメダルを逃すと「原因は何」と言うよね(笑)
選手にも二通りあるけど。
「本気で金メダル取りに行く人」
「参加できれば十分の遊び半分の人」
気持ちが違うから、謝罪の仕方も違うように感じる。
そこで謝りたくなる人だっていますし、次こそは良い結果を持ち帰って報いたいと闘志を燃やす人だっていますので、どちらが良いも悪いとも言えないし、必要の有無で言うにも人それぞれ、どちらでも良いです。
問題はそこで挫折しない事が大事だと思います。
責任感があるのでしょう。日本人の良いところ、文化でもありますよ。
この件に関し 騒ぎ立てず そっと、して上げて下さい。
感動します。
スポーツ選手の方々、真面目で責任感を感じすぎることで体も心も壊れてしまったら悲しいです。
チャラいから頑張っていないのではなく個人の自由だが応援するかも本人の自由。選手は4年に一度選ばれる
代表でそこには代表に漏れて悔しい思いをした選手もいる。訳があってオリンピックに出たかった選手もいる。その人たちに勝って代表になったんだから自然に
謝罪が出るのも当たり前だと思う。
開催国であるブラジル代表は準決勝でドイツに敗れた。
試合後のインタビューでダビドルイス選手は
泣きながら国民に謝罪していた。
応援してくれる人たちの気持ちを背負って
懸命に闘ってそして敗れた時、ごめんなさいという言葉は
自然と出てくるのではないかな。
日本人に限った事ではないと思う。
選手が謝るのは自由だが、ガッカリはないだろ?
頑張ったことに対しては拍手を送るべきじゃない?
結果出せませんでしたが何か?ベスト尽くしましたけど?そんなこと言う人は見たくない。でも勝てなかった、メダルがとれなかった、ベスト出せなかった、それはそれで仕方のない事だと思って労ってやるのが外野。
メダルを取ったって、他の国と違って政府が何かしてくれるわけでは無い。
日本の政治家は自己利益ばかり重視して、ケチな輩が多い。
もう少し、選手にサポートしてあげてもいいんではないか。
国際大会が行われる時期にいつもこの論議がなされるけど、変に曲解して一部の選手が傲慢にならないためにももう必要ないと思うよ。
スミマセン「手を抜いたプレー」をしましたとしか見えないし、不快感を感じる。
選手自身も
「誰の為にプレーしているか」をもう一度考え直して欲しい。
自分名声の為に頑張っているんでしょ、国の為に頑張りました?おかしいよ。
彼らの態度や気持ちをこちらがとやかくいう必要もないし、彼らもこちらのことは考えず、自分のために行動すれば良い。
何でも欧米と比較して論じるのはどうでしょうか。
見ず知らずの人にまでしてないと思う