東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、学校幹部と市教委の組織的な過失を認めた仙台高裁判決を不服とし、市が上告する方針を固めたことが7日、分かった。
亀山紘市長は上告関連の議案を市議会に諮るため、丹野清議長に臨時会の招集を伝える。県も同調する見通し。上告期限は10日。
4月26日に言い渡された控訴審判決が津波予見性に関するこれまでの最高裁や高裁の判断枠組みを超えているなどとして、最高裁の判断を仰ぐとみられる。
亀山市長ら市幹部は4月28~30日、市議会の全会派に判決内容を説明。亀山市長は今月1日の報道各社の取材に「上告するかしないか、どちらもリスクがある。そのリスクをどのように最小限にするか検討中だ」と述べ、大型連休中に検討する考えを示していた。
控訴審判決は、大川小の一部学区が津波浸水予想区域を含み、校舎が北上川堤防に近接することから「津波を予見することは可能だった」と認定。
同校の危機管理マニュアルの不備を厳しく指摘するとともに、市教委は同校のマニュアル内容の確認、指導を怠ったとして組織的な過失があったと判断。市・県側に計約14億3610万円の賠償を命じた。
同校では児童74人と教職員10人が津波で死亡・行方不明になった。2016年10月の地裁判決は市・県に計約14億2660万円の賠償を命じ、遺族と市・県の双方が控訴した。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180507-00000001-khks-soci
みんなのコメント
生き残った私たちは、このことを教訓として後世に伝え、同じ様な悲劇が起きないようにすることであり、いがみ合うことではないと思う。
自分も同じ立場だったとしたら、よく理解できます。
あの判決は被告からみれば温情判決だったよ。
もし俺が裁判官だったら単なる金銭賠償に留まらず、小学校を設置した公務員どもに死刑判決を言い渡すよ。
それくらい大川小事件では公務員どもの不作為が浮かび上がったね。
過去を振り返ってあーだこーだなんとでも言える!だけれどもあの時はあの判断が正しいと思って判断したんだ!
あとになってなぜこうしなかったとか?お前が悪いとか!冗談ではない。
今することは後世に地震、津波対策をしっかり検証して対策を考えていくことだ。
あの大災害で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
それを人のせいにしたり、人を恨んだりしたら辛いだけだ。
金儲けの手段にしてる「人権派弁護士」に乗せられても救われない。
そうでないなら他人を批判して損害賠償を求める資格はない。
これを認めたらゴネ得くの不公平な世界になってしまう。
税金から支払われるのだから他の被害者たちは二重に被害を受けることになる。
行政側も
結果論で裁かれてはたまらないだろう。
彼処まで津波が来ると公的機関が予見できたというのは無理筋。
記録も無いのに、どこまで予見すればいいというのだろうw
裁判官に問いたいよwあなたはアレが来る前に予見できたのかと。
そも、税金で職員の責任を震災に転化するんじゃあないよ。
どうも原告側は自分達の私利私欲の為だけに動いている気がします。
市や県を疲弊させる行動は、市民県民全体からみたらマイナスでしょう。
この一部の被災者の訴えについては、最高裁では棄却してもらいたいです。
裏山や高台、近くの大きな会社やマンションなど、そういったところを把握しておき、尚かつ安全面もチェックしておく必要がありますかね。
先生も、普段は学校で勉強も運動も教えて、子どもたちを支えて、って中で、本当にしんどいと思うけど、各家庭も含めて、地域で一体となって、子どもたちを守れる社会を作っていけるといいなと思います。
、遺族を「金の亡者」呼ばわりする意見が必ず出るけど、そういう人たちは知らないのではないか?
国や自治体の責任を追及する法的な手段は国賠請求しかないということを。
遺族は本当はおカネなんかほしくないと思う。
死んだ子供たちを返してくれと言いたいだろう。
だけど、それは叶わない。
だったらせめて反省してほしい、もう二度とこのような悲惨な事故は起こらないようにしてほしいという意味で国賠請求を提訴しているのだろう。
遺族を「金の亡者」呼ばわりするのは筋が違うと思う。
悪しき判例につながってしまう
それだけ、「行政側」の責任は重いと思います。
「あれだけの津波を誰が予想できたか」という人もいますが、「予見できたはず」と申し上げます。
地層やこれまでの歴史的被害が分かっているだけでも、とても「予想を上回る」とは言えないはずです。
住民や個人は、「考えもしなかった」でも通用しますが、行政はそれでは言い訳になりません。
福島原発も、充分予見できた事は明らかになっているし、当初もっと高台に建設する案もあったが、結局実現せずに今回の悲惨な状況を防げなかったのです。
大惨事には、必ずそのヒントとなる事が事前に発生しています。
それを、如何に「問題」として捉えるかがとても重要なのです。
「行政」は、「まさか、、、、だろう」ではいけないのです。
今、行政の姿勢が試されているのです。
今回を機に「自己防衛」より「市民・国民」目線を加速させて欲しいと思う。
最悪の津波を想定していながら、
対策がいまいちだった福一。
とりあえずのマニュアルだけで、
専門知識のない公務員が対応した大川。
相当、レベルが異なる話。
でも、結果は同じ。
結果は同じ。
奪われた事実を紳士に受け止め裁判の判断を尊重すべきでは。
もしどうしようもない理由で行かせなければいけなかったのなら、私なら仕事を投げ出してでも我が子を迎えに行く。
1000年に一度の大津波に先生が対応できるかどうかわからないでしょ?
こんな大惨事が起きる時に、仕事を投げ出したって、誰も責めないでしょう。もし本当に想定できてたのなら。