小柄な身体は高さ4mのポールに体を預けたとたん、全身の筋肉が力強く躍動した――。ポールダンサー・坂井絢香。2015年、競技歴わずか3年で「ミス・ポールダンスジャパン大会」のチャンピオンにのし上がり、2018年にはアジアチャンピオンを決める「Asia Pole Champion Cup」で準優勝を果たしたポールダンス界のホープだ。現在、ポールダンスを“天職”と語る彼女だが、その裏には、人生の大半を費やしてきた夢との決別、依然続く「偏見」との戦いがあった。
■12歳で決めたダンサーとしての将来、20代での挫折
ダンサーになるという夢を描いのは、早くも12歳の時。出会いは一瞬だったという。
「5歳からモダンバレエを始め、本格的にダンサーになりたいと思ったのは、小学校6年生の頃です。『劇団四季』の舞台を観る機会があったのですが、スポットライトを浴びて踊るダンサーに一瞬で魅了され、私もこんな風になりたい!と将来の夢が決まりました」
ミュージカルができるよう、学生時代はバレエだけでなく、新体操、ピアノ、声楽などの稽古に明け暮れた。学生時代はいわゆる“青春時代”らしい経験はない。
でも、やめたいと思ったことは一度もなかった。“好き”というのを超えて、踊ることが生活の一部になっていたという。しかし、3度受けた「劇団四季」のオーディションに落選し、苦悩の末に断念した。
「バレエを続けてきた私の経歴が否定されたようで辛かったですね。でも、バレエを趣味で終わらせたくなかった。その想いが前に進む原動力になりました」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000315-oric-ent
ネットの反応