元サッカー日本代表FWでタレント・武田修宏(51)が27日放送のTBS系「消えた天才」(日曜・後7時)に出演し、全国高校サッカー選手権の得点王になるのは「国の首相になるより難しい」と豪語した。
番組では「高校サッカーの得点王は今」という企画を放送。1983年当時に清水東高サッカー部に所属していた武田が解説として同番組にVTR出演し「視聴者の皆さんは、面白いおじさんとしか思っていないかもしれないけど、1年生で10番をつけて得点王になったのは僕1人だけ」と自慢した。
番組スタッフから「得点王になるのはどれくらいすごいことなんですか?」と質問されると武田は「東大に入ることよりすごい」と私見を語り、「国の首相になるみたいな感じでしょうか。それぐらい注目を浴びたり、背負うもの」と個人の見解を示した。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190127-00000210-sph-ent
ネットの反応
サッカーしてたらそう思う人もいるのでは?
確かに凄い事だと思う。
まあチャンスは3回しかないし、しかも1年生という枷もあるならそうかもしれない。比較対象がよく分からないから何だかなという感じだけど(笑)
首相は、お坊っちゃんなら1確。
そんな事はないし、政治の事が分からない人が比較対象に首相持ち出されてもね。
よーく記事を読むとタイトル捏造してるよね。
とにかく凄い選手だったってこと。
面白いかどうかは別やけど、難しいことの例えで武田さんのアタマに浮かんだのがソレやったんやろ?
例えなんやから別になんでもえーやん。
それをつまみ上げてあーだこーだゆーてるヤツ達の心の狭さが惨めやわ。
まぁ実際に、この方が得点王取れるぐらいの時代のサッカーだからね?。
言いたい事を言わせておけば良いんじゃないっすか?
正直、一度も上手いと思ったことないし!
バカらしいコメント。
武田にマジレスするなと。
ただ、武田のサッカーの才能は口だけでなく凄まじいものだったんだよ。
いい歳してなに言ってるんだ。
いい加減ちゃんとしたら?
そりゃそうだろうが、世襲政治家の家に生まれる事は確率から言えば相当低い。 しかし費やした努力の量は世襲首相なぞは及びもしないがね。
首相になった事ないのに、難しさがわかるのがスゴイ。
武田は首相になるより難しいなんて言ってないし。タイトルでミスリードされるわ。
高校の時、Jリーグかなり、ごっつあんゴール多いような気がするけど…
俺、ドーハの悲劇は武田がシュートかパスかわからんボールを蹴って相手に渡ってあの悲劇が起きた思ってるから、俺?あの時ボールをキープしてたら、結果違ったかも?結果論ですが…
質問に対する返しも返しだけど、そもそも得点王になるのはどれくらいすごいんですか?って質問がおかしい
どれくらいすごいかって、聞かなくたってわかるだろうよ
1番なんだから、
野球で言えばホームラン王や打点王と同じ感じなのかな?
野球はあまり見ないけど、その肩書きがついてたら誰だってすごいと思うでしょ
それと一緒だよ
聞いてるやつが頭おかしい
馬鹿丸出しの発言
ごっつぁんゴールのイメージがある。
それも才能だろうけど…
いやいや東大に入る方が100倍難しいやろ。首相なんて比較にならんほど難しいやろ。あんたの時代はさほどサッカーは難しくなかったやろ。
やっぱり武田はただのアホやな。
実際武田は本当に凄い人なんだけど、小馬鹿気味にイジられる理由が何となく分かるような…。
意味のわからないコメントです。よくこれを記事に。
たしかに名門高で1年から10番で全国得点王はすごい。
ワールドカップも出られない、プロリーグもない、当時の日本サッカーの大会で世間が注目する最高峰の大会だったのは事実。
彼のサッカー選手時代の昭和末期から平成の自民党の総理大臣と比べれば間違ってないよね。
能力なくても誰かに担がれてなれたのは事実だし。
ん?
甲子園のホームラン王ならまだしも比較対象が全然違う
例えが下手
自慢するのも過去の栄光みたい
まぁそう言うキャラで売ってるから仕方ないですね
やっぱ頭わりーなこいつ
この勘違い野郎は昔からウザい。全くかっこよくないし、こんな奴がモテてたのが意味不明。カズのプロ意識を少しでも見習え。早く消えて。
首相になったことない奴が言うなよと思うけど、
まあ、武田にそのあたりを期待する方が間違っているよなwww
清水東 って こんなアタマ悪い学校じゃないですよね、トップレベルですよね。
当時 長谷川健太・大榎・堀池の3羽ガラス +武田 凄かったです。
練習場、女子高生がいっぱいに取り囲んだとも言っていたな。
この手の例えは得点王と国の首相経験者が言わないとねこの場合は、首相経験者に失礼。
ある意味、世界的に有名なスポーツであるサッカーの国の代表になるような人もサッカー以外のところでは、人間としてはこの程度のものなのか、と感じる。