ネットの反応

新潮側が確たる証拠を提示しなければこの裁判は新潮側の負け。

なかったことの証明はあったことの証明よりはるかに難しい。新潮が「あった」と証明するしかないよね。

証拠の提示義務は疑惑を投げかけた側にある。どういう結末になるのかはしっかり見ておきたいなと思います。

裏口入学ってなんだろう?スポーツ推薦や学校推薦やOA試験やら、色々一般試験と違うものはあるし、一般試験の人からしたら、面接や作文みたいなだけでって人もいるし、私立ならお金が無ければ運営も出来ない。

寄付金を募る学校もあるし、そのお金で施設や有名ない人を雇うし、本人は成功しているんだから、大学を売りに出たわけじゃないし、自分じゃなく亡くなった親が関わる内容なら仕事に支障があっても名誉を回復させてあげたい気持ちもわかる。

忙しい時にこんなくだらん事に付き合わされて、時間と金と労力は確かに虚しいね

だって裏付けなく何を書こうが、これをダシにして雑誌はもう売れちゃって儲けてる訳でね?売れれば何でも構わないと言う態度はちょっと
いつも思う事だが満額の損害賠償払っても痛くもかゆくもでしょ?

やったもの勝ち、言ったもの勝ちみたいなね!
有名税と割り切れんものはあるよ、低俗だよ昔から出版社のやってる事は

芸能人だから反論してくるはずはないと出版社もタカを括ってたのでしょう、大袈裟に書いても。勝っても負けても結果が出る頃は世の中は忘れているだろうから言った者勝ちですね。どうせ負けても金も満額とはならないだろうし。
裏口入学が事情か虚偽かは、お父さんが亡くなられているので何とも言えません。
でも太田さんは自身の事より、お父さんの名誉を守りたいと言う事はとても伝わるし、理解出来る。
父親の名誉を守るため裁判まではなかなか出来ない事。新潮の証拠もそれなりに信憑性のあるものなのか。
子(太田さん)が知らない所で裏口入学に関する取り引きがあったのか。

ここまで来たのだから頑張って真実を明らかにして欲しい。

明らかにすべきは、日大が太田の父親からお金を受け取って太田を合格としたという証拠を新潮社が持っているかどうかじゃないのか。太田の父親が亡くなっていて証言できない以上、金銭授受について太田に聞いても何にもならない。

新潮社が事実だと証明できる証拠もなしに記事を書いたのなら太田の訴え通り損害賠償を負うべき。

本当に証拠が出てきたら、今日の太田の証言では父親を敬愛してやまないようだしひどく傷ついてしまうだろう。が、太田のいう通りの父親ならそんなことしないよな。

同感です。私は現在係争中ですが、無駄に時間がかかっています。

昨年の4月にこちらから裁判を起こし、9月に相手方からイチャモンのような内容で反訴され泥沼に。その後月一回程度のペースで法廷が開かれましたが、なかなか心象を示してくれませんでした。当方の弁護士曰く「今の裁判官は恐らく4月で移動になる。だから心象を示さない」とのこと。

案の定、今年4月に担当裁判官が移動となり新たな裁判官で一からやり直し。次回期日に裁判官より現時点での心象を伝えますとなったが、コロナで司法自体が止まり無期延期(これはまぁ仕方がない)。9月に再開されたがまた裁判官交代。

相手からはこちらの言い分は完全否定され、これも裁判のテクニックなのでしょうが、事実に反したでっち上げ答弁ばかりされ、この1年半そしてこの先と、心を保つのがキツいです。

裏口入学の真偽はわかりませんが、自分の記事が元で裁判が起こりうる、というのはデマ記事を駆逐する一助になるかもしれないと思います。

新聞や雑誌、ネット記事でもそうですが、自分が仕事にしてるジャンルのことが書かれていると、どの程度調べたか、適当なことを書いてる、専門家に取材したというが基礎的な専門用語の用法が間違ってるが本当に取材したのか、など色々疑問に思うことがあります。

今はネットを始め、情報が多く、個人でも裏取りできることもありますが、これ程情報がなかった頃は本当に新聞や雑誌、テレビなどに騙されていたことが多かったのだろうなとは思います。

太田さんが裏口入学したという確たる証拠が無い。現在はタレントや作家として活躍されているのだから、30年以上前の過去を振り返っても意味がない。

新潮社が雑誌の部数を伸ばすことしか考えていないのは明白。それに太田さんは卒業していないし、裏口入学を問われる筋合いではないと思う。

若い人や地方の人や芸術系大学に詳しくない人は知らんだろうが、当時日芸はブランド力が高く、倍率の高い学科は20倍近く、10倍越えなど当たり前の狭き門だった。

大学進学率が今より低く、大学数も少なく似たような学科がそこにしかないので倍率は低い学科でも5倍以上あり、日芸に入るのは今では信じられない位大変だった。そもそも普通に大学に入るのにも浪人するのが当たり前の時代。

二次試験が美術学科音楽学科以外今のように対策予備校など無い時代、何を基準かもわからず、非常に狭き門だった。二浪三浪も、他大学卒業後来た人、仕事辞めて大学入りなおした人、附属から来た人年齢層も背景も様々であった。

たかが日大と言われるが、真田広之や三谷幸喜や宮藤官九郎、それ以外にも卒業生には多才な面々が連なる学校。
たかが日大などと言われてる方は当時を知らないで無知をさらしてる。


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