ネットの反応

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今年の夏、女性特有の癌になりました。
初期のもので術後も暫く養生し、今は日常の生活に戻っています。私のような者でも癌と言うのは厄介な物と痛感しました。辛いものを含めて様々な検査を経て術後も健診が続きます。それと、癌になる前となった後では心構えが全然違うと言う事を実感しました。なる前は癌と言う言葉を耳にしても何処か他人事だったのが、一度癌になると嫌でも再発や転移の可能性が付き纏います。
だけど前を向いて自分らしく後悔せずに生きていく
覚悟を決めたら返って自身の体を愛おしく思うようになりました。
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この夏、女性特有と言える初期のガンになりました
こちらに書かれてるコメ主様と同様なことを感じます
ガンは厄介ですね。これからも頭から離れることはないと思います
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数年前、脳梗塞?だかで倒れたときも、結構厳しいと思っていたが、復帰されていたようなのに、癌の中でもかなり厳しい病気に・・・親類の中に胆管がんになった者がいますから、大変なのは想像できます。個人的には何といっても夏目雅子さんのご主人だったという印象が強い方で、小説は読んだことがありませんが、毎年、成人の日にサントリーの新聞広告で成人にした若者へのメッセージを書かれているのを読むのが楽しみです。今回も、また回復されますようにお祈りします。

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胆管ガンと聞くと故川島なお美さんを思い出します。
生前にご縁があり、一緒に飲む機会がありましたがワイン好きなのはつとに有名でしたね。
ご多分に洩れず、伊集院さんが辛党なのは銀座では知らぬ人は居ないぐらいですし、お若い頃からお酒にタバコは作家の神器と言わんばかりだったと思います。
近年はタバコは断ったようですが、お酒好きな人がお酒も断つのは苦しいもんです。
転移している場合、寛解までの道のりは長いでしょうが、治療が功奏することを祈りたいと思います。
2-2
酒飲みだもんなぁ伊集院さんは。。。
3
私も昨年5月に胆管癌と診断され、治療しなければ余命は3ヶ月と医師から言われました。絶望しました。しかし、家族の支え、自分自身を信ずる事に確信を持ち、抗がん剤治療と内視鏡によるステント設置で、半年後には職場復帰、今年の3月無事退職し、再任用で引き続き働いてます。今も抗がん剤治療は2週間に1回で辛く無いとは言えませんが、この状態を保ち、癌を克服する事を強く信じています。癌の症状は千差万別ですが、大事なことは自分の無限の可能性信じる勇気を持ち続けることだと私は思います。病気が不幸なのではなく、病気に心が負けてしまうことが不幸なのだと思います。
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勇気をいただきました。コメ主様の健康をお祈りします
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コメ主様の回復を心より願います。
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不謹慎なコメントだとは思いますが、私の父も胆管癌で体調がすぐれないからと検査した時はすでに末期で余命3ヶ月と診断され、本当に3ヶ月で人生に幕を下ろしました。胆管癌は発見が困難で症状が現れた時はすでに手遅れということが多いと言われました。発病する3ヶ月前の血液検査では異常なしでした。しかし劇症的に悪化。もう27年前の事ですが、今でも余命を告げられた時の父の悲しい顔が忘れられません。医学は日進月歩、伊集院氏が少しでも良くなることをお祈りしています。
5
父を中部胆管がんで、亡くしました
診断受けてから、およそ3年強
最終的には肝臓転移でした。
歳を取ってからのがん何がつらいかと言うと、
まず体力的に手術は難しい
なら抗がん剤治療をとなる訳ですが
抗がん剤は「腎臓」を悪くするのです
結局父は一年ほどで腎機能の数値が満たなくなり抗がん剤治療も受けられなくなったとなると、あとはなす術なし
幸い末期はさほど痛みを訴えることがなかったのがせめてもの救いでしたけども

5-1
ウチの父親89歳の時に胆管がんの診断。出来た部位から手術不能だったので抗がん剤など一切しませんでした。そのお陰か1年半生きました。最後は肝臓に転移。ガンそのものでなく、肝臓から出る毒素を腎臓が処理しきれず、そのうち腎機能不全となって致命傷になりました。
5-2
腎臓は歳を取れば誰でも数値は下がるものですしね。「天寿がん」という言葉を知り、安らかに天寿を全うしたと考えるようになりました
(80代後半でした)

5-3
私の祖父は一切の治療をせず、鎮痛のみの処置で無事に逝きました。
主治医さんとよく相談して決めるといいと思います。
5-4
なにもしないとどういう経過をたどるんでしょうか
自分はある程度歳を行ったら
治療しないのを選択肢にしたいと思いつつも
情報がなくて。
5-5
我が親父は90歳過ぎて、初めて癌の自覚症状が出て三ヶ月しないうちに旅立ってしまった。「天寿癌」なんだろうか?
5-6
なにもしない選択もありますね


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