俳優でミュージシャンのピエール瀧こと瀧正則容疑者(51)が麻薬取締法違反の疑いで逮捕されて以来、関わった作品と犯罪を切り離して考えるべきか否かという論争が起きている。教育家の水谷修氏は、その本質を踏まえて持論を展開した。
ピエール瀧氏が、コカインの使用で逮捕されました。哀しいことです。そんな中、薬物自己責任論を持ち出す人たちがいます。薬物乱用は、人からものを奪う行為でもなく、傷つける行為でもない。被害に遭うのは、自分だけ。
だから、彼の出演した映画や彼が関わった楽曲には罪はなく、それを、放映停止や配信、販売停止にすることは、やりすぎだ。私は、この考え方は危険だと考えています。
彼の作品を守ろうとしているたくさんの人たちに聞きたい。もし、彼の行った犯罪が、薬物乱用ではなく、殺人や強盗、強制性交など被害者が存在する犯罪だったら、どう考えたでしょうか。
それでも、彼の作った作品には罪がない。守るべきだと言うことができたでしょうか。たぶんそうではないはずです。でも、日本の法律では、同じ犯罪なのです。
こう考えれば、たぶん理解してもらえるでしょう。彼が使用したコカインなどの薬物は、当然暴力団等の反社会的集団から手に入れているはずです。
そのために使った金は、当然暴力団等の資金となっています。しかも、日本国内だけでなく世界の反社会的勢力の活動を支えることになっています。これは、許されることでしょうか。
どのような薬物であっても、乱用を続けるためにはお金がかかります。そして、乱用者にとって、薬物を手に入れ使用することは命より大切なことです。
手に入れたお金は、薬物を買うために右から左へと使われていきます。家庭をもっている乱用者は、必ずといってよいほど家庭を破壊しますし、青少年の場合は、両親を追いつめ、時にはこのお金のために犯罪や売春に走ります。
また、もし、彼の演技や音楽が、薬物の使用とその影響の中で作られたものだったとしたら、それを見たり聞いたりすることに何の意味があるでしょうか。
そこには、本当の彼はいません。頭と心と体を薬物に乗っ取られた哀れな彼がいるだけです。そんな哀れな彼の作品を、見たいですか。聞きたいですか。彼を本当に守りたいのならば、それはすべて捨て去るべきです。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000044-dal-ent
ネットの反応
臭い物には蓋をする論理は時代遅れだろうと思う。ただ道を間違えた人間を排除したところで根本の解決にはならない。もちろん社会的制裁は受けるべきだし、それが司法の役割だと思う。
音楽に関しては、中毒者の作品でも楽しめてますね。
尾崎豊や槇原敬之、長渕剛とかの作品を聴くことを反社会的勢力と繋げるのは納得しにくいですね。
この理屈だと、エジソンもゴッホもビートルズもだめだな。
過去の音楽家、作家、芸術家、だめな人多いよ。
教科書に載ってるにもかかわらず。
時間が経てばいいのかね??
その経過時間の基準は??
需要があれば、答えるべきだと思うよ。
買う人は買う。
気に入らない人、怒る人の声には
法を犯したわけだから、耳を傾け、受け止めていけばいいんじゃない。
基本的な考え方が人生のものさしなのだが、今の時代、基本的なものさしをどこに置けばよいのかわからない時代になっている。
コカイン使用で逮捕された容疑者。
そして20代の頃から様々な薬物を使用していたという履歴。
それでも薬物と作品は別物だという世の流れ。
この流れを見ていると、容疑者が作り出した世界は世の人間が求める世界でもあるように思えてくる。そんな恐ろしさを感じる。
夜回り先生が懸念材料をいくつも上げているが、クラブ時代の女性の話も昨日出てきた。(MDMA)
容疑者の物語はまだ序の口であり、薬から始まる別の物語があるような気がしてならない。
ご立派な先生のご立派な意見どうもありがとう。
フィルスペクターは偉大なプロデューサーで多数の名曲がありますが、殺人でムショにいます。でも彼の曲を流すな、売るななんてこと聞いたことありません。
日本も北朝鮮や中国といっしょで、窮屈な国ですな。
作品に罪があるないとかじゃなくて、ペナルティという意味での制裁的規定にしておかないとダメでしょ
薬物をするとこんな大変な事になる、周囲に迷惑が掛かる
という姿勢を世間や若者に示さないと。
作品に罪があるとかないとかカッコつけた言い方にするから意味不明な論争が起きる
でも、ピエール瀧さんは近所でも人の良い芸能人だったらしいし、家庭でも良い主人であり良い父親だったようです。
作曲や絵画と言ったある意味純粋な芸術なら作品と罪に距離を置けるけれど
ピエール瀧の近年の主戦場のバラエティやドラマは人間性がもろに見る側に露呈するから厳しい
薬物中毒者でも見てて楽しいからいいじゃない!とは思えない
今回、やたらと薬物と作品について議論されているが、それを“非”とするならクリエイティブな歴史自体を否定してしまうことになると思うが。
欧米の音楽史上偉大なミュージシャンなんてほとんど薬物依存だったし、彼らの影響で現代も生まれる無数の名曲、その全てが否定されるってことだよね。
ぶっちゃけ、議論に値しない問題だと思うね。
作品に罪はないという論法が気になる。
別に作品に罪があると考え、作品を抹消するわけではないと思う。
確かに、優れた作品を残したいという気持ちは分かる。
しかし、優れた作品だからこそ、それを残せないことに、人は自分の罪の深さを認識できる。
薬物の根深さは、再犯率の高さからも明らかだ。
痛みを受け入れること。それが最低限のけじめではないだろうか。
芸能人のこの手の事件で思うのは、また復帰できる可能性があるということ。一般社会では本当はあり得ません。これを社会的制裁と言うのでしょう。
たぶんこの夜回り先生なる人も大好きであろうポールマッカートニーも一時クスリをふんだんに利用して名曲の数々を書き上げ、そのフォロワーたちが世界中で影響を受けながらまた名曲を作り、それに皆さんが感動している次第ですが、それはどうしましょう?(笑)
水谷修さんの言う通りです フアンも自分のことだけしか考えていない、判断も出来ない情けないよ どれだけ薬はその人を破滅にしていくか全然わかってない 水谷さんが夜回りでどれだけの努力をされてきたかも分りもしない日本人よぼ~と生きてるんじゃねーよ
どんなに 演技が上手くても
どんなに 才能ある楽曲を作っても
法律に抵触していたら 才能以前の 犯罪者ではないか
麻薬は絶対に駄目だ
犯罪者になってはダメだということ!!!
それでも私たちから作品を奪う理由としては納得できません。
罪を犯したことのない一般の国民が罪を犯した人を社会的に罰して良いという日本の風潮も気持ちが悪くて仕方がありません。
作品に罪がないのは明らかですし、完成するまでに罪を犯していない沢山のスタッフも関わっています。
ピエール瀧の収入源になる事が問題になるというのなら、
ダメだと否定する前にもっといろいろな方向から考えないと、大げさでも何でもなくそのうち日本から芸術がなくなってしまいます。
全てのクリエイターは必ず何かしら過去の作品に影響を受けていることも忘れてはいけない事だと思う。
その内に、コカイン摂取による、無差別殺人がおこるだろうな、なってからでは遅いように思うけど必ずなるでしょう、覚醒剤とはあるんだから。
うーん、反吐が出るような優等生的意見だなw
じゃ、反社会勢力に入る資金が無くなれば反社会勢力って綺麗さっぱり無くなりますかね????相変わらず世界中どこにもありますよねぇ。中にはオランダやカナダ、アメリカの一部の州など合法の国もありますわ。
作品を作ったのは彼ではない。エキストラの一人が犯罪を犯したら、作品を公開すべきではないとは、誰も言わない。それと本質的には変わらない。
水谷修の資金源でもあるよな
薬物に溺れた人々は
坂本龍一と議論してみてくれ!
「本当の彼」を求めている人が皆無とは言えないとしても、それよりも、「ミュージシャンや俳優としての彼」を求めている人がほとんどだろう。
薬物使用者の関わった作品と薬物との関連など、誰も証明できない。
薬物のおかげで素晴らしい作品になったと見ることもできるが、逆に、薬物がなければもっと素晴らしい作品になったかもしれないとも考えられる。
私も薬物を容認するものではないが、事実として、薬物から脱却できた藝術家も少なくないという「エビデンス」はご承知の通りである。
薬物を憎むあまり、それらを無視して、自らの思い込みに自足していては、いつもの「夜回り先生」による「お説教」以上の「効果」は期待できまい。
薬物と実際に対峙した人の意見は重いものがあると思う。こういう不祥事があった際、公開・非公開のガイドラインが必要だ、とかいうよく意味の分からない議論があるけれど、それよりも薬物・薬物使用者を芸能作品から事前に排除するためのガイドラインを作るのが先ではないのか。
先日亡くなった内田裕也は
麻薬をはじめとした犯罪を三度も犯している。
しかしテレビにも出てるし作品も出されている。
しかし瀧はただ一度の犯罪で全てを失い作品も消されている。
ダブルスタンダードも甚だしくないかな?
マッキーってシャブで捕まったんだっけ?
坂本教授は音楽に罪は無い事をメディアで公言したけど、ここでマッキーにもバシッと言って欲しいですね!「コカぐらいでガタガタさわいでんじゃねえ!」って。
同感です。
罪を憎んで人を憎まず、という論調の人がいるけど
それって被害を受けた当事者としての、個々人の場合の話、なんだよね。
ドラッグと言うのは組織犯罪であり、被害者は社会全体です。全然性質が違う。
麻薬の売人、仲介屋、密輸業者から生産者、一連の犯罪者の資金源になっている
これがドラッグの犯罪が普通の犯罪と違うところ。、
だからこそ許してはいけない、旧時代的な連座制でさえ、やむを得ない。
犯罪の性質を勘違いしちゃいけないと思います。
自分は個人的に少し違和感を感じることがあります。
それは映画やドラマなどはそもそも彼の作品ではないし彼の物ではないという事です。
共演者始めいろんなスタッフが全員で1つの作品を作った訳で瀧さんだけの作品ではないでしょう。
彼が出演した作品はすべて「彼の作品」なんだという考え方はちょっと短絡的じゃないですか?
スポンサーの意向などは仕方ないとしてもあまりにも極端に自粛するのはなんか違うと思う。
共演者や関わった人達がなにか連帯責任を負わされているように思えてならないです。
自己責任論な部分は当然あるべきだ。
だって、薬は強制されたのなら話は別として、自分の好奇心や興味本意でやったんだから。
勿論、リスクがあることをわかっててやってた訳だし、自粛、賠償も当然…
素晴らしい作品が多く世に出回ってるのだから。
創った関係者らの影響も計り知れない。
そこからは本人と周囲の助け次第だ。
>ロックやジャズなどの音楽家の中でも、薬物を乱用し作品を残した人たちはたくさんいます。でも、そのほとんどは、それを自らの命で償っています。
そうですか。では命で償ってないストーンズは聞く意味がないのですか? ビートルズでもLSDの影響下で作られたとされる作品がいくつもありますが、発禁処分を求めますか?
何もかも奪って戻ってくる場所をなくしてはまたお薬使うから絶対一人にしてはダメなんだよな
回復施設に入るのもお金が必要です。まさか家族に負担してもらうのはそれも苦しい。生活保護費から出すものならそれを赦せない人がいる。特別な病気なので、罪を償うという考えは間違っている。薬物依存症には懲役刑は何もマイナスにならない。自分の家族に依存症を持っていたからこそ水谷論は違うんじゃないかと思うんだ。