今月16日に急性心不全のため亡くなった歌手・西城秀樹(本名:木本龍雄、享年63)さんの通夜が25日午後6時より、しめやかに営まれた。多くの著名人、ファン、関係者が訪れ、故人との別れを惜しんだ。
祭壇は、1974年にソロ歌手で日本初となる単独野球場コンサートを開催した「大阪球場」を再現。外野スタンドをモチーフに照明や、色鮮やかな花が約1000本が添えられ、西城さんが常に愛用したマイクとスタンドも飾られた。遺影は2001年に撮影。
斎場には、郷ひろみ(62)、野口五郎(62)とともに撮影した「新御三家」の3ショット写真が大きく設置され、ファン向けの祭壇も特設された。
開始時刻前から長蛇の列が作られ、参列していた50代の女性は「あまりにも突然でびっくりしました。彼が残した功績は改めてすごい。最後に『ありがとう』を伝えたい」と話していた。
法名は修音院釋秀樹(しゅうおんいんしゃくひでき)。「修」は父親の名前から1文字を取り、「音」は音楽界で歌を通じて世界中の人たちに夢を与えた偉大な功績を表した。そして「秀樹」の名は、芸名として長く親しまれ、読み方もそのまま法名にしたという。
西城さんは、広島県出身。1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。翌年には「ちぎれた愛」、その後も「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」をはじめ、「薔薇の鎖」「ギャランドゥ」などの人気曲を歌った。
また、トップアイドルの仲間入りを果たし、郷、野口とともに「新御三家」と呼ばれた。48歳だった2003年、56歳だった2011年にも脳梗塞を発症。2度目の脳梗塞では右半身まひという後遺症を負ったが、復帰に向けてリハビリに励んでいた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180525-00000333-oric-ent
みんなのコメント
悲しみが止まりません。
言うてもじぃーさんやからな。
ヤングマンをイメージしたバラの星条旗
バラの花は歌詞に出て来たり思い入れの花
ですね!!!
ファンのバラたちにに囲まれた真ん中に
ヒデキに見立てた大きなバラがあるそうです。
葬儀場正面に飾ってある特大の新御三家の三人の
写真が素晴らしくて、、、、、
永遠の青春をありがとう!!
YouTubeでかつてのヒデキさんを見ておりますが、子供ながらにこの髪型にしたいと親にダダこねた思い出も甦りました。
ヒデキさんはほんとのスターでしたね。
ご冥福を祈ります。
YouTubeやダビングしたDVDを見ます
最近は芸能人でも密葬が多いけど、生命力に溢れるパワフルで華やかな人だったから、最後のお別れの場として通夜告別式してくれるのはお互い嬉しいんじゃないかなと思う。
秀樹は、あたしの最初で最後のアイドルです。
いつまでも、心の中で生きてます。
ありがとう!
来年、御墓参りに行きたいです。
明日は、陽気な明るいヒデキの笑顔のようなお天気になればいいな
失礼ながら、もっと早く「お迎え」が来てもいい人はいっぱいいそうなのに、あんなに必死にリハビリに励んでいた最強エンターテイナーがなぜ…?
秀樹さん、ありがとうございました。
心からのご冥福をお祈りします。
小学校3年の時から52歳の今ずっと秀樹が大好きです
大阪球場や後楽園のコンサートにドキドキしながら秀樹を見に行った事一生わすれません
ありがとうございました。
だめだ、祭壇見るだけで泣けてきます。
戒名もお父様の1文字の修と音楽を修める修を使い、秀樹はそのまま。
もう、永久欠番以上の戒名だと思います。
こんなに愛されている人を神様はなぜこうも早く連れ戻されたのでしょう。
仏教で神様というのもおかしいのだけど
本当に悲しい。
カメラマン、何故?って思いました。
あの頃のヒデキの様に今は思い切り歌い踊れてますか?
一生青春!ヒデキありがとう!
でも、歌は、ずっと残るからね。
カラオケするときは、必ずブルースカイブルーは唄うようにするよ。
ありがとう。西城秀樹さん。
明るくてかっこよくセクシー!
最高のパフォーマーだと思います!
戒名を付けられました可哀想に
素晴らしい歌を有り難うございました。
リハビリで頑張っている姿に励まされました。
本当にありがとうございました。