2017-18シーズンもいよいよ大詰めを迎えたリーガ・エスパニョーラ。21日(土)の第34節では、乾貴士が所属するエイバルと柴崎岳が所属するヘタフェが対戦する。リーガ史上初の日本人対決実現への注目が集まる「歴史的一戦」を前に、これまでリーガ(2部リーグも含む)に挑戦した日本人選手の歴史を振り返る。
財前宣之がスペイン1部クラブに所属する初の日本人選手に
■財前宣之 1996‐97 ログローニェス(公式戦の出場なし)
1996年夏、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)からのローンにより、1部に復帰したログローニェスに移籍した。同年夏はバルセロナがブラジル代表FWロナウド、レアル・マドリードがブラジル代表DFロベルト・カルロスを獲得するなど、リーガ・エスパニョーラが“ラ・リーガ・デ・ラス・エストレージャス”(スター達によるリーグ)と呼ばれ始めた頃で、ログローニェスの大型補強の1人として加入した財前は、スペイン1部のクラブに所属する初の日本人選手となった。
しかし、外国人枠の問題があったうえ、靭帯断裂という不運にも見舞われたため、トップチームに登録されず。結局、公式戦に1度も出場しないまま退団を余儀なくされた。
■安永聡太郎 1997‐98 ジェイダ(34試合・4得点)、2002‐03 ラシン・フェロル(12試合・1得点)
スペインのプロリーグで出場ならびに得点を記録した初の日本人選手。横浜マリノス在籍時の1997年夏、2部のジェイダにテスト入団を経てローン移籍。
全て途中出場ながらリーグ戦34試合でプレーし、スーパーサブとして4ゴールを挙げた。だが、ジェイダは買取オプションを行使せず、1年で日本への帰国を余儀なくされた。安永がスペインで苦しんだ理由としては、新しい環境への適合を挙げる声が多い。
実際、『ラ・ボス・デ・ガリシア』紙は、「わずか21歳、スペイン語の基礎知識もない青年にとって、初の海外挑戦は難しいものとなった」と総括している。また、初のスペイン挑戦から5年後の2002年夏には、2部のラシン・フェロルにテスト入団を経てローン移籍した。しかし、2度目のスペイン挑戦は出場12試合で1ゴールにとどまり、半年で横浜マリノスに戻る結果となった。
記念すべき日本人リーガ初得点は城彰二
■城彰二 1999‐2000 バジャドリード(15試合・2得点)
スペイン1部リーグで出場ならびに得点を記録した初の日本人選手。2000年1月、横浜マリノスからバジャドリードに半年間のローンで移籍した。出場15試合のうち12試合がスタメンと、レギュラーとしてプレーして2ゴールを挙げた。
城のセンターフォワードとしての能力を高く評価したクラブは、完全移籍やローン延長を検討していた。しかし、日本代表で左膝を故障したことがきっかけで、以前から前十字靭帯を損傷したままプレーしていたことが判明。
この一件もあって横浜マリノスとの交渉はまとまらず、日本に帰国する結果となった。スペインでの2得点は、いずれも出場8試合目となったオビエド戦で挙げたものだが、相手ディフェンダーを鋭い切り返しでかわして放った左足のシュート、右からのクロスに合わせた高い打点のヘディングは、見る者にインパクトを与えた。実際、『エル・パイス』紙は、「これは遅かれ早かれ起きることだった。
城はスコアラーとしてデビューした。この日本人選手は、ゴラッソで試合の均衡を破り、オビエドが攻勢に転じたかに見えた時に追加点を決めた」と称賛している。
■西澤明訓 2000‐01 エスパニョール(6試合・無得点)
2000年12月、Jリーグ・ベストイレブンの肩書きを引っ提げ、セレッソ大阪からエスパニョールにローン移籍した。しかし、スペイン代表FWラウール・タムードらとのポジション争いに敗れ、リーグ戦わずか6試合の出場にとどまった。
『ムンド・デポルティーボ』紙は、西澤がエスパニョールで結果を残せなかった最大の理由として、スペイン語でのコミュニケーションの問題に加え、パコ・フローレス監督との間に信頼関係を築けなかったことを挙げている。無得点のまま半年でエスパニョールを退団した西澤だが、バルセロナとのダービーとなったコパ・デル・レイ準々決勝のセカンドレグでは、アディショナルタイムにゴールネットを揺らしている。
ところが、延長戦突入かと思われたこの同点弾はオフサイドにより取り消され、“幻のゴール”という逸話として“ペリコ”(エスパニョールのファン)の記憶に残る形となった。
マジョルカを奇跡の残留に導いた大久保嘉人
■大久保嘉人 2005‐06 マジョルカ(39試合・5得点)
U‐23日本代表として出場した2004年夏のアテネ・オリンピックでの活躍がきっかけとなり、セレッソ大阪から1部のマジョルカに半年間のローン移籍。初出場となった2005年1月のデポルティーボ戦で、いきなりチームに勝ち点をもたらす値千金の同点ゴールを決め、鮮烈なデビューを飾った。その後、一時はレギュラーの座を失ったものの、スタメンに復帰した終盤戦の3試合で2ゴール・2アシストを記録。降格圏内に沈んでいたチームを奇跡の残留に導く立役者となった。
この活躍により1年間のローン延長を勝ち取った大久保だが、2年目は徐々にベンチスタートが増える厳しいシーズンとなった。漸くスタメンに復帰し始めた矢先、エクトル・クーペル監督からグレゴリオ・マンサーノ監督へと指揮官が交代し、再び出場機会が激減。シーズン末に退団する結果となった。スペインでの挑戦は1年半で終わりを告げた大久保だが、1部リーグで初めてインパクトを残した日本人選手と言えるだろう。
実際、『マルカ』紙は、「マジョルカはオオクボの獲得に力を入れた。この日本人選手は、好パフォーマンスにより2シーズン目を迎えるチャンスを掴んだ」と、当時を振り返っている。
■福田健二 2005‐06 カステジョン(17試合・2得点)、2006‐07 ヌマンシア(39試合・10得点)、2007‐08 ラス・パルマス(15試合・3得点)
2006年1月、ベガルタ仙台からカステジョンに半年間のローン移籍。直前までパラグアイで半年間、メキシコで2年間プレーしていたため、それまでスペインに来た日本人選手とは異なり語学面の問題はなかった。
しかし、本職のセンターフォワードでプレーさせて貰えなかったこともあり、レギュラーの座を掴めぬまま退団が決定した。だが、同リーグに所属するヌマンシアから闘争心溢れるスタイルを評価され、2006年夏に半年間のローン移籍。
前線の要としてのパフォーマンスが認められ、半年間のローン延長を勝ち取ると、10ゴールを決めてチーム得点王に輝いた。
ヌマンシアは福田との契約延長を希望していたものの、ベガルタ仙台との交渉が折り合わず、2007年夏にはラス・パルマスに完全移籍した。だが、度重なる故障により期待された得点力を発揮できず、1年間で退団する結果となった。3チームを渡り歩いた2部での戦いは幕を閉じた福田だが、現在でもスペインのプロリーグでシーズン二桁得点を記録した唯一の日本人選手となっている。
■指宿洋史 2008‐09 ジローナ(6試合・無得点)、2009‐10 サラゴサB(27試合・12得点)、2010‐11 サバデル(34試合・10得点)、2011‐13 セビージャB(32試合・20得点)、2013‐14 バレンシアB(34試合・7得点)
Jリーグを経験することなくスペインのプロリーグでプレーした初の日本人選手。柏レイソルのユースを経て、2009年1月に2部に所属するジローナに完全移籍した。最初の半年は無得点に終わったものの、ローンにより武者修行に出された2年間で大きく成長。
4部に所属するサラゴサのBチームではスコアラーとして頭角を現し、3部に所属するサバデルでは2部昇格の立役者となった。その実績が認められ、2011年夏にセビージャへと完全移籍を果たすと、3部に所属するBチームのエースストライカーを務め、2012年1月のベティスとのダービーではトップチームのデビューを果たした。
続く2012年夏にはベルギー2部のKASオイペンにローン移籍し、結果を残してセビージャに復帰した。しかし、2013年夏にトップチームの新指揮官に就任したウナイ・エメリ監督の構想から外れ、3部に所属するバレンシアのBチームに移籍したものの、期待された得点力を発揮できなかった。結局、これがスペインでの最後のシーズンとなった指宿だが、現時点で最も多くのチームでプレーした日本人選手となっている。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180420-00744661-soccerk-socc
みんなのコメント
とんでもないレベルのリーグらしい
日本人は言語に正解を求めすぎやし、発音とかいちいちつまんない細かい事気にしすぎだから話せないと外人によく言われたなー。
中村俊輔はデラペーニャっていうバルサでも通用するような
絶対的な中心選手とポジかぶってたということもあるし、
コミュニケーション不足なんてよく聞くが
本人達は同じピッチで仲が良かった。
別れの前にいっしょに飯食ったりするほど。
記憶に新しいところでも
ハーフナーはシャワーすら出ないような部屋に住まされたり、
柴崎はごはんが食えなくて激ヤセしたり。
結局必要なのは福田健二みたいな野武士メンタルか、
頭脳、怪我との付き合いだと思う。
運や感覚だけではなかなかうまくいかない。
乾みたいに明らかにドリブルがうまければ得点能力やクロスもってなくても使ってもらえる
あと日本人は言葉ね
もう、いいかげんにしてくれ。こういう言い訳は。
岳のゴラッソはホームゲームだったんだが…
清々しい程の誤記やなぁ
ビクトールとかカミネロ、キーパーのセサルとか良い選手多かったなぁ。
日本人は技術は間違いなくあるけど
それを試合で出す術を知らないっていってて
長友が外国人にミスしたっていう概念が無いっていってて
やっぱり日本人ってメンタルが弱すぎるんだろなって思った
外国人の自信の持ち方と
日本人よ自信の持ち方の違いって
恐ろしいほど基準がズレているんだろな
良くも悪くも
これは選手達だけで無く、この地での日本人ビジネスマンも同じ。高い人件費なのに。。更には似非futbol記事書く人間も。よくそんなレベルでスペイン記事書けるものだとある意味感心
財前がその最もたる例だ。スキルだけの天才
ガラスの天才を日本人は未だに持ち上げる。
不用意な曲芸を見せる選手を未だに崇める単純日本人。
ロナウジーニョみたいな選手が、なぜ落ちぶれたかそこを考えない。
なぜ中村がスコットランドでブラボーな活躍をし、
なぜ中田がプレミアではさっぱりだったのかを分析しない日本人。
技術至上主義の日本人サッカーファンだけが進歩してない現実。
昔に比べ退化したと思い込んでる日本人。
今じゃ海外への移籍が当たり前の時代になり
毎年のように輸出され、経験、度胸、コミュ力も磨きをかけてる。
外人頼み、外国人監督頼みだった昔のJや
海外移籍しただけでスター扱いされた昔より
今のほうが遥かに進歩を遂げている。
最後までじっくりと読むことができた。
こういう記事であれば、個々の選手の好き好きや成功失敗に関係者なく、全選手をリスペクトできる。
財前!仙台での育成に期待
実力は相当も相当なのに、地元超えたスターにはならない。日本だったら完全にエースだろって。欧州にはこんな選手結構いるんだろうなと思った。
セリエのヒュブナーも、代表、ビッグクラブとは離れた場所で生きた凄いプロサッカー選手として記憶に残ってる。 Bで量産?、Aは? Aでも量産、このオッサンやべーって。
スターだけじゃないと思わせてくれた選手たち。
ユース世代の天才~財前宣之~
日本の天才!小野伸二!オランダ代表でも通用した逸材やった!
みんなケガで…
そこを逞しく乗り越えられるかも、成功への試練の1つになりそうですね。
一緒に遊びに行ったり、写真撮ったりする仲なら自ずとパスも来るわな。
進歩しないんじゃないかね
中村俊輔は、スペインは自分より上手いのたくさんいたって言ってたぞ
面白かった
まぁリーガなんて外人枠厳しいし言葉の問題もなく能力高いブラジルやアルゼンチン人に本来枠を設けてるから日本人がそこに入り込むのは本当に厳しいんだけど
ブンデスなんかと比べると本当に狭き門だし乾はエイバル以外だったらここまで来る前に失敗してたと思う
やっぱり環境に慣れるだけでも大変だし実力そのものも20年以上トップレベルを維持してる唯一のリーグだと思う
名古屋にいたこともあり、昔から応援していた選手
小野が怪我をしなかったら……
堂安、久保、中井、未来を担う選手たちは
大きな怪我なくキャリアを重ねてほしい
考え深い。。