平成の打てる投手と言えば
ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平がメジャーリーグを席巻している。投げては7回1安打無失点12Kの快投、打っては3試合連続アーチ。野茂英雄のトルネード旋風以来の、ニトウリュウ革命である。そう遠くない未来、逸材の二刀流挑戦が世界の野球界のスタンダードになるかもしれない。
投げて、打って、試合に勝つ。一昔前の日本球界でも、そんな“エースは強打者”的な風潮があり、投手の通算打撃成績を見ると上位には昭和の大エースたちが並んでいる(もちろん圧倒的に先発登板数が多かったという時代的背景もあるが)。
400勝投手の金田正一が通算38本塁打、310勝の別所毅彦が通算500安打、巨人V9時代のエース堀内恒夫は2年目の67年10月10日に「ノーヒットノーラン達成と3打席連続本塁打」という離れ業をやってのけた。
ならば中5~6日ローテや分業制が確立しつつあった平成球界で“打撃のいい投手”と言えば誰を思い出すだろうか?
91年5月29日の近鉄戦でDH制を導入以来はじめて投手として本塁打を放ったドン・シュルジー(オリックス)、97年シーズンに3本塁打を放った圧倒的な飛距離を誇るバルビーノ・ガルベス(巨人)と、飲み屋で語ったら3時間はいけそうな懐かしの助っ人選手たちも捨てがたいが、やはり真っ先に名前が挙がるのは桑田真澄(巨人)だろう。
PL学園時代は甲子園で清原和博の13本塁打に次ぐ、歴代2位タイの6本塁打を放った桑田はドラフト1位でプロ入り後、あまりの野球センスに野手転向が検討されるも投手に専念。三本柱の一角として通算173勝を記録したが、打者としても890打数192安打の打率.216、7本塁打、79打点という成績を残している。
2年目の87年7月8日の広島戦ではプロ初完封勝利に自身のスリーランアーチで花を添えた19歳は、最優秀防御率のタイトルと沢村賞を受賞。以降、時代が平成に突入しても桑田は打てる投手として存在感を発揮していく。
平成元年の89年はキャリアハイの17勝、年間20完投、249イニングと投げまくり、打っては86打数21安打の打率.244でチームの日本一に貢献(ちなみにこの年20勝を挙げたチームメイトの斎藤雅樹も打撃には定評があった)。
自身でもピークと公言する94年は14勝を挙げ、“10.8決戦”の胴上げ投手となりMVPにも輝き、73打数21安打の打率.288、OPS.689という、今の巨人打線なら普通に6番打者も務まりそうな強打者ぶりである。
3割近い打率に「代打桑田!」
2000年代に入りベテランと呼ばれる年齢になってもその打棒は健在で、打席数こそ少なかったものの00年は19打数6安打の打率.316、03年は24打数8安打の打率.333ともはや一軍の控え野手レベルを凌駕していたと言っても過言ではない。
その象徴的な出来事が02年6月19日横浜戦の「代打・桑田」だろう。延長11回表無死一塁の場面で原辰徳新監督に代打として送り出されると、見事に初球でバスターを成功させ三遊間を抜くヒット。その後、打線が繋がりチームは接戦を制した。
この34歳で迎えたシーズンの桑田は51打数15安打の打率.294、1本塁打、9打点でなんとOPS.798である。最近の長野より打ってる…じゃなくて、投手としても12勝6敗、防御率2.22で15年ぶりの最優秀防御率のタイトル獲得と原巨人初日本一の原動力となり、いったい二刀流プランで新人時代から育成したらどんな選手になったのか…と思わず妄想したくなる野球センスだった。
平成初期には登板日漏洩疑惑や不動産問題(忘れた頃のアニータ熱愛報道)など数々のスキャンダルで騒がれた桑田だが、バブル全盛期の日本でカネを持っている若い有名野球選手はいいカモだったのだろう。自宅の前にはマスコミが張り込み、練習が終わると車が尾行してくる異常な生活。そんな背番号18を当時の藤田元司監督は時に記者たちと喧嘩になるまで守り続けた。
今思えば、15歳で甲子園のヒーローとなりながら、ドラフトの経緯から悪役扱いされ、あれだけマスコミに叩かれて、それでも野球となれば投打で結果を残し続けた桑田の精神力は凄まじい。
なお開幕から1カ月の謹慎処分が明けた1990年5月8日、日本中が注目した大洋戦(横浜スタジアム)の復帰登板で22歳の桑田真澄は完封勝利を飾っている。
桑田真澄 投手・打撃成績
1989年 21歳
投手 30試(249回) 17勝9敗 防御率2.60
打者 打率.243(86打数21安打) 0本 6点 OPS.5441994年 26歳
投手 28試(207.1回) 14勝11敗1S 防御率2.52
打者 打率.288(73打数21安打) 1本 7点 OPS.6892002年 34歳
投手 23試(158.1回) 12勝6敗 防御率2.22
打者 打率.294(51打数15安打) 1本 9点 OPS.798引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180416-00150263-baseballk-base
みんなのコメント
早稲田に行くと清原まで騙して巨人軍に入団した頃から野球少年ではなくなった?
そんなドロドロとした大人の都合に巻き込まれたら野球少年の気持ちなんか消えるよね
最近でも川上しかり松坂しかりいる(いた)からね
接戦で本気で打つときの期待感は並みの打者よりあった。
実際、投げては完投、打っては桑田が決勝打叩き出すみたいな試合何試合か観た。
野球選手としては、けっして恵まれた体格ではなかったが、投打に渡ってあれだけの成績を出していた訳だから、そのセンスは図り知れないとあらためて思わざるを得ない。
阪神の下位打線とか余裕で上回っていたよ
早くから、メジャーを意識していてこの時代の選手としては珍しくウエイトトレーニングで年々体を大きくしていた
その甲斐もあり年々成績も上がったが、1991年に
16勝を挙げた年にプロレスラーみたいな体になった
翌年、翌々年は成績を下げた。(この時に桑田は反省
…無駄な筋肉をつけすぎる事の弊害を実感する。余分な肉をそぎ落とし、1994年復活する)。
あと驚いたのは1988年に「自分は150キロだす」と
宣言してその年の阪神戦で150キロ出していた。確かその試合だけだったが。
あとクオリティスタート(6回で3失点)を言い出したのは桑田。
たら、れば、ならば何とでも言える。
ただ、たらればは言わない方がいい。
桑田が打者なら2000本とか、二刀流とかはまた別の話。
1000打席立って死球もゼロですから、相手投手も気を使って投げています。
全身”バネ”ですわ。
いまさらながら、もったいない使い方をしたもんだ。
時代って残酷。
当時の他球団で言えば記憶にある強打者は確か広島の北別府とかも渋く右打ちがうまかった記憶がありますね。あとは俊足の川口、遠藤ですが俊足で言えば桑田も俊足でした。プロ野球大運動会の50メートル走決勝は盗塁王候補を差し置いていつもこの辺りの面々でした。
懐かしい時代です。
中日の下位打線どもに、この成績見せてやってほしいわ。
野手でやってたらそんなに打てないから。
というより
野手にも投手にも高校時代まではエースで4番が結構いるよ
通用したんじゃないかな。
にしても、堀内のノーノー&3連発はえぐいね。
大谷が漫画を超えてる活躍してるけど、
昔もすごい選手いたんだな。
当時の甲子園優勝投手は
ホンマによう打つ。。
別格の打撃だった。基本抑えやワンポイント登板がほとんどなので、
打席に立つ機会がほぼなかっただけで。プロ通算2本の本塁打も
2本とも逆方向へのホームランだし。ノムさんが監督時代真剣に内野で
育てる案があったらしいけど頷ける
投げれて、打てて、守備も抜群に上手い。
彼にしても、西口にしても、200勝したかしないかなんてどうでもいい事に思える、そのくらい偉大な超一流選手。
それでも当時、桑田から発せられる言葉の数々がとても体育会系の人物とは思えない穏やかで且つ理路整然としたもので、そして野球に対する考え方が他のプロ選手と比べて時代を先取りしている思考の持ち主であることが野球ファンの中で次第に浸透するにつれ、気づいたら悪役扱いされることがほぼ無くなりましたねぇ・・・。
過去には桑田だけじゃない
彼らが二刀流としてやっていたら成功したかは分からないが
イチローも投手出身だし
古くは王さんも投手だったはず。
力強さ(ボールのスピードとヘッドスピードが根本的に全然違うがする。)
何でもかんでも大谷翔平と比べる風潮は好きになれない。全部タラレバ。
野茂、イチロー、大谷翔平は別格。
けど、二刀流は何故かパリーグの選手が。
昔、オリックスに嘉瀬という選手がいたけど二刀流に近いことしてた。
松坂もセリーグなら桑田さんに近い打の成績残してたかも。
個人的にはソフバンの今宮を二刀流で見たかった。高校時代は150キロ越える背番号6だったもんね。
野手なら右打者だが立浪タイプで更に走力含めた身体能力が高く、且つ野球脳が発達している選手
右肘負傷後に野手転向しても活躍したんじゃないかと思わせる
投手で173勝も凄いが野手ならゴールドグラブ賞の常連で、率の高い中距離ヒッターで活躍したのではないか
しかし、二刀流を目指すとなると打撃のための練習も行わなくてはならず、投球の成績はどうしても落ちるだろう。
桑田は大谷みたいに160キロ投げれる選手じゃない。桑田の投球は本気で投手に専念したからこそ得られたもので、だからこそ名投手になれたのだと思う。
生き方も全て僕の憧れであり先生です。
今さらそんな話されてもなぁ
もちろん投手としても素晴らしかったことの実績だが、走攻守三拍子揃った選手としての可能性もあったのではないかと。
大型内野手が育ててほしい現状、二刀流は大谷だからこその特例だとあくまで思う。彼こその投手としてのスピードと打者としての長打力は向こうでも脅威的に捉えられてるだけに、守備をも特別なショートはさすがに投手とは兼任できないと個人的には思う。