来年、45年間暴れまくったリングから引退を予定している長州力さん(66)。酒との付き合いも長い。
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飲み始めたのは中学からだね。ウチにあった親父の酒をイタズラで試してみたのがデビュー戦だよ(笑い)。
高校生になると飲み仲間が増えた。
俺は生まれが山口県の徳山(現・周南)市で、仲間は瀬戸内海の島々から通ってたり市内に下宿したりってヤツらが多くてさ。漁師の息子ばかりだから、俺より飲むのが好きなんだ。
休みになると、そいつらと島に渡ってバーベキュー。海に潜りゃ、季節季節の魚や、サザエとか貝、カニが簡単に取れちゃうから、
それをどこかで拾ってきた鉄板代わりのトタン板に載せて焼いて食う。飲むのは、日本酒、焼酎だね。でも、まだ子供だから、すぐに酔ってゲーゲー吐いちゃうんだよ。それでも春から秋にかけては凝りもしないでよく行ったもんだね。
本格的に鍛えられたのはやっぱり特待生で入学した専修大レスリング部時代。合宿所は生田キャンパス(川崎市)で、
今でこそ近所まで住宅街になっちゃったけど、入学した70年なんて山の上の森の中。そこに4年間いたんだ。
その頃の体育会系運動部は今以上に上下関係が厳しくて、3年で貴族、4年は神様。当然アルコールハラスメントも日常茶飯事でね。今じゃ大問題になるし、決してよいことじゃないけど、自然と鍛えられたよ。
■吉田沙保里の父とはしょっちゅうハシゴ
時代もよかった。最寄りの小田急向ケ丘遊園駅の商店街の人たちが熱心に応援してくれたから、2年生からは行きつけの居酒屋が「ある時払いでいいよ」って、ツケにしてくれる。
編入の関係で1学年下だけど、同じ年の吉田栄勝(吉田沙保里の父、故人)が飲み仲間で、2人とも金がないのにしょっちゅうハシゴしたもんだ。
実家からの仕送りは2万円。そこから合宿所の朝夕2食分の食券代6000円を引いたら、小遣いなんて知れてるでしょ。
ヤマト運輸の配送センターとか、道路公団の下請けのアルバイトで稼いだけど、それでも全然足りない。細かくは覚えてないけど、4年生になった時はツケが数十万円にもなってた。40年以上前だから、今だと3倍4倍ぐらいになるんじゃないの?
それが73年の全日本選手権100キロ級のフリースタイルとグレコローマンの2種目で優勝したらチャラ。レスリング部の先輩や商店街の後援者がぜーんぶ払ってくれたんだよ。優勝できたからよかったものの、もし優勝してなかったら、とんでもないことになってたな(笑い)。
卒業後、新日本プロレスに入団してからも、そりゃ付き合いもあるから飲んだよ。でも、俺はどちらかというと、マイペース。年間250試合以上あった時代だから、むちゃ飲みばかりしてると体がパンクしちゃうし、いつも“そこそこ”にしてたんだ。
今よく飲むのは10年ほど前に知った泡盛のコーヒー割りだね。氷をグラスに目いっぱい入れて、泡盛をドン。それに缶コーヒーをほんの少し足してやる。途端に飲みやすくなるから不思議だね。
好きな銘柄は「太郎」「花酒どなん」「残波」。自宅には一升瓶でストックしてるよ。
8月にはとんでもない日本酒に出合った。めったに日本酒は飲まないんだけど、(武藤)敬司に誘われて遊びに行った金沢で出していただいた「八海山」の大吟醸。
これはまったく別格も別格。桐箱入りの陶器に入ってて、これがまあうまいのなんの。香りはいいし、喉を滑り落ちていく感じ、口の中での余韻、酔い心地、すべてにバランスがいい。しかも、料理の味を邪魔しないんだ。
連れてってもらったのは取材は一切NGでミシュラン掲載も断ったってほどの名店。そこへ敬司の知り合いがわざわざ取り寄せて持ち込んでくれたらしい。料理がハンパなくおいしくて、酒もウマイ。あれほどいい気分になった一夜は久しぶりだった。
振り返るとレスラーになってから酒は切らしたことがない。試合、テレビやイベントの出演、取材……。それが終わったら自分へのご褒美。引退してからもそれは変わらないだろうね。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181009-00000001-nkgendai-ent
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