次男でミュージシャンの大野誠さん(51)が3日に遺体で発見されていたことが分かった歌手・北島三郎(81)が7日夜、東京・新宿の京王プラザホテルで緊急会見を開いた。北島は「辛いですね。辛いです」と集まった約60人の取材陣の前で涙を流した。誠さんの死因は心不全。この日、家族葬で通夜が営まれ、8日に告別式が行われる。
◆北島三郎に聞く
―今の気持ちは―
「あの…。大事な、大好きな、かわいい自分の…。我が子が先に旅立ってしまったという。辛いですね。辛いです」
―一報を聞いたのは?
「ウチの社長(長男で北島音楽事務所社長の大野竜さん)が説明してくれたとおり、彼が自宅にいた私に報告してくれました。彼から聞かされて…」
―最後に会ったのは?
「今年の正月、去年ちょっと体調崩しまして、会社に出られなくて…。今年は会社の仕事始めということで元気な息子の、誠の姿を見まして、ホッとして。『体に気をつけて頑張ろうや』と言うことで、会って、声かけて。時々、家にも来たりするんですが…」
―その時の誠さんの様子は?
「全然、変わった様子なくて。そういう姿は俺には全然、見せないので。息子同士で話し合って、俺には心配かけない。あんまりそういうことは言わないですよね。頑張り屋なんで」
―一人暮らしで心配していた?
「私自身は息子を信用してました。信じてますし。嫁さんの方は心配して、大丈夫かなって、しょっちゅう電話していたね。優しいから、テレビ見て、今、こういう治療紹介しているから見なさいよって(誠さんから)いつも電話きた。嫁さんの所へね。僕も体調悪くて、頸椎(けいつい)やったりしたのを病院来てくれたり、心配してくれていましたね」
―今回、死因が心不全―
「(体調悪化は)僕はそういうのは感じなかったね。俺に隠していたのかな。嫁さんにも何も言わなかった。昔から1人で自分の思いのままに何かやったりするのが好きな子でしたから。いつの間にやら楽器弾くようになって、音楽やるようになって、歌を歌うようになって。ある時から私にアドバイスしてくれるようになった。息子であって、私の良き相方でもあったかな」
―一緒の仕事の思い出は?
「彼が作ってくれた歌を私が歌って。それで『いい乗りだよ』って言ってくれて。終わって、『今日、俺、乗ってかい?』『乗ってたよ』って言い合って…」
―良き親子でしたね―
「世の親たちはみんな、私と同じだと思いますよ。息子に先立たれると、こんなに辛い…」
―息子さんの様子は?
「本当に…。眠っているよう」
―どんな言葉をかけた?
「いや、もう…。あまりに突然なんでね。こういうことしてみたいな、ああいうことしてみたいなと。彼は僕の歌をすごく、認めてくれる1人でした。親父はこういう歌をこういう風に歌ってくれればいいなと、期待みたいなものを、いつも持っていてくれた。息子でありながら、音楽のすごくいい仲間だった。彼の作った歌『おじゃる丸』もそうですけど、その他にも『友よ』とか、海をテーマにした歌もいっぱい作ってくれた。未発表のものもあるんですね。だから、あいつにいい恩返しをしてやりたい。世に出してあげたいなという気持ちですね」
―音楽家としてもすごかった?
「私はものすごく買ってます。我が子でありながら、こんなにセンスがあるヤツだな。私たちのできない、彼の持っている素晴らしいもの持ってるんですね。時代の違いかも知れないけど、彼の持っている素晴らしさだと思いますね」
―なるほど―
「作ったメロディーでも詩の中にも、いつも励ましてくれるような、すごい詩だった。僕はすごく買いますね。彼の才能を」
―親子でお酒も?
「僕は酒は飲みませんからね。彼は飲むんで、メシ食いながら、よく音楽の話をしましたね。もの作っている時も来てもらって、彼は楽器弾きながら一緒に歌ったり、話しましたね」
―連絡は取っていた?
「僕は電話すること、ほとんどないんですね。息子同士で連絡やってますから。娘たちとかも。まさか、こんな形になって…」
―最後のやり取りは?
。
「正月、来た時に会って、こういう歌も作ってみたいな。馬の話もしたりね。僕は彼に『俺、歌おうかな。もし嫌いな歌なら歌わないけど、俺が好きな歌を作ってくれや』という会話をしましたね」
―偉大な親と同じ業界で苦労も?
「それが闘志になって頑張ってくれるといいなと思っていた。最初から俺たちに考えられないセンスでした。こんなメロディできるなって。本当にいろいろなことで教えてもらうことがありましたよ」
―誠さんに今、どんな言葉を贈りたい?
「今、テレパシーでいいから、旅立った空から俺が困っている時に一節出るような、そんな曲を送って欲しいな。後は正直言って、寂しい。辛い…。忘れない…。そう思ったから、おまえも忘れないでくれ。3年ほど前に弟が旅立ちました。弟にも『今日、誠が逝ったから、会ってやってくれ』という話をしました。神棚にも『孫の誠が旅立ったから、よろしくお願いします』と言いました。こうしてインタビュー受けていると、泣きます。それだけです。子供に先立たれる辛さを身にしみて感じました」
―どんな表情が思い出される?
「アイツは玄関から入ってきて、『親父、焼き鳥買って来たよ』とか『このトンカツ、うまいんだよ』とか。『このジャンパー、かっこいいと思って。オヤジに似合うから着なよって。毎回、そういう姿が出てくる。そういう優しさ…。本当に寂しい…」
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180307-00000241-sph-ent
ひとつひとつ丁寧にお答えされてますが、辛いですね。
ご冥福をお祈りいたします。
若くしてお亡くなりになられた事が悔やまれるだけであり、私を含めて誰でも
いつどんな場面でお迎えがくるかなんてわかりません。
一人で亡くなった場合孤独死と言う言葉がありますが、一人でいた事が孤独であったかどうかなんて誰にもわかりません
むしろ内面が充実していて、
一人を楽しみ内面が豊かで暖かな気持ちで暮らしていたかも知れません。
大家族で暮らしていても家族と心通わずに孤独感を抱えて生活している人は沢山いると思います。
ですから孤独死と言う言葉は、失礼にあたる気がします。
ご冥福をお祈りします。
ステキな音楽仲間だったのですね。
おじゃる丸の歌…
多分千回は耳にしたと思いますが
飽きの来ない心地よい曲で
北島さんにドンピシャな歌でした。
息子さん作とはびっくりしました。
まったりまったりまったりな
急がず焦らず参ろうか…?
総勢、160人そこそこの『将棋と言う娯楽の世界』で無駄飯食って中三にも負ける様な情けない『竜王』でさえも貰えるんですから。。
過去には、外国籍の人、亡くなられた方も貰ってますし・・・
って、誰でも思ってますよね?
.
有名で金持ってても死んだら終わりなのかな。
辛いよね。
ご冥福をお祈りします。
馬が強くなって稼いでくれて。
でも
息子が2人も先に逝ってしまって
1人は1週間気付かれず孤独死させて。
この人、幸せなんかなぁ。。
自分の子が自分より先に逝く、それだけでも相当なことなのに。
50代の突然死増える時期です、やっぱり定期健診とか人間ドックとか必要ですね。
日光の陽明門はあまりに素晴らしく完ぺきなため災いを恐れ柱を1本だけ逆さまにしたと言う。
御悔やみ申し上げます。合掌。