「小中学校の友人なんてクソみたいなもの」「親友や仲のいい友達はいなくていい」。予備校教師でタレントの林修さん(52)のこうした発言がネット上で批判を浴びている。
実はこれ、イジメに悩んでいる小中学校生に伝えたいこととして発せられたものだが、インパクトが強すぎたためか、小中の頃にいい思い出がない林さんのコンプレックスから出たと受け止められ、「俺は幼馴染を大切にしている」などといった反発が出た。
■「親友とか仲のいい友達はいなくてもいい」
林さんが出演したのはTBS系教養バラエティー番組「林先生が驚く初耳学!」(2017年11月19日放送)。番組冒頭で「小中学校の友人なんて不要」というテロップを出した後に、番組の教材として取り上げるのは「小中学校の友人なんてクソみたいなもの」と宣言した。このタイトルはニュースサイト「プレジデント オンライン」にネットニュース編集者の中川淳一郎さんが起稿したもので、これに共感した、と林さんは語った。
スタジオでは
「昔の友達は友達で大切にしたほうがいい」
「バレー部の仲間は、あいつらみんなクソだったのか?」
などと驚きの声が上がった。
林さんは、社会人にとって大切なのは現在一緒に仕事をしている人であり、番組調査で40歳の男女100人に聞いたところ小中学の友人に1年に1回も会わない人は59人、殆ど会わない人は6人だった(年に1回以下は93人)と説明した。
うまく行っている人にそれを壊せとは言っているわけではない、としたうえで、中川さんの記事のメインテーマは学校のイジメであり、友人関係の中で不登校になるとか、自殺するケースがあるならば、大人になったら年に1回も会わなくなる人たちだと子供たちに分かってほしい、とし、
「考えてみればたまたま同じ地域に居て、たまたま同じ年齢で、40人の枠に放り込まれて、その中で…ね!」
と語った。人生は長いストーリーであり次のシーンに移ったら新しい別の人物が現れる。それを子供は気付きにくい。ただし問題点もあり、
「都会だと割と簡単だが、地方だと人間関係がより濃密なだけに簡単にクソと言いにくいため慎重な判断が必要だ」とした。そして、子供たちには社会人のようなドライな人間関係を習得させることが必要であり、「親友とか仲のいい友達はいなくてもいい」、と教えるべきだ、とし、ボードに、
「本当に大切な人だけ大切にすれば、幸せになれる」
と書いた。子供にとって悪夢のようなイジメっ子。そんなイジメっ子は自分の人生にとって大切な人ではないため、そんな人との人間関係はどうなってもいい。それを人間関係に苦しむ子供に伝えてあげてほしい、と締めた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171208-00000011-jct-ent
ついでに仲間意識もクソ。
子供たちには友達より自分を大事にしてほしい。
クソ、は余計。林先生は大人に成りきれていない。
テーマがイジメならわかるだろう
思い込む自意識過剰な奴が多いのかもね
今はいい思う
全部たまたまとしか思えんな、小中クソって奴も、そりゃあいるでしょ
もし自分の子供がイジメにあった場合にこう言おう、と思っていた事に似ていた。
社会に出てからの方が人生長い。小中学で辛い思いしても社会に出てから花咲くこともある。
アメトークの中学の時イケてない芸人も勇気与えるよなぁと思う。
私もクソみたいな友達しかいなかったから。
常に気をつかい、優しくしても、突然、掌を返す。
親友達が突然、私の頭の良さに嫉妬し、いじめてきたり。いつか見返してやると思い、勉強に励みました。
そのお陰で楽しい大学生活が待ってました。
高校や大学は素敵なお友達ができました。
今も本当に幸せです。
自分に合う人材と過ごせる高校や大学は本当に楽しい。
現文の先生ならもう少し補足して話すべきだったかな
自分の頭でものを考える子には、日本の小中、もしかして高校も厳しい環境だから、
林さんはそうだろうな・・と、
いたって普通のことをおっしゃっていると思うんだけれどな。
「友」って付く安っけらな言葉が氾濫してるけど、友って何よ?
SNSの類が普及するにつけ、今時の若者は必要以上に一人でいる
事を嫌い上辺だけの薄っぺらい繋がりを求め、他人の目を異常に
気にするから一人で昼飯を食う事もできない(なので一人でいる所
を他人に見られるのは生き恥だとばかりにトイレの中で食事すると
いう便所飯などという愚かな事をしてしまう)。
<一人、独り、ぼっち=寂しい、侘しい、孤独>などというステロ
タイプの価値観しか持てないようなバカばかりだから、メンタルの
弱いガキ共が大量発生するんだろう。
自分は知り合い(知人)はそれなりの数がいて、友人と呼べる奴は
一人もいないが、林先生の言わんとする事を汲み取れない精神的に
幼稚な奴があまりにも多くなってしまった事が嘆かわしい。
実際、小中の人間関係で続いているのはわずかじゃない?くそ、と切り捨ててもいい。それが苦痛でしかないのなら。
もし、イジメにあってその時代のことを思い出したくなければ、クソくらえとサラッと流して今を未来を生きることに専念していいと思う。
友達の多さや繋がりの年月の長さで人の価値は決まりません。
林先生の言葉をそのまま間に受け、
「なぜそう言っているのか」
を全く考えずに感情的になって発言してるじゃないか
きちんと「お断り(留意事項)」も示した上で述べていますし、そもそも社会学的に都会は地方に比較して人間関係が疎にある傾向が著しい。
ただし「クソ」という表現は頂けません。身分が身分なだけに注意が必要です(少なくとも教え子に教えるべき言葉ではありません。)
特に学生時代を通じて散々いじめの対象になっていた子自身にとって、一般的にその子の持つトラウマは想像を絶すると思われ、勿論例外あり得ますが、その子自身がその時代を「楽しい」と思うことも、友人を「善」と思うことも限りなく「無」に近い又は完全に「無」く、むしろ「訣別」したいのが本当のところでしょう。
みたいな偏見というか先入観を植え付けられると、
それに縛られて辛い思いをすることもあるから、
あえて、「友達」なんて必要ない、クソみたいなもんだ、
って言ったんじゃないのかな?
どんな考えでも、一つの価値観に縛られると
辛くなることがある。
「友達」は、いても良いし、いなくても良いと思う。
というか、受験や入社試験を経て集まった人の方が自分に近い人達が多いし、心地いい。義務教育時代に感性の合う人に会える確率の方が低いだろうから、長く付き合える友がいる人はレアケースでラッキーなんだよ。確率論で言えばそーゆーことで、今後出逢う友達の方がより深い仲になれるよ!ってことだろ。
見栄の張り合い、少しでも上に立つため他人を見下したりと。今、思うと嫌な時代。
心強いアドバイスだと思う。
実際、地元小中の友達と会う機会はほぼ皆無。
高校以降かな、一生の思い出や友達ができるのは。
そういや、マイルドヤンキーとかいう人種は、
大人になってからも小中の友達と地元でつるむのが普通なんだとかつて読んだ事あるなw。
高学歴や志高い人ほど、ただ出身地が近所というだけの地元の同級生とは疎遠になると思う。
が、仕事仲間は話とかはするけど、食事は行事以外ではしないかな。
変な話をして上に行く恐れが無きにしもあらずだから広く浅くが一番だよ。
深いのは最終学歴の友達が一番かな?
特にイジメとかやる奴らなんか卒業したら一生会わない。
今イジメで自殺考えている子全員に知らせたらいいな。
批判してる人は話の一部を切り取ってしまってる、そもそも長文を読めない人でしょ。
子供の頃の友達が大事じゃないなんて一言も言ってない。
いちいち、批判しなくてもいいじゃん。
嫌なら聞き流すくらいでいいじゃん。
妙に強い地元意識を押し付けられたりとかいらない人もいる。
林先生が本当に必要な仲間たちと比較したら、確かにただ同じ地域で生まれ育っただけの人はなんの必要性も感じない…という意味でクソみたいなもんだという例えでしょう。
嫌な子供だったな
反省してる
条件反射でネットに反論しかできない層の人間相手には言っていない発言
私自身は、学校時代の友人関係にはこだわらないようにしてきた。そのせいか、小中の人間関係に至っては、現在ほぼ皆無である。もっとも、その時その時は、最低限の努力で良い関係を保てるようにはしていたけど…。
”友人関係”なるものも、進学、就職、転勤等で地理的に隔たりが出来てしまえば、あっという間に疎遠になってしまう。諺にいうように、去る者は日々に疎し。
林さんは、小中高生が、そんなかりそめの人間関係をあまりに重大にとらえ、その結果、周囲の目を気にして、不本意な少年期を過ごすことがもったいないと思ってるんじゃないかな。きちんとした人生送っているのなら、人間関係は流動的にならざるを得ないのにね。
学校の先生が、卒業式に涙ながらに、「みんないつまでも仲良く」なんて言ったときは、僕個人は「はぁ?」って思いましたが(笑)。