松本・地下鉄両サリン事件をはじめオウム真理教が関与した一連の事件をめぐり、死刑が確定していた教祖・麻原彰晃死刑囚(本名・松本智津夫)ら元教団幹部7人の死刑が6日午前、東京拘置所などで執行された。平成を代表するような前代未聞の犯罪は、時代が平成から移り変わる前に教祖らの死刑執行という形で一つの区切りをつけたことになる。
“胡散臭いがどこか憎めないキャラ”はテレビが放ってはおかなかった
この事件、広い意味でいえば芸能界も無縁ではない。麻原が犯罪史上に残る大量無差別テロの首謀者としての顔を剥き出す以前、1990年代の初頭には、“胡散臭いがどこか憎めないキャラ”を装いテレビ出演していたのだ。
「もちろん当時は、誰も麻原を極悪人とは思っていませんでしたよ。『TVタックル』(テレビ朝日系)や雑誌では北野武とも対話していますし、死生観はじめさまざまなテーマで話も盛り上がっていました。
振り返れば周囲の取り巻きには殺気立った雰囲気があったかもしれませんが、麻原自身はあれで愛想も良くて、本当はどんな人間かなんて見抜くのは誰にも不可能だったと思いますよ。オウムが武装化する前でしたしね」と振り返るのは、地上波放送局の50代男性プロデューサーだ。
「『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)では幸福の科学との対論もありましたが、司会の田原総一朗もどこか麻原の肩を持ってしまうぐらい、仏教に関する知識や勉強の姿勢を見せることには長けていましたね。
幸福の科学は教祖の大川隆法が出なかったので、オウムのほうが有利だった部分もあるでしょう。他には『おはよう!ナイスデイ』(フジテレビ系)にも出ましたし、『とんねるずの生でダラダラいかせて』(日本テレビ系)では変わった風体の濃いオッサンだけど憎めないムードを醸し出していました」とは、別の地上波放送局の元プロデューサーの60代男性だ。
取材は大歓迎の広報戦略に惑わされたジャーナリストも 「まさかあんな恐ろしい事件を起こすとは」
麻原がそのように積極的にテレビ出演をしていたのはサリン事件以前だが、オウム真理教が関与したとされる坂本堤弁護士一家殺害事件が起きたのは1989年だから、すでに凶悪事件を起こしていながらメディアに堂々と出ていたことになる。「むしろ盛んにメディアに登場して、有名人とトークをしたり、負のイメージを払拭することを狙っていたのではと思われます。教団の広報も大手のメディアの取材依頼に対して寛容というか歓迎という感じでした。
坂本弁護士の事件については全面否認していましたし、メディア露出によって一時はオウムの嫌疑が薄れていった感もありました。
いろいろなジャーナリストもインタビューなどをしていますが、カンの冴えたプロのジャーナリストでさえ、麻原がまさかあそこまで恐ろしい事件を起こす人間だとは想像つかなかったと思います」とは、週刊誌の50代男性編集者。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000005-wordleaf-ent
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