報道全てに局の主観(日本国以外のプロパガンダ)が入ってるから…客観的に事実だけ報道しろ。
井上貴博アナ「テレビはこんなに嫌われているんだ」と日々実感。それでもテレビを変えたいと挑戦を続ける理由(Yahoo!ニュース オリジナル Voice)#Yahooニュースhttps://t.co/ApSognGzUh
— 風舞 (@pDgwF1ZJh3QkDRL) May 27, 2022
ネットの反応
自分がされて嫌なことをしない、という姿勢が基本であれば本来は問題ない。
しかし正解がないような事実を報道しなければならないことも当然あると思う。
私自身テレビ業界に職を置いていた時期がありますが、報道、ドラマ、バラエティーの3種類が基本にあってその中でも報道が一番格上でした。3種類どれにおいても作家と演出家の意見が強すぎると思います。プロデューサーも同じですが。
もちろんそのほうが都合がいいことも多いでしょう。
ただ、何か伝えたいときは制作側の都合(スポンサーの都合も含む)だけじゃなく、視聴者の都合ももう少し考慮する必要があると思います。
どんな報道が求められているのかを考えることが第一歩であり、制作側の中で議論の時間がないことが考える機会を失っていると思います。
他の方も意見されているとおり、今のテレビ(特に朝、昼のワイドショーや夕方のニュース番組)は、まず局側の見方、意見ありきで、そこに誘導しようとする番組作りをしているのが嫌われる理由なのだと気が付かなければならない。
特に、ニュース番組のような「今の世相を伝える」ような番組は、ありのままを伝えることが必要で、局の見方やアナウンサーの私的な意見は必要無いどころか、むしろ視聴者の混乱を招くことに繋がることを考えなきゃいけないと思う。
井上アナの「変えたい」はむしろ逆効果。
ありのままを伝えるということは簡単なようで難しい。
なぜならば真実は一つではなく、人の数だけ真実があるからだ。
一つの事を伝える場合、その人の考え方を全く排除するのは不可能であると思う。伝える内容や順番、果ては接続詞や助詞の使い方一つだけでも受け手の印象は変えられる。受け手がその情報を受け、他の情報も集めた上で自分で考えることができればいいのだろうが、悲しいかな多くの人間はそうではない。かなりの人が、その情報に左右され世論が形成される。先の戦争もマスコミに煽られた世論の突き上げが大きな要因であったことを知るべきである。報道機関はそれだけの力を持っており社会的責任が大きいのだが、彼らにその自覚があるとは思えない。最近はどのニュースでも、まず小さな火を起こし、人が集まってくれば油を注ぎ火を大きくして祭り状態にすると言う手法ばかりが目に付く。自分たちの社会的責任に真摯に向き合っていない。
「無色透明の色の無い情報=事実」が報道できると思う時点で危ういのでは?良い例かわかりませんが、
「自動車2台が正面衝突事故で運転者2人が死亡」
この記事にどんな事実を加えるか、全く印象が変わります。
①片方が飲酒運転だった
②犠牲者には沢山の子供がいた
どの情報を出すか付け加えるか、それは取材者次第です。
都合が悪ければ情報の引き算もありえます。
飲酒運転者の親族に権力者が居て、その事実を隠す可能性も。
画像を作る、文章を作る、全て個人や番組や局の意思・意図が入ります。
局の意思はよくて個人の意思はダメなんですか?
むしろ局というよくわからないものの意思が無責任に垂れ流されている事のほうが問題だと考えます。
自分の責任で自分の意見を言う、こちらの方が価値があると思います。
テレビをはじめとする公共メディアに必要なのは「真実性」ネット情報は誇張や誤解などが入り乱れているが、その代わり速報性が高い
既存メディアは、その速報性に張り合うのではなく真実を厳選して報道する義務がある
だから腐ってもテレビなのであり、その情報の信用度はネットとはレベルが違う
…というのが基本だった
だが、数年前からその真実性が疑われる事態が多発している
(この新型コロナ騒動で顕著となった)
例えばあるアイスの新しい味が出るという情報が、実はガセだったり…
(担当者がTwitterの投稿を鵜呑みにしたとかしないとか…)
要はマスコミ自体の社内教育の問題だったりする
新型コロナに関しては、一方的に煽るのではなく、その反作用も同時に報道する必要があった
だがセンセーショナルな効果を求めて報道本来の責務を放棄した
これがテレビが嫌われた根本的な原因だと思っている
ニュース番組とか見ていると、伝えたいではなく、批判したいからこれを放送しているのかなという内容が結構多いように思うな。
もちろん、良くするための批判ならいいのだけど、自分たちの政治信条や利益誘導のための批判は、はっきり言って百害あって一利無しだと思う。
テレビ局も既得権益側になって久しいので、そういう面が多く出てきているかもしれないね。
ニュースコンテンツがいつも偏っている。自分たちが批判したいことだけをピックアップして報道しているのがよくわかります。そんな、自身の意見の押し付けができる、自身の批判をぶつけられる事象だけにスポットを当てた報道番組よりも、個々人の疑問に答えてくれるようなYou Tubeなんかのほうがよほどためになります。橋下徹の上海電力疑惑なんてどこのテレビ局も報道しませんしね。
自らを客観的な報道者から「批判をする権限者」に置き換えたときからテレビ、報道番組の凋落は始まっています。そしてそのことをテレビ局上層部は知りつつも変えることはないでしょう。
本当にその通りです。真実を中立に両方の立場から報道するのがよく、それの是非を判断するのは視聴者という構図が一番いいと思います。
それらの判断を歪曲させるために一部を切り取ったり、どちらかの立場に立った意見をするのは真実から離れていくと思います。
>ありのままを伝えることが必要で、局の見方やアナウンサーの私的な意見は必要無いどころか、むしろ視聴者の混乱を招くことに繋がることを考えなきゃいけないと思う。ただ垂れ流すだけ、それを大本営発表という。
例えばNHKのみはそういう姿勢でもよいかもしれないが…。
偏向姿勢(半分はその通りだが、半分は外野のレッテル張りだとも思う)の行き過ぎは問題だが、マスメディアには情報を多く持った上で、一般市民では手の届かない分析を伝えることも仕事だし、権力の暴走を防ぐ鈴の役目も果たさなければならない。
多くの特に若者は、自分が見たい情報だけピックアップしてほしいんだと思う。ネットでもテレビでもすべてを見る必要がない。重要なところだけ5分程度でまとめてほしい。
情報が多すぎて、そのどれもが魅惑的だから使える時間が限られてしまう。アクセスしやすさや、情報の集約度などが重要になる。
ネット配信やゲーム・アニメや映画も見て、その中から時間を捻出するとなると、2時間もあるバラエティやワイドショーなどを、悠長に見ていられない。
テレビは良くも悪くも昔と変わってないですよ。見る側がテレビ以外でも情報を手軽に入手できるようになった。そして、元の情報源を批判する事を個人も発信できるようになった。なので、テレビも一つの情報源として、視聴者が認識すればいい。それが間違っているかは個々で判断すればいいと思う。
例えば政治家の発言を切り取って、その政治家の品位を落としかねないニュースを流したり、公職選挙法には該当しないのかなあ?と思うような発言もあったりする気がしてます。北海道の観光船、4,630万円の振込など、一見、当たり前のように色んな角度からあることないこと、想像し、芸能人のコメンテーターの意見等を放送していますが、私は、この人自分で命を経つんじゃないかなー?と思うくらい、どのチャンネルもワイドショーでやっていて、ちょっと悪意を感じたりします。常に視聴率を、追及しないといけないのかも知れませんが、テレビより、ネットニュースの方がいいかな?と思ったりします。
テレビ場馴れはいいと思うし必然だと思う。マスメディアにおけるテレビの影響力が10年以上前までは大きすぎたのがそもそも異常だし、その結果、世論誘導やミスリーディングも多くあったと思う。
テレビが復権を得るため努力は必要だけどそれはテレビ側で勝手にやればよく、個々としては多様なメディアで情報を手軽に得ることが出来るようになり、デメリットも多々あるので情報判断能力を高めることがより一層重要であると考えます。
>>それは不可能。どのニュースを伝えるか、どの映像を使うか、どういう表現をするか全て誰かが決めているんだからそこに意図するかしないかは別としてフィルターがかかる。もちろんそれはネット情報も同じ。だから、局が報道で考えないといけないのは、
『どうすれば事実を事実のまま報道できるか?』
って事。
裁判官に似たような事だよ。
自分がどう思うかではなく、出された事実に対してどの法律を当てはめ、どう判決を出したらいいか無我になって考える。
マスコミになって欲しい姿はそういうもの。
ほんと一人だとテレビは見ないな かみさんは見てなくても付けているがニュース番組でもバラエティ番組でもイラッとする内容が多すぎる。ニュース番組でも左寄りのコメンテーターばっかりだし 解説はよしとしてもアナウンサーやコメンテーターの意見は要らない。事実を淡々とくどくなく伝えてくれ。意見 推測を言ならニュースでなくワイドショーと言ってくれ。あとグルメ番組やアポなし何チャラでも嘘大げさが多すぎ。まったく参考にならない。
>>hag
>>局の色とか個人の感想といったバイアスを掛けることなく起きている事実とその背景を正確に伝えれば良い。それが出来ないから嫌われているんですよそれは不可能。どのニュースを伝えるか、どの映像を使うか、どういう表現をするか全て誰かが決めているんだからそこに意図するかしないかは別としてフィルターがかかる。もちろんそれはネット情報も同じ。
地方出身者が東京あたりの名店グルメとかにどれほど興味あるんだろうとはよく思う。
最近全然テレビ見てないけど、テレビがつまらなくなった理由は、コンプラやスポンサーなどに縛られすぎて、まるで冒険出来なくなったからだと思ってる。
局ごとにスタンスが明確だったら、選択制で好みに合ったチャンネル選んで見るだろうけど…それこそネットTVで事足りるんよね。
別に面白なくてもいいんです。
正確にものごとを伝えてください。
局の色とか個人の感想といったバイアスを掛けることなく起きている事実とその背景を正確に伝えれば良い。それが出来ないから嫌われているんですよ
左翼のプロパガンダツールになり下がっている
ウソ、捏造で自らの商品価値を下げ続ける奇妙な業界
とにかくテレビ局が自社の姿勢みたいなのを
重視しすぎてると思う。例えば、政治報道なんかでも、普通の人からすれば、はっきり言って与党とか野党とかどうでも良いんだよ。
要は問題となっている事は何で、その法案がどう有効に働くのかを知りたいのに、与党が提出したという理由だけで野党のどうでも良い、批判にもならないレッテル貼りを強調して取り上げる。
その姿勢がつまらないことに気づいてほしい。そういう報道するとテレビを1番見ると思われる年寄りとか、一部のネットユーザーとかツイッラーとかが喜ぶのかもしれないけど、それらの意見は数ある世論の、あくまで1部でしかないから。様々なネット媒体では、色々な人が多種多様な意見を表明してるけど、ほとんどの人はもっと冷静に見ていると感じている。多くの人を対象に発信してるはずのテレビが、一部の人向けの番組作りをしていること、それがテレビ離れという状況に出てると思う。
テレビ局側が勝手に善悪を決めつけて報道する。
悪と決めたら対象の悪の部分ばかりをことさらに強調で善の部分は報道しない自由でカット。
そうじゃなく善悪は視聴者が決めるから平等で正確な報道をしてほしい。
アナウンサー一個人の感想も要らない。
私の感覚だと、テレビが嫌われているのは、本来視聴者が見て楽しむものが、作り手や出演者が楽しんでそれを見せるかたちになっているからだと感じる。
例えば報道やワイドショーでは、出来事を伝えることよりも、それに対して出演者が出すコメント、どう考えているかを「視聴者よ聞いてくれ」になってしまっているように思える。
バラエティーではこれがさらにひどくなり、スタジオ出演者がVTRを見ながらワイワイ騒ぎ、いちいち言葉を発し、それを視聴者に見せている。本来テレビを見ながらワイワイ騒ぐのは視聴者の「役目」なんだが、要は「テレビを観ている人たちを見せる」格好になってしまっている。
しかもテレビは一つの局が始めるとすべての局が同じことをする風潮がある。
結局視聴者のためにと始めたことが視聴者のためになっていないことに気づいていないか、気づいていても改めないところが嫌われている要因だと思う。
出演者がつまらなそうに「仕事です」って感じでやってるのを見せられてもつまらないのは事実。
出演者が楽しんでないものを視聴者が楽しめるわけがない。
出演者が楽しむのは良いが、それが視聴者まで伝わってないのが問題。
「こっちが楽しいんだからお前らも楽しいやろがい!」って押し付け感はある。