ネットの反応

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言論とか憲法が色んな自由を認めているけど、自由を行使するにはそれなりのモラルは必要だと思っている。このような時に公開するのも、それは法の縛りには無いし、憲法で自由だという主張と解釈だと思うのだが、何でもやりたい放題にやっていいわけじゃなく、そこにもある程度のモラルはやはり必要なんだと思う。
1-1
この件がなければ自民の闇が暴かれることはなかったって・・・こういう形で暴いて良いわけではないでしょうが。

暴いたという事だって、加害者側の視点、またはこれに便乗したい者の都合での解釈。

真に正しい事実というか、「~じゃないか?」という言葉が介在しないことが事実だよ。

都合良い者達にとってのみ都合良い映画で、尚且つそういう者達の行いを正当化し得る代物を上映することは、テロや感情に走った殺人を容認するようなもの。模倣犯や近い被害が出たときの責任をどうする?取れないだろ?自由や権利には責任があるんだよ。

1-2
やられた安倍だけじゃなくてやった方の加害者の側面を見るのも大事なんじゃないか。
やったことはいけないこと、しかし追い込んだのは統一教会だというのは事実だし片方の側面だけで何事も判断するのはよくない。
モラル云々の前に観る自由観ない自由があるんだから自分の倫理観と照らし合わせて考えたらいいんじゃないか。
1-3
>多分こういうことがしたいんじゃない?
『社会信用システムとは、中国政府が収集したデータに基づいて、全国民をランク付けし、「信用度」をスコア化するシステムのこと。 スコアは日々の行動によって上下するんだけど、このスコアに応じて賞罰を与えたり、人々の行動を道徳的にしたり、健全な社会を構築しようという政府の考えから始まったんだ。』政府の収集が偏らないという保証は?
政府の構築が民衆にとって健全だという保証や確認は?

政府の介入時点で総て操作というんだけどね
政府は指針を示すに留まらないと
政府の国ですがな

それこそ
民衆は、我々は自由を行使する~ってなると思うよ

自由を行使するって宣言して
自由を行使します~

それじゃぁ普段は何してたんだよ?
自由じゃなかったのって感じ

1-4
言論の自由、表現の自由があるから映画を作るのは自由
問題はこういうものに対して好意的なマスコミの姿勢
それも礼賛するようなマスコミまである
なんかブッ壊れてるんじゃないかと思う
1-5
安部さんの件だけ特別視するのは論外ですね。
これはだめあれはOKなんてのはあり得ないそれを踏まえて法律が存在する。
また世良さんの言う事が通ればマスコミが報道されることが限定される
何もかも性善説にのっとって法律はなりたたない、裁判所は大岡越前ではありません。
1-6
世良さん個人としての批判や指摘は、
言論の自由として大いにやっていただいて良いと思いますが、
表現者が他者の表現方法に対して簡単に
「国として全力で警鐘を鳴らすべき」という物言いには、
非常に危険を感じます。モラルの問題ではありません。
私はこの物言いの仕方は賛成できないし、
受け入れたくありません。

1-7
まあ、広い意味で言えば鎌倉殿とか毎週殺人が起きて首塚がレギュラーになってるし、新撰組なんかも概ねそんな感じだし、本能寺の変だって大概なもんなので、殺害やテロを映像作品で扱っちゃいけないってわけでもないとは思うが・・・。ただもう少し一次資料が揃ってからでないとまともな映画にならんのではないかとは思うが

1-8
伏魔殿化した資本主義社会や、税金や経済の締め付けによって「殺されている」人も少なくないわけであるから、どっちもどっちだろう。少なくとも、山上の行動が無ければ自民党政府の闇の一つが今暴かれる事も無かったであろう。

1-9
まだ、裁判が始まってもいない状態での映画公開は、はっきり言って悪乗りに過ぎる。反安倍なら何をやっても許されると思っているのだろうが、政治的立場が色濃く反映されたたちの悪いプロパガンダに近い映画と思う。
1-10
>自由を行使するにはそれなりのモラルは必要だと思っている。そうは思わないやつが多いんだよ、「モラルが必要な自由なんて、そんなのは”本当の自由”じゃない。」っていうのが。
まあ本音としては好き放題に、そして無責任に暴れまわりたいだけなんだろうけど・・・
赤の他人に対する感情や謙虚さを持ってないのかもね。そういうのがあれば、好き放題に暴れるとか絶対にできないから

2
革命…ね。
果たして革命になっただろうか。まぁ政治家と宗教法人のつながりを再認識する機会にはなったが、革命ってそういうものじゃないでしょう。
犯人も、政治的思想による犯行ではないとしているし、犯行以前のTwitterでも、もう感情が抑えられない旨が刻々と刻まれている。正直、革命として崇高かのような扱いをしてしまうと、国家反逆罪でも突き付けられてしまいそうで怖いな。国家反逆罪には、無期刑か死刑しかないから。もし仮に彼へのリスペクトがあるなら、あくまで政治家を殺した、のではなく、恨みのある団体に関係していると思われる人を感情的になって殺した。のほうが、刑だって軽く見積もれるし、何より本人の主張と合うような気がする。

3
大多数の国民感情や、遺族の方々の感情を鑑みれば完全にご法度です。ですが、この国の憲法には、表現の自由はこれを保障するとの明記がありますので、一定の制約条件があるとはいえ、有害図書やAV動画がビジネスとして成立しているわけですから、制約条件をクリアできていれば公開の判断はやむを得ないと思います。

個人的には権利の乱用と思いますが、法令におきましても線引きが明確でないため、裁判の過程に於けます画期的な判例でもない限り、取り締まることは難しいと思います。

ただ、こういった前例を安易に認めて、放置してしまうと、表現の自由にかこつけた重大な人権侵害問題が発生する恐れが出てくると思います。

3-1
まず例の事件については法的に何かが明らかになったわけでも無いので
勿論表現の自由として公開される事自体は止められなくとも、
そのありようは批判できます。とにかく時期尚早です。ただし、例の事件にから明らかになってしまった事実、
統一教会の政界への浸透工作であるとかはそれとは別に批判されるべきで、
こういう話を通じてその口を塞ごうとする話もそれはそれで違います。

3-2
作品そのものへの批判や公開時期への批判は、
個人としていくらでも好きなようにすれば良い。しかし、世良さんの発言の何が問題かというと、
「国として全力で警鐘すべき」と言ってしまうのは、
表現者でありながら、
表現の自由に対して自ら首を絞める行為だということに
気づいていない点。

表現者が自分の気に入らない他者の表現に対して、
国(国家権力)に、
「アイツらを全力で黙らせちゃってくださいよ」と、
頼んでいることになる。
立場が変われば、自分が黙らされることになるかもしれないのに。

3-3
映倫で何歳以下は見てはいけないとか
規制できるんだから、それでいいんじゃないかと思うけど子供が見る時は親とちゃんと話し合ってからみましょうって
推奨することもできるし

自ら考えて、判断できる年齢に人が見る分には
何も問題ないんじゃないの
そして、見て批判して考える社会であれば
規制して考えない社会よりずっといい気がするけどね

3-4
撮影と上映を妨げる事はできないと思う。
それをしてしまったら、それこそ問題だ。しかし、このような映画を「あえて宣伝しない」「伝えない」事はできる。

自 (札)があった時に、連鎖や共感を防ぐために、報道しない(しても控えめに)方針であることは周知の通りだ。

今回の暗 (殺)も同じではないか?

映画人の中には「映画は特別」との思いを持つ人が多い。
(そりゃ、映画人は映画の当事者だから当たり前だが)

しかし、そんな映画人の思い込みに、社会がしっかりと「NO」を突きつける事も必要だろう。

この映画、観てないけど。

3-5
遺族の感情を慮れば作品にするのはどうかとも思うし、英雄視は言語道断だと思いますけど、じゃあ全ての犯罪を題材にした自叙伝や映像作品が作れないとなると、その事件で国民が感じた恐怖(今回で言えばカルトの沼やSPの不甲斐なさ、銃はその気になれば作れてしまうetc…)が一瞬一瞬で忘れ去られてしまう可能性もあって、そういう側面で見ると有意義だったりもするしなぁと。
3-6
公開前の映画を非難した所で何を言いたいのかわからない。
内容だってわからないのに安倍氏襲撃犯の映画というだけで排除しろというなら、余りに短絡的な考えだと思う。それに自分一人の意見としてコメントするだけなら未だしも、「国・メディアは全力でこれに警鐘を鳴らすべき」とまで言うのは行き過ぎた狂気じみたものを感じる。

余りにも一方的で独善的な考えは賛同し難い。

3-7
>なら、席包帯の内面を描く映画を作る、
>こんな話が出てきたら、どうなるか?その批判も、まず中身見てからされるべきですね。
赤報隊事件事件自体は、未解決事件ではありますけど
ある程度評価の固まった事件で、今の話とはまた違いますからね。

その対象が誰であろうが、その内容で批判されるならわかりますが
まずその表現を塞ごうという話は、私は首肯しかねます。

まあ今回の話は映画にするには早すぎますけどね。

3-8
表現の自由によって、人類の利益になるより自由な発想や議論に繋がればよいのだけど、本件は政治的な意図で実施するのかな。。せっかくの表現の自由を有効活用できていない感。。
3-9
表現の自由が憲法で保障されてる以上、こういう表現も認めなければいけない
一方、一切見ない興行収入に貢献しないのが資本主義での正しい抗議の方法
そういう意味では俺は一切見ないし話題にしない
3-10
映画が公開もされていないのに、その内容までなぜ批判できるのか?
監督自身「山上容疑者は英雄ではない」と断言しているのに、あたかも英雄視しているかのような批判が多すぎる。まずは作品を見てから批判すべき点を批判すべきだ。
4
製作者がなんだかんだ言った所で、商業ベースの映画。
言論の自由が保証される社会では認められる話ではあるが、テロを商売にする事には嫌悪感。
制作側が、見てから批判しろと言うけど、そのメッセージ性以前の問題になってしまう。
言論の自由としたら、こういう映画を作るのも自由だけど、批判するのも自由。
4-1
警察庁組織令第三十九条では、テロリズムの定義として、「テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)」と規定されている。容疑者の主張通り私怨ならテロではないみたい。

4-2
まだ、裁判が始まってもいない状態での映画公開は、はっきり言って悪乗りに過ぎる。反安倍なら何をやっても許されると思っているのだろうが、政治的立場が色濃く反映されたたちの悪いプロパガンダに近い映画と思う。
4-3
この映画が誰かの人権を侵害するのか?
政治家の功罪を批判するのは、報道や言論の自由のキモ。
それを取り締まれというヤツは北朝鮮やロシアが理想か?
観るか観ないかも自由。
4-4
〉理由はどうあれ、テロ行為を礼賛・容認(してるなら)ならば、テロを礼賛してるかどうかは公開されてみなきとわからないので、現段階で批判はできませんね

4-5
理由はどうあれ、テロ行為を礼賛・容認(してるなら)ならば、それは言論自由ではなく、犯罪行為誘発であり思想誘導だと思いますが・・・
4-6
山上の事件への心情を丁寧に描いたとか言ってるけど山上に取材した訳でもインタビューした訳でもない監督の勝手な主観想像映画に見る価値は無い。
4-7
>テロを商売にする事には嫌悪感三島由紀夫が起こした市ヶ谷駐屯地の事件でも、さんざん色んな人が論評して、映像化もされた。犯罪に繋がらない限りは、それを止めることは出来ないよ。

4-8
>元首相を選挙演説中に襲った時点でテロなんだけど!
それに犯行動機は関係ない。反抗動機は関係ないと言いながらテロと主張するって完全に矛盾してますね。きちんと調べてから
コメントしましょう。

4-9
スレ主さん、そしたら9.11をモデル、3.11をモデルにした映画もダメになりますけど。。。
4-10
見てからも何もこういうものを作ろうとしてる時点で悪意しかない
5
何故世良公則がと言うのは置いといて、これはまだまだ解明することが多く、なおかつ犯罪としての判断も決定していない状況。倫理的にもおかしい事は確かで、※※の自由と言うがやって良い事と悪い事、そしてタイミングが有る。

容認することは国として、社会として非常に危ないことだと思う。

5-1
マスメディア政権は此を容認するでしょう。今の日本はマスメディア政権に乗っ取られて何でもありである、一方戦後一番自由に話しが出来ない状態にある。政府は自民党だが実態は、マスメディア政権を後押しをする野党や革新系市民団体に握らている。これ程何も言えない時代は戦後なく、自由主義が行きすぎるとこの様な実態になる事を実践している日本である。
5-2
いくらなんでも作るの早すぎだと思うわ。一言で言えば、不謹慎。

表現の自由を建前にどうしてもやりたいのなら、せめて10〜20年は時間が必要だと思う。

5-3
映像作品とか歌を国が監視や禁止するようになったら、日本と言う国はだいぶやばいと俺は思うんだけどね。国際的に見ても、先進国は表現内容を制限したりはしないよ。
5-4
安倍の国葬自体が不道徳の賜物だしそれへの抗議という事で見れば時期的にも問題ないと思うけど。
中身がどんなものかはよくわからんけど。
5-5
国が容認云々じゃなくて時期が悪すぎるいずれ誰かが作るだろうからその前にというやつだろうけど不謹慎不道徳の極み。
5-6
>何故世良公則がと言うのは置いといて、置いとかんでええよ、

小泉今日子とかやったら、お決まり文句で叩かれるやろ?

世良とかほんこんとか将棋大使の俳優とか
死んだけど津川雅彦とかは
ネトウヨと感性がおんなじやから叩かれへんやろ?

それを踏まえた上で、山神容疑者に絡んだ映画の是非は、暴力の否定をしっかりうたって、バランスよく表現をとっておれば問題はないね。


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