高畑勲監督の死去を受けて、1988年公開のアニメーション映画『火垂るの墓』が4月13日に『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)で急きょオンエアされた。同作はほかのスタジオジブリ作品とともに、日本テレビで8月を中心に定期的に放送されてきた。戦争で両親を亡くした兄と妹が、自由を求めて防空壕で暮らしはじめるも、食べ物にありつけず、栄養失調で妹を亡くし、やがて兄も戦後の浮浪児となって命を落とす切ないストーリーである。
戦争の悲惨さを描いた名作として知られるが、ネット上では思わぬところからツッコミが入っている。
「空襲で母親を亡くした兄と妹は親戚のおばさんの家へ引き取られます。折り合いがあわずに家を出て防空壕で暮らし始めるのですが、そこに『そこは我慢しろよ』『なんで謝らないの』『母の形見の着物を米に換えられたことに文句を言うけど、家賃光熱費払ってるの』といったツッコミがネット上では見られます。
作中では母親が7000円の貯金を残してくれるシーンもあり、これは現在の価値に直せば1000万円以上に相当します。物不足の時代とはいえ、これだけのお金がありながらなぜ、最後に妹を亡くしてしまうのか。悪いのは兄の清太ではないかといった声も見られますね」(ネットウォッチャー)
これはネット時代の「愛のない正論」だともいえる。何より『火垂るの墓』の原作自体が複雑な要素がからみあうものだった。
「『火垂るの墓』は2015年に亡くなった野坂昭如さんの同名の小説が原作となっています。本作で直木賞を受賞していますね。野坂さんは実際に妹2人を栄養失調で亡くしていますが、作品にあるような妹思いの兄ではなかったようです。
親戚の家をたらい回しにされた経験もあるものの、ご飯を食べさせてもらえないといったひどい扱いもなされておらず、どちらかといえば裕福な家庭で育ったようです。
ただそうした立場にあっても、お金があっても食べ物がない、全体主義の抑圧が一般家庭にまで押し寄せている、といった戦中の空気を理解していないと矛盾のある物語と感じてしまうでしょうね」(前出・同)
高畑監督は生前に作品について、時代が変われば「未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、僕はそれが恐ろしい」と言葉を残している。今回のネットの反応は、まさにそうした恐怖の時代の到来を現しているかもしれない。心からご冥福をお祈り申し上げる。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180417-00000010-reallive-ent
みんなのコメント
「火垂るの墓」は、人により好き嫌い、苦手意識ある作品だと思いますが、戦争の悲惨さ、兄妹愛を伝える素晴らしい作品だと思います。
それを純粋に鑑賞することができないなんて…。まさに恐ろしい世の中になったなぁと思います。常々思っておりましたので、記事を書いてくださった方に、感謝の意を表したいと思います。
毎回涙なしでは観られない作品です。中学生くらいの男の子ですよ。海軍のお偉いさんの息子さんだったんです。プライドがあります。簡単に頭なんて下げられない。それを諭す親がいない。でも彼なりに妹を守って生き抜こうと必死だった。私は、彼が一人で背負って、隠していた母親の死を節子に話したおばの方が許せません。
でも映画やドラマや漫画に、正義を持ち出して何になるんですか?作品にはリアリティばかり追求しても良い物は生まれないと思います。
愛のない正論っていうけれど
おばさんだって、必死に生きていた時代だから
一方的な悪者を作らない意見として
貴重なんじゃないかな?
どちらも悪くない。
悪いのは戦争。
だが、それは親がいて、我慢を教えてくれたり、お金の価値やちゃんとご飯も食べれてしっかり眠れて心も健康でいられてこそだとおもう。まだまだ親が必要なんだよ清太には。親を失うとこうなることもあるととても勉強になったのを覚えています。なので、戦争に巻き込まれ両親を失ったことが前提の今作では清太の選択ミスとは全く思わない。
それにしても、高畑監督が今の状況を恐れていたことに鳥肌が立った。
それで金が底をつく
こう言う時って食べ物が1番大事やん
確か原作者は兄のエゴを描いて人間の何たらかんたらだった記憶が。
戦争の悲惨さを描いたわけじゃないだったけな。
映画化した際に捉え方が違うとかのコメントをしていたはず。
作中で、
配給でしか食糧が手に入らないって言われてたり、
農家のおじさんに、おばさんに謝るよう言われたり
働く風でも勉強する風でもなかったし、せめて、食器の片付けはしたほうが良かったかと
交番でSOS出せなかったのかなとか、
食糧手に入らなくても、病院にはもう少し早く行けなかったのかなとか、
だけどおばさんの家には居れる状況ではなかったんだろうなと思うし、
病院も重症患者でパンク状態だったと思うから、
結局はこんな結末(防空壕、盗み)しかなかったんだろうなと思うと、
悔しくて怒りで涙が出ます
節子と清太の弱っていく姿に耐えられなくて、直視できませんでした
弱り始めたくらいからは音声のみで聞いてました
とにかく辛くてもう二度と見れないと思うし、
自分の子供たちに将来見せれるか、
見せるとしたら何歳頃がいいのか、
悩みます
海軍大佐の子供であるこの子達は国に保護される対象でしたし、交番に行ったときに身元も発覚してたはず
清太の葛藤と悲劇のアニメという印象です
海軍大佐の息子というプライドと
父親を尊敬しすぎてて負けるわけない父は必ず帰ってくるという自信
だからおばさんの家でもずっと世話になるつもりがそもそも無かったし
箱入り息子である清太にはこの歳で働くという選択肢は思いつきもしなかったんだと思います
日本(父親)の負けを知って初めて自分の愚かさに気付いたんしょう
でも誰が悪いとなるとやっぱりおばさんが悪いです正論でも
まだ14歳と4歳でましてや世間知らずのお金持ちの子供、教えなきゃいけないことはたくさんあったと思います
理屈は間違ってないが、それは違う!
と言いたくなる論調がネットに氾濫している。
で、そういう連中に限って
声の大きい変な有名弁護士に熱狂する。
愛も情も薄くなったもんだね。
あ~、やだやだ。
その子達の祖父母の世代で貧乏してた家庭なら、あの映画の伝えたい事は解るはず。
先達の昔話をちゃんと聞いて育ってたら批判なんてしないよ。
戦争によって余裕がなくなり、他人を救ったり思いを汲んだりお利口さんでいるなんてできない、自分のことだけでいっぱいいっぱいな状況だった。仕方ないことだけど、だから戦争は悲惨だとあらためて思わされました。
でも、戦争もない現代で、物質的な余裕があっても、同じような状況でないとも言えないところがある、、
監督が懸念していたような時代なんですね。
毎日大量のモノや食べ物が棄てるほど溢れている飽食の時代。
その現在の尺度のみに立った「愛のない正論」は、
70数年前に日本で確かに起きた悲惨な事実(=戦争)に対して、
どれだけ想像できるか?
慮(おもんぱか)れるか?
自分ごとに考えられるか?
そして、この先の未来にかけて人類の最も愚かな行為=戦争をせずにいられるか?
現代を生きる人にそれを試すリトマス試験紙だったのかもしれない。
実際にここでは戦争の苦しみ悲しみを知らないはずのたくさんの現代の人たちが、清太や節子の、また親戚の叔母さんの立場に立って考え、コメントしている。
そういう意味で故・高畑勲監督が遺した不朽の名作『火垂るの墓』は今でもちゃんと「生きている」のかもしれない。
何も悪くない、あの年の子どもが、あんな目に合わなきゃいけないのが戦争だと訴えている映画だと捉えてますが。
清太みたいな優しい妹思いのお兄ちゃんじゃなかったって。
14歳なんてまだ子供で自分の事で精一杯。
時代の被害者だよ。こんな辛く悲しい戦争は絶対に繰り返してはいけない。
今の時代にそうやって妹を死なせたヤツがいたらこんにゃろう!でいい。
でも主人公だから間違えないなんてないし、判断を誤る清太の行動にもメッセージが潜んでいるはず。とはいえツッコミに「愛」の有無を問うのは妙に思います。
大人でも自分や家族を守ることが難しかった時代に、生き抜くことだけを冷静に考えれば、数々の清太の判断はやっぱり未熟です。
それが清廉、純粋、こどもらしい清太という子なのでしょう。
清太は裕福に育った甘ったれなんだと、高畑監督自身が野坂氏との対談で仰っていました。
勝利を信じ堪え忍んだ戦時中のこどもではなく、快か不快かを大事にする「現代っ子の姿」を清太に投影しているとも。
映画「火垂るの墓」はリアリティが強調されがちですがノンフィクションではありません。リアルを越えた創作でこそ伝えられると高畑監督が目指した世界の一つの極みと思います。
問題だから仕方がない内容に
なってるのが悲しいですね。
それこそ投稿者が特定される
環境なら、こういう事を
する人、減るんでしょうが。
モラルの無いネット環境だから
漫画村やアニツベも平気で
使うんだろうな。
私はみんなこの兄妹が死ぬストーリーが悲しいから
もっとこうやれば良かったのに、って言いたくなるんだと思う。
愛があるからこそのツッコミじゃないかなぁ?
生きるための行為とはいえども最後は生きられませんでした。
「そうですね、あるところにはあったんです」
そうみたいですね。
私の母も当時まだ子供でしたが比較的裕福で家が軍人さんの宿舎になっていたそうです。
その時軍人さんから当時貴重品だったであろうチョコレート等色々な物を貰ったそうです。
軍国主義の当時は軍は裕福だったのでしょうね。
今は何でも手に入る便利な時代です。
戦後しか知らない私達は後世にこの平和な時代を引き継ぐ事が義務なのではないでしょうか。
ただ物資欠乏の時代に、疎開先でいじめられたとかは良く聞く。
人なんてそんなもの。
叔母さんは、その時代の平均的な大人。
戦時には誰しもが、あの叔母さんになり得る。
喜怒哀楽の怒、愛別離苦の離苦が突出し剥き出しの我欲が人心を浅ましくする。
戦争反対。
LOVE&PEACE
戦争が悪い。
とにかく我が子には、作品を見て純粋に涙するような子に育ってもらいたいものです。よい作品だと思います!!
今の若者に時代背景が理解できないなら、例えば日本中が震度7で街道路崩壊、両親は死んでコンビニに弁当が並ばない状況、北がミサイルも打ってきて炎で畑も焼けて八方塞がり、と伝えればわかるのか
しかし今だから言うが作り手の思想が偏り過ぎてるんだよな。
何故悪いのか?という根本まで考えが行き着かないでただ自分たちが悪かった、不幸だったと嘆いてばかりで思考停止している。
よっぽどこの世界の片隅にの方が良質な作品だよなと最近は思うよ。
そういう見方も想定内か。
お金があっても物資が不足していれば貧乏な状況と同じで卑屈になりやすいからなぁ。
そこに親戚からの愛情も感じられず憎まれ口を毎日叩かれてたら、飛び出したくなるよ。
もちろん、その結果妹を失った罪悪感は清太が一生抱えるものだけど、清太の気持ちに対しての同情やそんな状況にした国や大人の問題点を教訓にしないと。
弱いものを守るという道徳は、ないものにしてしまう、戦争とはそういうことなんだと知った。
けれど、清太は妹の節子を必死で守ろうとした。
やり方は間違えていても自分を守るのと同じように。
節子も幼いながらも兄を慕い思いやった。
その純粋さに触れたくて、見るのもつらいのに、またみてしまうという映画。
清太を批判するだけの見方というのは、映画の主旨とは違う気がする。
よって火垂るの墓は本来なら成立しない話です。
兄妹の目線で見れば、両親と引き離されるだけでも辛いのに、意地悪なおばさんに毎日いろいろ言われ、お母さんの大事な着物まで売られる…
幼さゆえ、それがどんな結果になるかまで頭が回らず「もう誰の世話にもならず、洞穴でも兄妹だけで誰にも邪魔されず暮らしたい…」と考え、実行したとしても不思議ではない…
一方おばさんの目線で見れば、戦時中は自分の家族が食べていくのに精一杯。
本来であれば人の子供まで面倒見ている場合ではない。
しかも中学生にもなる子が拗ねて毎日家でブラブラ。
不登校の子が珍しくもない現在ならいざ知らず、「月月火水木金金」なんて歌もあるぐらい、子供からお年寄りまで、病気や怪我をしていない限り働いていた時代。
ただでさえご近所の監視の目が厳しい時代によけいな目をつけられてはたまらない。
兄妹が家を出てくれてホッとしたと思う
俺にはあの兄妹を批判する気などまったくないね。
ただただあの二人は可哀そう。それでいいんだよ。
映画だから賛否両論あるのはしかたないと思うけど、清太の行動は仕方なかったと思うよ。
働けばよかったとか何とかいろんな意見があるけど、その人達に問いたいね。
あなた達が14歳、中学2年生のとき、そんなに立派な子供だったの?
そもそも当時のことを知らない人達が、ネットで仕入れた情報を鵜呑みにして、~だったはずだからおかしい と批判していること自体が怖い。