老舗芸能プロダクション「サンミュージックプロダクション」が11月27日、創業50周年を迎える。タレント第1号の森田健作氏をはじめ、都はるみ、松田聖子、岡田有希子、酒井法子、ベッキー…その系譜を辿れば“芸能界の歴史”そのものとも言える。
そこで今回、創業者の故・相澤秀禎さんと二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立した元専務、福田時雄名誉顧問に、栄光と波乱の50年について聞いた。
■松田聖子は押しかけ上京で“ポスト百恵”に「聖子は自分で運を掴んだ」
――サンミュージックの第1号タレントは森田健作さんだとお聞きしました。
【福田時雄】初めて自分で探してきたタレントが森田健作でした。本人は芸能界に興味がなかったけれど、なんとか説得し、当時人気絶頂だった黛ジュンさんの映画『夕月』の相手役募集に応募させたところ、見事合格。
それが1969年の11月25日で、撮影がスタートしたのが2日後の11月27日。その日がサンミュージックの創立記念日なんです。
――その後、森田さんは主演映画、歌手デビューと順調なスタートを切ったわけですね。
【福田時雄】そして、相澤(秀禎)が2人目として連れてきたのが野村将希(デビュー時・野村真樹)。その年の新人賞を取り紅白歌合戦に出場しました。
そのころ事務所も手狭になり新宿三光町から四谷4丁目に引っ越したのですが、森田が撮影用のライトが頭に当たって入院、野村も雑誌の取材中に落馬して入院と最悪の出来事が続きました。
――好転するきっかけというのは?
【福田時雄】新宿三光町の事務所は昼間でも電気をつけないと暗いような部屋でしたが、日当たりの良い四谷4丁目に引っ越して、不思議と良くなったんです(笑)。そんなときに現れたのが桜田淳子でした。『スター誕生(スタ誕)』(日本テレビ系)の秋田大会をみて、ぜひこの子だと思い手をあげました。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00000305-oric-ent
ネットの反応
今だったら完全にアウトなんだろうけど、岡田有希子は飛び降りた時に速報で路上で倒れてるところがもろにテレビで出ちゃってたからなあ。
今だに峰岸徹の名前を出してる人がいるけど、本当のキーマンは「下町ロケット」で帝国重工 取締役の的場俊一を演じてる人だよ。
ゆっこの残したメモの「Mさん」は「正輝さん」だよ。
そういや「下町ロケット」でも的場さんは伊丹(尾上菊之助)を捨てたんだったな。正輝そのまんまのキャラだね。
3ミュージック
今の10代?30代前半の人は、岡田有希子さんなんて知らないと思います。中でもAKB唯一サンミュージック所属・小嶋真子さんなんかは、親が故人世代だと思います。
岡田有希子のニュースは夕やけにゃんにゃんの放送中にニュースを視てた記憶がある。
雑誌フォーカスではショッキングな写真が掲載されていた。
岡田有希子が自殺したのは福田専務が追い詰めてしまったからだと私は思ってる。優しい言葉をあの時かけてあげていたらパニックになって飛び降りることなんてなかったと思うな。
他界されても自分はいつまでも有希子さんのファンであり続けたいと思います。今でも時々「愛をください」を読んだりしますが、とても才能に溢れた方だと思います。改めて御冥福を心よりお祈り申し上げます。
事務所自体はイメージ悪くないのに、問題タレント多すぎやろ。
どうなってんの?
お笑い部隊が地道に頑張ってるけどなァ。
日本のアイドル史上、松田聖子が一番成功したんじゃなかろうか?
ほぼ同年代の私は…あの当時、岡田有希子さんの自殺は…衝撃。週刊誌の遺体映像、今じゃ考えられないけど。
生真面目過ぎた彼女、今で言う過労鬱だったのでは?誰かが手をさしのべていたら…
改めて、ご冥福お祈りします。
中学生の頃、岡田有希子さんのファンでした。
亡くなられた相澤会長のお人柄の良さを書かれていますが、深く共感します。
4月8日の岡田有希子さんの命日に、何度か成城の会長のお宅に焼香させてもらいに行かせてもらいましたが、一ファンを家に上がらせてくださり、お茶まで、ご馳走させてもらえる優しさには感動しました。
雪で転んだエピソードは、ユッコらしいですね。いまだ彼女の事が書かれるのは、嬉しく思います。
イエローキャブの野田さんも堀江しのぶさんが亡くなった際に両親に逆に感謝された事をこの記事を読んで思い出しました。
ちょうど、受験塾に通ってる頃だった。アイドルってこんなに可愛いんだと、初めて思ったよ。曲も ピッタリで、衣装もフワフワして。
良いインタビュー。
岡田有希子が飛び降りたのは、
私が高1の時、高校の入学式の日
でした。まだ仲良くなる前の
クラスメートと、この話をした
ことが思い出されます。
ある意味、この話で、みんなとの
距離が縮まったような…
岡田有希子さん、今でも自殺した事を忘れられません。
この事務所には「破滅型のタレントが多い」って、某アイドルが言ってました。
岡田有希子の死語から、三十年経つがずっと毎年、墓前に墓参りしている、ファンがたくさんいる。ファンにとっては、永遠のアイドルってのが凄い。それにずっとファンってのも凄い。
1984年の夏休み最後の日に、武州・大宮のWe(現在のLUMINE2)屋上にて、岡田有希子さんのミニコンサートをたまたま見たけど、はにかんだ表情の岡田さんの姿をみるなり、まさかアイドル街道をひた走らんというトコで自らの命をピリオドを打つなんて、正直いわせるとあの時まったく考えられなかったです。
当時のことは知らないけどファンが追い込まれたり悲しんで後を追って自殺する問題も深刻だったみたいだけどそれくらい影響力は大きかっただろうね
自殺行為は良くないけど無闇にその人らのことを非難轟々するのは筋違いだし自分も好きな人が死んだら同じ気持ちになるかもしれないけど後悔せずできる限りの事はするべきじゃないかな
トップアイドルの自殺は当時衝撃だったなぁ
当時の新聞で脳みそ飛び散ってる写真が一面に載ってたのが衝撃
相手は誰だったんだろな~
光が強い分
闇も濃いな
この事務所。
あの男の玩具にされた結果だよな
もてあそびやがって
最近のアイドルは若さの使い捨て感があり、自分が選んだとはいえ可哀想だなと思うけど、サンミュージックは家族として所属タレントの人生に寄り添ってる感じがする。
アップフロントからサンミュージックに出向してさんみゅーに携わっている人も多いのでハロヲタの私としても無縁ではない。
岡田有希子さんのことは、本当に惜しい方を亡くなされたと思う。
ただ、少し前に事件の前の年の1985年ごろの雑誌や投稿雑誌を見たら、当時の岡田有希子さんの新曲の評価で「以前の輝きはどうしたんだ?」というような文章が書いてあったので、その頃から兆候はあったのかもしれない。
変な言い方だけど、無事に岡田さんが成仏してくれていることを願ってます。
あの日、投身自殺直後にあの場所を通り掛かり見てしまい凄いショックでした。今でもあの場所を通る度にフラッシュバックします。