ネットの反応

論理的には彼は正しいだろう
彼は効率的で無駄がない
しかしかつての高度成長の時代は無駄の多さで多くの人の食いぶちが保たれ、総中流意識が育まれたアメリカのプレッシャーに負け、規制緩和が叫ばれ大型店舗が出現して街は一変した
無駄を省いて早く、安く、効率的に
その後の日本はご覧の通りである

ひろゆき氏の考えは実に合理的で無駄がない
そして、実に浅はかなのである

要は優先順位の問題だろう。

古文や漢文は面白いし興味深い内容ではあるが、ソフトやアプリが文章まで考えてくれる世の中、実社会でどのくらい使い道があるか。それよりも税金や社会保険の仕組みやお金学、生活する上で最低限必要な法律や行政手続き、株や経営、投資や金融とか社会で生きて行く最低限の知識のほうが優先順位は高いと思うが学校ではほとんど教えられない。

例えば労働基準法は経営者も労働者も知っておくべき法律だが存在さえ知らずにブラック経営者や非正規労働者になってしまっている現状はさすがにマズいと思う。

「形而上学(形を超えてあるもの)」が軽視され、実学、経済効率が追求されたその果ての価値観の世界だなと強く感じるコメントでした。

時代の趨勢を見るにこの30年ぐらいの日本は正にそうした時代だったなあと強く感じます。その行き詰まりもはっきりと可視化されつつあるのですけど。

欧州社会におけるラテン語教養、中国社会における中国哲学が決して等閑視されていない事を鑑みるに、
日本が真に誇り高き伝統を持つ独立国としての歩みを放棄してはいけないという意味において、
ひろゆき氏のこの発言は最大限のアイロニーとして意味があると思います。

日本人は古典籍と漢文の教養を絶対に軽視してはいけないという思いを改めて再認識した次第です。

余談ですが、漢文を日本的伝統のレ点訓読文読みをしたあとで現代中国語発音で韻を踏む事を意識しながら読み直すと新たな発見をする事もあり、その味わいは更に深くなります。

「全く使わない」と言っても…今みんなが使っている文章も漢文や古文がもとになっているわけで。普段意識していないだけで、使っていないわけじゃない。

この方の言うような実用的な勉強の必要性もわかるけど、そればっかりではただ「生きるために生きる」しかできなくなっちゃうのでは…。

ひろゆき氏は、世の中の思い込みを一刀両断のいいアイディアも沢山出すのだけれど、
今回のような、使っていないからいらないじゃない?といった表面的で短絡的、氏の思い込みも入った結論を出すことも多い。どちらにしても、私自身には氏の発言は頭の刺激になっております。

今回は

ですが。

漢文は非常に重要で現代でも、いや現代だからこそ有益な情報の宝庫となっている。
例えば論語の[民は信なくんば立たず」国を強く安定したものにするには何が重要かという問いに対して、孔子は軍備、食糧、信頼の3つを上げるが、最も重要なものは「信頼」だとする。信頼がなければ、いくら軍や食料があっても安定した政治を実践して国民を導くことができないと述べている。

これは豊かになったはずの日本や欧米諸国の内政が意外にも脆弱な基盤の上に立脚しており、逆に中国共産党政権が民主化を拒み、人権を抑圧しているにも関わらず強固な統治をなしている理由を探る上でも参考になる。

日本の雨後の筍のように出版される啓蒙書の類は数年で消えるが、漢文は今後数百年経っても、人類が人工知能に駆逐される日が来ても受け継がれるだろう。

古文や漢文の内容が子どもに響かないからこういう意見が出るんでしょうね。
読解方法を暗記するだけの今の教育なら全く以て不要だと思います。国語教育のあり方を変えるべきと思います。

それを言っちゃうと、三角関数や指数・対数、微分・積分も使わないぞ

理科の知識も使わないし、社会科の地理なんて年々内容が変わってしまう

国語も作者の心情を推理する場面が実生活のどこで登場するのか

英語も過去分詞とかどこで使う場面があるんだって感じだし

将来使うか使わないかで判断したら、9割以上が無駄だよ

それを言うなら、江戸時代の寺子屋みたいに小学生のうちから将来を決めさせ、専門分野に特化した実学を学ばせる方がよっぽど効率的である

無駄なものは、無駄なりの意味があるのです

まぁ一般人には確かに必要ないかもしんないけど。

中高生のときに古文をちゃんと勉強しておけば、特に古文法をちゃんと習得しておけば、江戸時代くらいの文献は普通に読める。
現代文しか勉強していないと、例えば明治初期の文豪の文章でも読み解くのにかなり苦しむでしょう、でも古文を心得ていれば難なく読める。

古文を習得しているかしていないかで、情報収集量にも差が出るんですよね。
日本文学の美しい文章にも触れられます。

文学とか文化とか古文書からの情報収集とかそういったことに全く関係しない人には古文も漢文もどうでも良いのでしょうが、教育で一番重要なことは機会均等性です。
誰でも教育を受ける機会があるようにすること。
勉強して、その上でそれを人生に生かすか生かさないかはあなた次第。

一般人には古文・漢文はいらんだろうと国家が推定して、勉強する機会を絶ってしまうのはいけません。

狭隘な考え方だと思う。
確かに自分が求める情報のみにしか関心がない人には、その程度でいいのかもしれない。だが世の中には古来から、様々な場所で創られたモノが多くあり、その存在に反応し共感し、また新たな発想ができるようになるきっかけとしてその基本を浅くとも広く知ることは、案外重要なことなのではないかと思う。

知識が使う力だとすれば、教養は感じ取る力だ。


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