名作ボクシング漫画『あしたのジョー』が12月15日、週刊少年マガジンでの連載開始から50年を迎えた。世界チャンピオンとの壮絶な死闘の末に「真っ白に燃え尽きた」ジョーは、果たして生きているのか。BuzzFeed Newsは、監察医として2万体以上の死体を検視・解剖し、『死体鑑定医の告白』などの著書もある法医学者の上野正彦さんに「鑑定」を依頼した。【BuzzFeed Japan / 神庭亮介】
真っ白な灰に
物語の終盤、主人公の矢吹丈はパンチ・ドランカーの症状にむしばまれながらもチャンピオンのホセ・メンドーサに挑む。
「燃えたよ‥‥真っ白に‥‥燃え尽きた‥‥真っ白な灰に‥‥‥‥」
15ラウンドに及ぶ激戦を終え、つぶやくジョー。コーナーでぐったりとたたずむ姿は、絶命しているようにも、まだ息があるようにも見える。
漫画史に残る、あまりにも有名なラストシーンだ。
「ジョーを殺すな!」助命嘆願の声も
連載の末期には、色濃い死の気配を察知した読者から、「ジョーが死ぬなんてガマンできない」「ジョーを殺すな!」と「助命嘆願」の声が殺到した。
『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』(講談社)によると、高森朝雄(梶原一騎)の原作で描かれた結末は当初、試合の数日後にパンチ・ドランカーに陥ったジョーが白木葉子邸で日向ぼっこをしているのを、葉子が優しく見つめている――というものだった。
「このままでは、ちょっと幕がおろしにくい」とちばてつやが梶原にかけ合い、冒頭のシーンへと変更したという。
同書では、ちばのこんな言葉が紹介されている。
《少し下を向いて満足そうに微笑んでいるジョーを見て、大人はジョーが燃え尽きて死んでしまったんだと理解し、子供たちは、ジョーはただ目をつむって休んでいるだけで、明日にはまたサンドバッグを叩いて世界タイトルを目指すんだろうな、と考えられるように描いたんです》
一方、梶原の自伝『劇画一代』(小学館)には、「リングに死すの結末となり」とはっきり書かれている。
《いまだにジョーの熱烈な支持層は多く、(略)復活させろとの手紙や電話に悩まされている昨今、この場を借りてお断りしておく。ジョーは燃え尽きたのデス、真っ白に……》
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171215-00010002-bfj-ent
日向ぼっこにするつもりだったと。
作品として終わらせる為に原作者の意向を取り、半々の判断に別れるようあいまいに描いたと。
それを掘り起こす必要があるのかどうか知らないけれど、これはこれで別に悪くない。彼なりの人生をどこかで全うしているんだと読み手のそれぞれに抱かせるものある。
コメ欄の方々がおっしゃるように終わりがあるべきは確かにそう思う。
それでこそ俺も何と言うか伝説であり、むしろ永遠というものが発生するように思う。元々本来はどんな物語も終わりがあったはず。勇気をもって終わることは今後の漫画には求められることだと思う。
果てしなき闇の彼方に、を聴くたびにジョーの姿が浮かびます。
丈も死んで
ベネズエラの戦慄と
世界最強の男は壊れた
それで良いんだけどなぁ
2人の作者の医学知識のなさが招いたラストシーンということになる。
まぁ、最初からエンドが決まってた作品だから、
流れがシッカリしてたってのもあるけどね。
こういうストーリー性が良いんだよ。死んだか生きてるは読者が判断するから面白いわけ。
ノリちゃんとの別れの件で普通の若者の青春と矢吹丈の青春についていろいろ語り合ってるでしょ
人はそこまでヤワじゃないからボクシングでも中々死なないけどボクシングが出来なくなったジョーは死んだんだよ
ただどうせ死ぬ(ボクシングが出来なくなる)なら悔いを残さず死にたいって流れだったと思う
ジョーの中ではその後のシーンなんて天国に旅立った後のシーンに過ぎないから絵にならない
だからラオウや弁慶の立ち往生みたいなシーンでズバッと締めたんでしょ
ところで、タコ八郎もパンチドランカーだったの?
梶原一騎はホセ戦が終わった後に、丹下段平に「試合には負けたけど喧嘩では勝っていた」とジョーに言うって考えていたと聞いたことあるけど
どうなのだろうか?
個人的には生死に触れるのは無粋だと思うが
日向ぼっこをしているのを、葉子が優しく見つめている・・・」
自分はこのラストが一番いい。商業的な犠牲と純粋な勝負の世界。
祭りの後のこのギャップがとても人間的で素晴らしい。
まぁ、いずれにしてもそれ以上語らないところがとてもいいな?。
えっ?
以前違うところで聞いた話じゃ、当初の梶原一騎案のラストは、試合が終わって控室に戻るジョーの背中を叩きながら、丹下段平が「試合にゃ負けたが、ケンカにゃ勝ったな!」というセリフで締めくくられる、ってヤツだったんだけど・・・。
さらにその後日談があるってこと?それともラスト案が複数あったってことなのかな??
ドラマを完結するための手法として作者は、再起不能(生死に関わらず)に陥ったとしてるのではないかな?
ジョーに惚れ込んだファンなら、いつでも心の中でけんか屋の矢吹丈がドヤ街を口笛吹きながら闊歩しているんだから。
いい終わり方が名作になる
ドラゴンボールみたい終わりをセル編までとかに
してたら名作だったのにな それほどいい終わり方は大事
ちばてつやはジョーの死で終わらせたかった
ただ、ジョーの死を予感した読者達による「助命嘆願」が盛り上り、ジョーを死なせたら騒動は避けられないと考えたため、どちらとも解釈できるラストにしたのが真相
だから、ちばてつやにとっては(少なくとも当時は)「ジョーは死んでいた」
後年になってのコメントは蛇足に過ぎない
劇場版でハリマオが空中に浮いたままダブルアッパーを出してるとこだ!あのイリュージョンさえなければ!
最後は読者の想像にまかせるという形の漫画もあるけど、
それはそれで個人の納得の行く妄想で完結させれば良いのでは?
作者もそれを意図?してるんだろうし。
どっちが正しいと馬鹿話する分にはかまわないけど、無駄に争う必要もない。
大事にしないと…