日本一の歓楽街と呼ばれる東京・新宿の歌舞伎町に、中村隼人さんの店はある。カウンターのみで広さは4坪、店の奥から顔を出した隼人さんは、人なつっこい笑顔を見せた。大きな目、ひげを生やしたいかつい風貌は、元日本ハム、巨人で投手として活躍していた当時と変わらないが、マウンドで見せていたギラギラした目つきは陰を潜め柔和なイメージだ。

 

「ここで3年半ですね。2年くらいは休みなしで働きました」。2014年7月22日にオープンした「立喰い焼肉 治郎丸」新宿店の店長を務めている。座席はなく、立ち食いスタイルで肉1枚から食べられる“究極の一人焼き肉”として注目を集め、ネット、テレビで話題を呼び注目を集めた。1か月の最高の売り上げは1670万円。最低でも毎月1000万円以上を売り上げており、4坪の店で年商1億超えをキープし続けている。

 

きっかけは社会人野球時代の交友関係にあった。本田技研(現Honda)でプレーしていた隼人さんは、3年目の2000年の都市対抗に川鉄千葉(現JFE東日本)の補強選手に選ばれた。そこである選手と出会う。成東、専大を経て川鉄千葉に進んだ投手・江波戸千洋さんだった。同級生で高校時代に同じ野球雑誌に掲載された縁もあり、すぐに意気投合した。

 

「自分が補強されたせいで、江波戸は(都市対抗の)メンバーから外れてしまったんです」。それでも隼人さんがプロ入りしてからも交友は続いた。江波戸さんは隼人さんへ夢を語った。「店をやりたいんだよね。プロを終わったら来て欲しい。来れるように大きくしておくから」。隼人さんがプロで活躍している間に、江波戸さんは外食業界で、居酒屋、そば、パスタ、ラーメンなどを次々と展開し業務を拡大していた。

 

江波戸さんが社長を務める越後屋に入社した隼人さんは、「(次は)九州居酒屋をやるような話を聞いていたら、焼肉をやるってことになって。『俺、焼き肉得意じゃん』って、現役時代に色々食べていたし」。中目黒の焼き肉店「まんてん」で3か月修業。地元・長崎の友人を通じて長崎和牛の入手ルートを確保するなど、肉に関する調達などは、隼人さんが切り開いた。現在は直営店3店、FC店8店に広がり、同じような形態の店も増えた。

 

「1枚売りの立ち食い焼き肉」は江波戸社長のアイデアだ。「最初は(客が来なくて)2か月くらい、店の前でボーッとしていた。(行き交う人に)あとで『人形かと思いました』と言われるくらい」。それでも店を訪れた人が投稿したネットの記事で火がつき、テレビ局が取り上げると、店の前に一気に行列が出来、多忙な日々が続いた。

 

巨人から戦力外を受けたのは2005年オフ。その時も江波戸さんの紹介で東京・神田の居酒屋の店長を3か月務めた。その後、誘いを受け06年5月にクラブチーム「千葉熱血MAKING」に選手兼コーチとして球界復帰すると、野球の虫が騒ぎ出した。6月に台湾プロ野球・兄弟に入団したが在籍2週間、わずか2試合の登板で退団。11月に楽天の入団テストを受けるが不合格となり、引退を決断した。

 

引退後は、巨人でチームメートだった元木大介さんに誘われ1年ほどマネジャーを務め、知人の紹介で東京・湯島で「サパークラブ」を経営した。「あまりお酒が好きじゃなかったんですね」。3年更新の店舗で、1回更新し6年間務め、店を閉めた。

 

隼人さんのプロ野球でのデビューは華々しかった。ルーキーイヤーの01年6月2日、オリックス戦(GS神戸=現ほっともっと神戸)でプロ初登板初先発で初完封勝利を挙げた。プロ野球では27人目、新人では13年ぶりの快挙だった。

 

「あのときは人生でももう(これ以上が)ないくらいすごく調子が良かった」。その年はリーグトップの3完封を含む6勝を挙げると、翌年は7勝(11敗)。順風満帆かと思えた野球人生は3年目、大島康徳監督からトレイ・ヒルマン監督に代わると、潮目が変わった。

 

球数を制限するヒルマン流に納得のいく成績を残せない。指揮官に直談判して「先発は100球投げればいいというアメリカの野球には、日本の魂はないんです」と訴えた。この年、1軍ではわずか4試合の登板に終わった。2軍では11勝をマークしイースタン・リーグで優勝したが、気持ちは晴れなかった。

 

活躍の場所を求めてトレードを志願し、04年6月2日に巨人に移籍。くしくも鮮烈デビューを果たした「6・2」に新天地に移った。巨人での初登板では中継ぎで3者連続三振と圧巻のピッチングをみせた。日本ハム時代にも親しんでいた東京ドームだが“景色”が違った。「(観客の)声の大きさも違ったし、スタンドが(いすの)青色じゃなくて(観客で)黒くなっていて、おお、すげえって」。

 

そして注目度も違った。「田舎の知り合いから投げるたびに電話がかかってきて『今日も出ていたね』って。日本ハムでの完封デビューも思い出だけど、巨人に移籍して良かったです」。移籍イヤーは中継ぎで38試合に登板したが、翌年アクシデントが襲った。

 

開幕して数日後、アップ中に腰に激しい痛みを覚えた。「最初、元木さんが乗ってきたのかと思った。でも振り返っても誰もいなくて…」と明るい隼人さんはその瞬間を冗談ぽく語った。サイドステップの最中に痛みが走った。「慣れない中継ぎで疲労の蓄積もあったんですかね

 

。中継ぎの楽しさも感じてたんですが…」。球速は戻っても痛打されることが増え、その年限りで戦力外通告を受けた。その足で長崎の実家へ行った。父親の輝久さんに「終わっていいか?」とたずねると輝久さんは「俺は巨人ファンだったから、もういいよ。ありがとう」と答えたという。「父ちゃんが巨人ファンだったことも知らなかったし、泣きそうになった」。親子として交わしたわずかな会話に、父親のねぎらいを感じ、そして少しは親孝行を出来ていたことを知り安堵(あんど)した。

 

現在はカウンター奥の限られたスペースで、肉を切り提供する。肉の部位や焼き方、適したタレの選択など、事細かに説明する。ぶっきらぼうな物言いにも聞こえるが自然と会話が弾む。会話を求める人とそうではない人を瞬時に見分ける。豪快に見えながらも打者に応じてクレバーなピッチングをみせた現役時代を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がそこにあった。隼人さんの人柄に常連客が増え、店の中には笑いが絶えない。

 

今後の夢を聞いた。「九州へ店を持って行きたい。和食でも焼き肉でもいい。最初は福岡でそして地元・長崎で。そして究極の夢は高校野球の監督をやりたい。島の高校で甲子園に行きたい」。地元・長崎に戻り離島の子供たちと甲子園へ―。遥かなる夢への挑戦はまだまだ続いている。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 

◆中村 隼人(なかむら・はやと)1975年8月22日、長崎・諫早市生まれ。42歳。中学時代は捕手、長崎日大高2年春から投手に転向し、3年春は同校を初の甲子園出場に導いた。センバツ3回戦の鳥取西戦で7回まで無安打に抑え、内野安打1安打で完封するなど8強進出。夏は2回戦敗退。創価大ではエースとして東京新大学リーグで入学から卒業まで8連覇。社会人野球の本田技研(現Honda)に進み、2000年ドラフト4位で日本ハム入団。

 

1年目は初登板初勝利を完封で飾るなどリーグトップの3完封を含む6勝を挙げた。2年目から登録名を「隼人」に変更。04年6月にトレードで巨人に移籍し、「中村隼人」に戻す。中継ぎとして活躍も05年に戦力外通告を受けた。その後、台湾・兄弟でプレーも2試合の登板で退団。現役時代のサイズは183センチ、93キロ。右投右打。NPB通算88試合、15勝18敗、1セーブ、防御率4・32。弟・北斗はサッカーJリーグの長崎に在籍。


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名無しさん
親の立場で見れば兄弟二人とも成功してるんだから自慢だろうな。
プロになれるなんてひと握りなんだから。
名無しさん
飲食店でこの髪でヒゲ面はアカンやろ。
名無しさん
小規模飲食店主です。本当かな?4坪と言う事は、逆算してスタッフも最高で二人、最低月商1000万円だとざっくり日商33万円、客単仮に2000円として165名、3000円として110名。う~んまともに商売して、この店舗規模で捌ける金額ではないと個人的には断言しても良いくらいの水準である。よほどのビジネスモデルを保有しているか、街のマーケット特性か。仮に10分の1だとして飯が食える水準だ。う~ん信じがたいな仮にも同業者としては。。。
名無しさん
商売のコツを元木に教えてあげてください。
Fightingpose
挑戦して努力する才能を持ったのがプロ野球選手になれる最低条件みたいなものだし
そこで活躍出来るような人はこういうシンプルな事やらせても大成する良い例だね。
ゼロから真面目に努力して妥協もしないし隼人くらいなら知ってる人も多い。そりゃあ成功するわな
名無しさん
行ってみよかな、
ランチやっての?
焼肉食いてぇー。
名無しさん
北斗の兄貴ですよね。
名無しさん
うーん。。異業種での成功はすごいのかもしれないけど、この写真清潔感がなさすぎて。。
行きたいとは思わない。。
名無しさん
この記事呼んで半数くらいは1億稼いでるんだって勘違いしてるだろうな。
ekikike
>最初、元木さんが乗ってきたのかと思った

普段からそういう事ばっかりしてたって事やね。
清原も似たようなイメージがあるけど。

名無しさん
いいね!?
名無しさん
歌舞伎町だと坪5万くらいですかね?
経費差し引いても月1000万なら相当残るでしょうね
名無しさん
よくTVで戦力外通告をされた選手
とかやってるのを観ると、この
ように引退後でも稼げてる人は僅か
だと思うし、幸運だなと思う。


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名無しさん
オーナーではなくて雇われ店長?
それなら二年間休みなして、典型的な飲食業のブラック企業に就職だよ
名無しさん
4坪で1億円ですか。。
店が大きくても人件費や維持費がかかるし、
都内でこれだけ売り上げがあればプロ野球選手より
先の見通しもいいし、息も長いでしょう。
巨人は条辺選手のうどん店も成功してるし、
頑張ってほしいですね
名無しさん
年商だろ。飲食は利益率が1割超えるとボッタクリと言われるから一人でやってても年収1千切るんじゃ無いか?きついし。
名無しさん
元木のおかげだなぁ
名無しさん
日ハムが最初やのに、どうしても「元巨人」の肩書きにしてしまうんやな。
名無しさん
店長てのは、オーナーではないのだろうが、それを成功というのか。
地道に暮らしているでよいかと。
名無しさん
はじめから知り合いのつくったレールに乗せてもらって、テレビのバックアップ。そりゃ成功するでしょう。うらやましい。
U-kes11
いや、結構ギラギラしとる。
名無しさん
食べ物屋なら髪の毛切って髭を剃ってほしい。
名無しさん
なんと言っても巨人のピッチャーだったのなら、コーチ等ありそうですが、今が自分らしくいられるなら一番良いお仕事ですね。焼肉はずっと人気あると思う。商売繁盛。じっと表で立っていたらお人形に見えるのわかる、写真見て思いました。
名無しさん
ほぼ一貫して巨人ファンですが、中村さん?知らないなぁ。でも、頑張ってください。
名無しさん
中村北斗のお兄さん!?
そこに一番驚いた。
名無しさん
中村さんの想いや気持ちが伝わるいいニュースでした。特に引退を父に話した時に、息子に対しての労いと感謝の気持ちにグッときました。タイトルだけみると、成功者のように感じますが、そこに行き着くまでのプロセスに大変な努力と苦労があったと感じました。
名無しさん
兄貴がプロ野球選手で弟がJリーガーって凄すぎるな
名無しさん
飲食業で成功しているのは凄いんだけど、清潔感がなあ…
粗探しはしたくないけど、調理場に立つ人は髭は生やしてほしくないです。
名無しさん
全て否定する訳ではないが、年商1億円あっても、利益や本人の収入が多いとは限らない。
名無しさん
内容は良いんだが、時系列がバラバラでとても読みにくかった
名無しさん
年商はあてにならんって
利益はいくらなのよ
名無しさん
現役時代にエースまで張ってたのに引退後に経済的に落ちぶれて自殺した人までいる
この人は人脈を大事にしてたから今の成功があるんだろうね
DAX
人それぞれ、現役引退後も
その人の命が喜べば、それでよい。
名無しさん
戦力外を通告されても、根性がある奴は這い上がる、よくやった!
名無しさん
なんかエラい見た目が変わったな。
名無しさん
この人が頑張ったことによる成果であるけれども、人との縁を大切にした結果でもあると思う。
人との縁は大切だなと思った。
街の評論家
巨人と言う球団が如何に適当な球団か人を見れば判る様な気がするね。成功は材なり!財では無い。
名無しさん
あいつどうしてるのかなぁ?
キヨにアイスあげたやつ
名無しさん
狭い店内 いいね
ただ広いだけが言い分けじゃあない
家賃だって馬鹿にならない 人件費も
平成の怪物と言われた松坂も考えろよ
もう平成は終わるよ
名無しさん
最後まできっちり読めた良記事。
私らも新たな挑戦を続けなきゃいけないと思う。

 


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