元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂(53)が31日放送のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜前8・00)に生出演。川崎市多摩区でスクールバスを待っていた私立カリタス小の児童ら19人が殺傷された事件の容疑者をめぐり、「死にたいなら一人で死ぬべき」という意見が出ていることに言及した。
事件当日の28日に落語家の立川志らく(55)がコメンテーターを務めるTBSの情報番組「ひるおび!」(月~金曜前10・25)で、犯人に対して「死にたいなら1人で死んでくれよって。本当にそういう人は」などと発言。
この発言が批判されると、ツイッターで「何故悪魔の立場になって考えないといけないんだ?」と反論した。
一方、NPOほっとプラス代表理事で聖学院大学人間福祉学部客員准教授の藤田孝典氏が「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」という記事を29日にインターネットに投稿するなどネット上で賛否が議論されている。
一茂は「立川志らく師匠は番組でお会いすることあるし、生放送で限られた時間で端的に言うなら僕も気持ちは同じですよ」と話した上で、
「自己責任とか幸せになれるように努力しろとかっていう(声が出る)のは分かるんだけれども、今回の事件は犯人がなんで犯人になったかっていうような、例えば孤立しているとか経済的にはどうだったのかとか、
精神的苦痛を受けているんだったら健康面はどうなのかっていう話と、今後こういうことが起きないようにしないといけないっていう防ぐ話と分析、この3つをぐちゃぐちゃにやったらよくない」と持論を展開。
そして「強いメッセージを発信していくべきメディアはぐちゃぐちゃになっちゃって視聴者と一緒になっちゃう。それはよくないなって思う。僕らが感情的になって“こいつはだめ”って…、今誰かが見てて犯罪者予備軍でそこに連鎖していく可能性があるんで、すごく怖い事件ですからしっかり(分析を)やりたいと思う」と主張していた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190531-00000114-spnannex-ent
ネットの反応
でも、予兆と言うか、おかしな言動は事件前にあったという。せめて、無理だ不可能だではなく、その時点でのアプローチを徹底できる仕組みを考えたりしていかなければならないと思う。
事情は複雑ですし全てを両親や叔父のせいなんて出来ない。
地域住民も幼い頃に厄介者のレッテル貼って放置してきた積み重ねの側面もある。
何か藤田氏とやらが寄稿したとたん、まるで右に倣え(この場合は左に倣えか?)が如く同じような主張している人ばかりで逆に気持ち悪い。
あの記事は当日の昼の間にネットに出てて、日本中が痛ましい思いでいっぱいになっている中事件の詳細も犯人の背景も分からない内からだったので「何を言っているんだ?」と言うのが本音でした。
まぁよく言えばかなり理性的なご意見のようだし基本的には正論。
ただね。
空気としてはこっちの意見は正論なんだから、「一人で死ねば」なんて言葉を使って犯罪者やそれに近い人を追い詰めるのは良くないって押し付けた論調が気に入らない。
そもそも犯人のような人を追い詰める空気そのものが正論と言うものだったんじゃないかと思うし、左側の人はよく多様性を認めろと言うのに「そう言う言葉は使うな」と言論弾圧しようとするダブルスタンダードに矛盾を感じる。
いろんな意見がある事は、普通のことでしょう。
一茂さんの意見を少し掘り下げるとすれば、時系列の考えも必要と言う事でしょう。
悲惨な生い立ちに見るその環境は、到底普通の方が想像出来る範囲では無いでしょう。
私も、以前生い立ちから怒りを持ったときも有ります。
昭和40年前後ですが、小学1年の時に母が他界、父はその後他の女性のところにいりびたり。
父方の祖母が面倒見てくれては居たものの週2000円での生活。
その後後妻となったおばさんから連れ子兄妹との差別。
文字数があるので、これで終わりますが、ちょつとだけ優しさを持っても良いのではと思います。
自分ひとりで死ぬのがいやなら死ななければいいことですー周りの人に迷惑をかけないのが日本人の道徳でありーこの様な犯罪者は精神的に追い詰められており家族は責任を持って対応するのが家族の勤めだと思うー家族の対応としては精神科の病院に隔離することがこの家族としてできることですー一人で死ねばを否定するなら当然その結果起きることにも責任をとることが大事だと思う
公共の電波で好き勝手言える立場の人は特にね。あと言った後で自分の認識と違う情報、事実が出て来たときは訂正する事。無理やり自分の意見に持っていこうとしてりスルーするな。
被害者のご遺族も感情的になってはいけないということですか?
要は「第三者がが死ねだのなんだの感情的になるな」ってことね。
事件発生直後の何の情報も無い時点では確かに、「死ぬなら一人で死ねよ」って思う部分もあったけど、この犯人の生い立ち、、幼くして両親に棄てられ、ずっと伯父伯母家族に養われ、PCも携帯も無く、51まで自立せず、友人も仲間もおらず、、ていうのが分かってくると、とてもそれは言えない気分になった。
どいつもこいつもお行儀いいねえ。はて、それがお前に出来るのかと言えば出来ないだろうよ。ヘドが出るほど優等生増産中。まあ自分が修羅場の只中に置かれたら優等生じゃ生き残れない事を知るだろうよ。
この岩崎は結果的に自殺しただけ、ただの殺人鬼。
感情的になる必要も追い詰める必要もないでしょう。
要は支援するのか排除するのかで、基本的には犯罪者予備軍や犯罪者を守る必要は感じてないです、境遇とか環境とか生き方など、ひとそれぞれ違うし苦しくてもしっかり生きてる人が多数だと思ってます。
被害に遭われてご存命の方、そのご家族、そして大切なご家族を亡くされたそのご遺族は感情的なお気持ちを持たれるが当たり前です。その方たちに第三者的な冷静さを求める事はあってはなりません。
どうしてもこういう事件・事故が起きるたびに(私を含め)我々は犯人を叩く事のみに集中してしまいがちですが、やはり第三者的に冷静になって今後こういう犯罪を少しでも減らしていける社会作りを考えていくのも大事であると思います。
どちらが正しいではなくて、どちらも正しく、どちらも欠けてはいけないのだと思います。
自己責任論は勿論当然です。しかし順調に頑張れている時は良いのですが、人は誰でも社会の歯車から外れ、弱い立場になり、孤立しうるのです。そして一度そうなると中々這い上がれない状況が現在の日本であると思います。
弱者にも光が当てられ、手が差し伸べられる社会を作る事が出来たらいいなと思います。
すごくまともな意見かと。
犯罪者個人に対しては、志らくさんの言うような批判が出てきて当然。
被害者の感情に寄り添って報道するということも、大事な視点ではあると思う。
どちらか一方に寄った発言をしただけで議論を締めくくってしまうと、ごちゃごちゃになったまま賛否の議論という0か1かの話になてしまう。
自分の周りにこういった被害があれば絶対に1人で死ねよって思うのが普通ですよね。
コメンテーターという人たちが、全員同じ感情で発言するなら何人もいらないよ。みんな違うことを言うから何人も出演させる意味がある。人を傷つけるような発言は別にして、冷めた意見、熱い意見、それぞれあっていいです。一つの方向しか認めないような空気こそ危険。
一茂は親の七光りが強く、親を超えてもいない。
そして野球以外の分野で成功も納めておらず、
尊敬に値しない。
テレビで見かけると具合が悪くなる。
「一人で死ね」の裏にある部分を削らずに言うと、
「無関係な、まして無垢な子供を巻き添えに、最終的に“死ぬ”という
完結に至るくらいなら、そんなに意味のない事をせずに一人で死ね」
ということでしょう。
つまり、現在何かで思い悩み苦しんでいる人に「苦しんでないで(事を起こす前に)死んじまえ」などと
言っている訳ではない。
そこをごっちゃにしてるのはむしろ「控えて」に賛の人であり、
「追い詰める事になる」という言葉そのものがむしろ追い詰める事になりはしないかと思う(-“”-;)
いやいやいやいや
なんの罪のない人を殺して自分が死ぬなら、マジで1人で死んでほしい、というか1人で死ぬべき。
幼い時に受けた虐待が犯人を生み出したのかもしれないは理解できます。
しかしその事と被害者とは何も関わりがない事です。
角度が違えば見え方が違うのは当然。
今後犯罪を犯す可能性がある人に対しての対策と、実際にもう起きてしまった事件に対して思うことは別物。
大体の人は、そんなこと分かってる。
一茂さんや玉川さんの意見は、確かにそうだと理解できました。
また、コメンテーターは圧倒的な影響力があるので立場を考える必要がある事も理解しました。
でも、犯罪予備軍は「社会から手を差しのべるよ。あなたは一人じゃないよ」という言葉を、どれくらい受け入れてくれるのか。
また「死にたいなら一人で死ね」という言葉を、どう受けるのかはそれぞれだと思うし、何が正解なのかとても難しいなと感じます。
社会が擦れてしまうのは薄っぺらくなってしまうのは、マスコミのせいでもあると思う。
冷静に考えてみてください。「産みださないようにするには」とは人間の傲慢すぎる思考から出てくるものです。不良品は必ずでる。犯罪の一切が生まれない社会は、集団生活が基本となってる人間には不可能です。
それを目指すなら犯罪を犯す前に逮捕するしかありません。つまり潜在犯として収監するのです死ぬまで。犯罪者となりうるかの判断は人間にはできません。もちろんAI等にも無理です。最も信用が高いのは、極端に大きな犯罪を犯した人間数百人が、精神的に自分と同列に思う人間を数値化してはじきだすことです。
そう、アニメ:PSYCHO-PASSは名作中の名作です。是非、ご覧下さい。
身内をこんなことで亡くした感情は考慮しないのか?自分の家族が巻き込まれていたなら、本当に心の底から同じことが言えるのか?
長嶋一茂が殺された児童の親の立場になっても、(感情的にならないで)そんなことが言えるかどうかが一番問題だね。長嶋一茂は、人ごとだと思って、児童の親や外交官の家族の気持が全く理解できないようだ。
自分の子供が殺されても、そんなことが言える人が本当にいますかね。
ただでさえ、自分の感情をコントロールできないひどいクレーマーや、あおり運転する人間がいるっていうのに、こんなことされたらまず無理なんじゃないでしょうか。
自殺志願者が子供を含む他人を道連れにしたら「死ぬなら一人で死んでくれ」は至極普通の感情だと思う。一人で死んだら他の犠牲者は出なかったわけだから。
ただこの流れに乗って「死ぬなら一人で死んでくれ」と発言した人を叩く奴らは本当に頭が悪いと思う。それこそ感情的だし本末転倒。
別に一人一人の意見言って当たり前、感情出して当たり前、こんな事件感情出さないコメンテーターの方がおかしいと思う、なん度でもいいたい、一人で死んでくれ、巻き込むな、
いくら境遇に同情できるとしても、無関係な人を巻き込んでいけない。
あと抵抗できない子どもを不意打ちして卑怯極まりない。
一人で死ねと言われても仕方ない。
偉大な父親の名前を登録商標したばかりか、選手時代の想い出の品々を勝手に売却し、三奈さんを泣かせた男。
一茂君、君が何を語ろうが、全く心に響かないよ。