ネットの反応

今年の紅白は「エール」での古関裕而さんに始まり鬼籍に入られた作詞作曲家の方々の歌が多く流れしみじみ聴き入ることになりそう。

それにしても昭和平成で活躍された方が相次いでという思いが強いですね。

心よりお悔やみ申し上げます。

私は、なかにし礼さんの評論活動に多くを学ばせて頂きました。
平和への想いが、青少年にも伝わる事を願われていた事に強く感銘を受け、その点を私の支えの一つにしてきました。

また、癌との闘いの最中の創作活動への情熱とその成果には、全人生をかけた世の中への呼び掛けでした。芸術性をベースにしたそれは、哲人の趣さえ漂うものです。謂われている〈生きる力〉の輝ける典型でした。
悲しみを胸にしまい、私は前に進む。

作詞家、作曲家の分業が当たり前だった昭和の時代の巨星たちが
駆け足で逝ってしまいますね。今ではシンガーソングライターなる者が主流となってしまいました。
ただ、それも技術革新の末にいずれ人に心地良い歌詞、曲をAIが作りだし

安直になる時代がくるのでしょうかね?
その意味では人の心、機微を表現を重視する時代の人達でしたね。

TOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」は大好きな歌なのですが、作詞なかにし礼氏、作曲が筒美京平氏でしたね。
この歌に勇気づけられました。お二人が亡くなってしまって、とても悲しいです。

TOKIOが紅白に出てたら、今年はこの曲を歌ってたかもしれないですよね。残念です。
生でいつか聴ける日が来るでしょうか。

私にとって残念。それよりも、小学校一年生で終戦を迎えた幼少時代の戦争体験者がまた一人いなくなったように感じる。旧満州国に生まれ、幼少時代に戦争の理不尽さ、戦争で友人が殺された現実などを語ってくれました。

高校時代日本史世界史を勉強している時、著作「赤い月」は悲しくて泣きましたが、同時に二度と戦争はしてはいけないとも思いました。心からご冥福をお祈りします。

私の母校の校歌も作詞されていて、とても力強い歌詞でした。

当時は気にしてませんでしたが、卒業してからなんでこんな大ヒットメーカーがうちの学校の作詞をされているんだろうと気になってはいました。
素晴らしい歌をありがとうございます。

一つの時代文化を作った世代の次々の死去
最近は1970.80年代の歌謡曲やロックジャズが頻繁に流れている
それだけ今のは重みがないというか
薄っぺらで味のないものが多いってことな
んかな?まあ当時は今のようにネットもなく趣向も
四方八方に張り巡らされていなかったので

目や耳に触れる機会が多かった一面もあったろうから、比較は難しいんだけれども
あとは世代間ギャップもあるかな

若い頃 北原ミレイさんの【石狩挽歌】に
衝撃を受け どうしても生で聴きたくて
父親に頼み 北原ミレイさんのショーが有るキャバレーに連れて行ってもらったことがあります情景が目に浮かぶ歌詞と北原ミレイさんの素晴らしい歌声、そして親切なキャバレーの皆さん。 本当に行ってよかった。
いい思い出です

なかにし礼さんのご冥福をお祈りします

昔の作詞家や作曲家はピアノでメロディ作り上げるとことが9割、今はパソコンの打ち込みリズムからメロディを作り上げていくのが8割、
そこが大きな日本のメロディに関わる分岐点洋楽のR&Bやダンスから流れがきてリズムから作るようになった
だから起承転結があまなく平坦なリズムでメロディを上げ下げするだけ

たとえば米津やジャニーズや乃木坂の曲やmizuUの曲など
若者には共感もてるメロディだが中高年や高齢者には親近感持てない

結果、紅白で聴いててもみんな同じ曲に聞こえるのが中高年から高齢者の意見
子どもから高齢者まで覚えやすいメロディこそが日の心の歌である
クリエイターの作るパソコンやAIなどの楽曲ほど昭和の作家の人々の才能と魅力には到底勝てない

細川たかしさんの歌う「北酒場」を共に制作した中村泰士さんの後を追うかのようになかにしさんまでもが・・・。
なかにしさんは癌になったものの特殊な治療で克服したと聞いていたので残念だ。
ご冥福をお祈りします。


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