ネットの反応

1
当時夢中になったが、今から思えば、(理屈で考えると、)夢中になった理由がわからない。おそらく、とりい先生は、感性で子供に響くものを描いていて、そのため、(特に“これ”というものがなくても)子供の深層心理に訴える内容だったのだろう。

メタクソ団とか、表面上、子供が憧れるような特性は何もないのに、みんなこぞってメタクソ団を結成していたのは、メタクソ団の、理屈抜きの、超法規的(?)とも言える、むき出しの関係性(原初的、動物的関係性?)に魅了されたからではないかと思う。

メタクソ団に、ある意味、現実の出来事以上に子供時代の懐かしさを感じるのは、そのためでは。

先生がその後ヒット作を出せなかったのも、それが頭で作ったものではなく、当時の先生が持っていた天才的感性の産物だったからではないかと思う。

先生の作品によって、理屈を越えた、精神の深みへの感性を開眼させられたと感じる。

ご冥福を。

2
ご冥福をお祈りします。心に残る1場面は、ある子どもの心臓手術のお金を内緒にしてくれという条件でダラビチ博士が出して救った場面。トイレット博士はその子に「誰が助けてくれた?」と聞かれ、「神様」と答えた。

ちょうどその時、窓からダラビチ博士が走る姿が描かれ、トイレット博士は「あ、神様が走っている。」といった場面です。50年も前に読んだものなので確かな記憶は無く若干異なるかもしれませんが「神様が走っている」は素晴らしい表現だと記憶しています。単なるコント漫画ではないのです。

2 – 1
別タイトルの一話読みきりの作品が、すごく印象に残ってます。
癌の父親と息子の交流の話で、体が辛いのを我慢しながら、焼きそばを息子と作る話でした。父親は亡くなってしまうのですが、やがて息子が大人になって家庭をもって、同じように自分の息子と昔を思い出しながら焼きそばを作る話でした。
読み切りなので単行本になってないかもですが、何故かすごく印象に残っています。
2 – 2
ダラビチ博士にそんなエピソードがあったのか…戦争のエピソードでいうと、満州から引き揚げ途中の日本兵と民衆がソ連の攻撃に遭い、数人の兵士と子供を残して全滅、生き残った子供は親の死も理解できない幼な子という話があった。

たまたま手に入った柿を美味しく食べ、残った種を植えて実がなることを夢見るが、そんなに早くは育たない。肥料をやれば早く育つと聞いたので兵隊たちがクソをするが、ろくに食べてないので全然出ない。

そうこうするうちまたソ連軍が攻めてきて、とうとう年配の兵士と幼児の2人だけになってしまう。

月日が経って現代。大きく成長した柿の木に中国の子供たちが登って無邪気に遊んでいるが、この木にそんな過去があったことは誰も知らない…というナレーションで締めくくられている。

このほか南方戦線で味方だかたまたま一緒になった敵兵がマラリアにかかる話もあったはず。

2 – 3
『トイレット博士』は心温まるお話しがたくさんある昭和のギャグ漫画で私も大好きなんでです!私が好きなお話しはお父さんの職場見学のお話で、子供の頃私もちょっと苦手だった身近な父がとても尊敬出来て素敵に見えました。また全巻読み直したいな。 LINEスタンプも持ってますヨ。

数年前に原宿の小さなギャラリーで『トイレット博士展』があり主催者の方とお話しした際聞いたのがイベントを開催するに当たり、とりいかずよし先生から快よく了承頂き驚いた。と聞きました。とりい先生大好きです。ありがとうございました。マタンキ!!

2 – 4
トイレット博士懐かしいです。後半はマタンキ団がメインでタイトルのトイレット博士はまったく登場せず、途中から読み出した弟はトイレット博士って誰?と。

大人になってからセールスマンの熾烈な競争を描いた「トップは俺だ!」に熱中、途中まで作者がとりい先生と気がつかず。ご冥福お祈りします。

2 – 5
1973年の新春の頃、大阪の松坂屋で集英社主催の漫画祭りがあり、とりいかずよし先生にサインをいただきました。横にはマーガレットの里中真智子先生がサインされていました。

あれから50年近く経ったんですね。当時、小6だった自分は61です。あの時、とりい先生は25才程度だったんですね。ご冥福お祈りします。

2 – 6
ダラビチは診療所を建てる事を夢見て「クソを見て全てがわかる!」と診療する毎日。
ある日子供が父親を見てくれと。父親はガン。自覚はあるが怖くて医者に行けない。

見かねた子供が「元気になって自分を遠足に連れていって欲しい」と懇願、父親はついに診察を受ける。

が、ガンを治療する技術はダラビチには無い。金を取るだけ取って見捨てるつもりだったが、子供が神社にお祈りをする健気さに打たれてトイレット博士に直談判。「しかしガンの手術には金がかかるでな」と返され、「この金を使え!」「こんな金どこから⁇まさか…」「クソを見て貯めたキレイな金ダラ」みたいな感じで。

そこで言っておられるシーンにたどり着く。「手術代は誰が」「神様ですよ」「そっか、きっと僕がお祈りしていた神様だ」「その神様がほら、あそこを走っているよ」「ああっ!」「約束だもんな、ワシは名前は言わなかったぞ」と涙を浮かべる博士。自分の記憶はこんなのです。

2 – 7
連載を読んでいた当時の世代で、実家に単行本も何冊か持ってます。タイトルのとおり基本お下品な作品ですが、とりい先生はホロリ系のお話も得意でしたよね。>十蔵焼そば
レシピも載ってましたね。作ってみた記憶があります。

ご存命なら80歳はとうに過ぎているだろうと思ってましたが、まだ70代だったとは驚きです。ご冥福をお祈りいたします。

2 – 8
「うわさの天海」はコミックスもってました。

縁もゆかりもない貧乏人の為に主人公があくせく働いて、裕福にさせるのですが、働くのが馬鹿馬鹿しくなって、そのまま騙して働かせてるうちに、主人公の狂気に満ちた働きぶりに恐れをなすという話があったと思います。

ギャグの割に示唆にとんだ話が多かったと思います。

2 – 9
兄弟がトイレット博士にハマり読んでいた世代です。
私も拝借して読んでみたら下品すぎて無理でした、、笑
なのに半世紀経ってもずーっと忘れられなくて折に触れ思い出すと温かい気持ちになるから不思議です。
2 – 10
博士というだけあって意外や意外真面目な痔の知識なんか出していたりもしてましたね。仲間同士の友情も篤く描かれていましたし。尻に花火をぶち込んだりひどい場面はありましたがそこまで悪い印象はありません。
3
30年くらい前に「いきなり最終回」という最終回だけを集めた雑誌に「トイレット博士」が収録されてました。その中にとりいかずよし先生にインタビューの記事がありました。

この時すでに引退されていて、復帰はないのか?の問に「私のような年齢の漫画が今の若者にウケるようではダメなんです。」とありました。自分に厳しい方だったのでしょう。マタンキの合言葉が懐かしです。ご冥福をお祈りします。

3 – 1
マタンキ!懐かしいです(*^^*)
逆から読んだら、、、アカンねん(笑)
4
トイレット博士のリアル世代ではないのですが、小学生の頃、古本屋でたまたま読んで衝撃を受け、それから数年掛けて全巻集めました。今でも手放せず持ってます。

まだインターネットなんてな時代だったから古本屋巡りだけが頼りだった。その他にも「うわさの天海」や「せんせい」「くたばれ父ちゃん」など影響受けたな。楽しい漫画をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

4 – 1
列車トイレの汚物タンクが無く、線路に垂れ流しだった、「黄害」のエピソードが有り、そういえば列車トイレの便器から、線路の敷石が見えてた事、思い出しました。保線作業員さん、近隣住民さんの苦労を教えてくれた、とりい先生、有り難うございました。

マタンキ

4 – 2
当時、ジャンプではど根性ガエルとこれが。
ど根性ガエルの方はアニメ化されたけど、さすがにこれは無理だろうなと小学生ながらに感じたw
マタンキもそうだけど、七年ごろし、とかあったよね。
4 – 3
七年ごろしは流行って困りましたね(笑)
漫画に影響を受けバイブルになるものは多かったですね。
未だにメタクソバッジは欲しいです・・・♪
4 – 4
子供ながらに衝撃的な作品でした。マタンキ!

ご冥福をお祈りします

5
トイレット博士で記憶に残っているは、やはり毎年夏に掲載される終戦記念日の話。弟の黒い便がでたら・・・という話や、校長先生が戦場でアメリカ兵と仲良くなる話(これは個人的には作品中1,2を争うエピソード)など、子供心にいつも考えさせられる話でした。


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