皮膚科医でタレントとしても活動する友利新(39)がブログで、出生前検査を受けたことを公表した。有名人が公表することは珍しく、テレビでもおなじみの産婦人科医・宋美玄さんが19日のブログで「有名人の方は出生前検査を受けても公表されることはほとんどありません。批判を恐れてのことと思います」と友利の“告白”について触れ、「有名人が正直に発信していってくれるとそれを機に考えるきっかけを持つ人も増えるのでは」と記すなど、反響が広がっている。
友利は2013年11月に一般男性と結婚。14年7月に第1子男児を、16年8月8日に第2子女児を出産。今月15日のブログでは、第2子妊娠中にエコーと血液検査で診断する「FMFコンバインドプラスという出生前検査をしました」と明かした。
出生前検査がメインテーマとなった15日放送のTBS系ドラマ「コウノドリ」を見たという友利。出生前検査には、比較的どの病院でも受けられるものの精度が低い「クアトロ検査」、母体の血液だけで高い精度のスクリーニングができる「NIPT」などがあり、自身が通っていた産科では35歳以上の妊婦で、夫婦で遺伝カウンセリングを受ければNIPTを受ける事ができたことを説明。「2人目である娘を妊娠した時 私は出生前検査をしたいと考え、主人に相談しました」と伝えた。
疾患などが分かった際について、夫婦間でしっかり話し合ってはいたものの、「やはり迷いがなかったと言えば嘘になります」と吐露。以前、番組で検査を明かした際に「結局は選別する為の検査」と言われたことから、「もしかしたら私はとてつもなくひどい事をしてしまったのでは?」という気持ちになり、それ以来、検査を公表することが「怖くなっていました」とも打ち明けた。
しかし、ドラマの中にあった「検査をした人 しなかった人 産む決断をした人 産まない決断をした人 どの人の選択も間違えていない」との言葉に「少し心が軽くなったきがしました」と告白。「妊娠出産は奇跡 だけど綺麗事だけではなく そのあとに続く現実も、しっかり見ていかなくてはいけないですよね」と心に刻むようにつづっている。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171219-00000084-dal-ent
義兄と義兄の両親には金の無駄と言われ、姉はもしダウン症でも産みたいと言いました。
母が、ダウン症でも受け入れる気持ちがあるならなおさら診断受けて準備をしなさいと言い、父が診断にかかる費用を渡していました。
産む産まないはともかく、出生前診断は受けた方がいいと思う。
でも私は検査が悪いことだと思えない。
安心や覚悟が欲しいだけだと思うし。
こればかりは綺麗事だけでは済まされないよね。命の関わることだし。
先天性の骨形成不全が見つかりました。
立っているのが奇跡なんだそうです。
これが出生前検査だったらと思うと、
生まれる前に「骨の異常で立たない可能性」と
言われていたら、母はどうしただろう。
きっと産んでくれただろうけど…
考えてしまいます。
子供に病気や障害があっても結果産むにしても、その検査受けること自体がそもそも
「障害あったらどうしよう、病気があったらどうしよう」
と少しは悩んでるように見えるし、また
「障害(病気)あったらおろすことも含めて検討」
出産前に殺すには罪にとわれない
同じ命なのに矛盾していると強く思う
受けたことを非難されるのはちょっとわからない
検査をしてもし何もなかったら、ひどいことをした…と振り替えることもあるかも知れないということで、元々検査をすること自体ひどいことだと思っていて実際検査もしない人とは別。
傷付く人もいる訳で…
簡単に決めれることではない、生命の問題だから、公開するものでもないと思うけどね。
綺麗事ではありませんずーと育ってて行くのは母親ですから。親が先に死ぬし今は上の子の将来が心配でなりません。
命の選別など正しい答えがないと思います。
私は検査しても良いと思ってます
アメリカでは妊娠中の、日本より少ない定期検診の一環で行なっています。
出産後、成長が遅く、障害がある可能性が高いと言われたものの、血液検査を保険会社が認めてくれず、日本に一時帰りました。その二ヶ月後に重度の障害の診断が付きました。
私は妊娠中に検査を受けても妊娠を止める気はありませんでした。診断が付きショックでしたが、今思えば引っ掛かった事で心の準備が少し出来た気はします。
十人十色なので人それぞれですが、出生前検査が必ず悪いとは思いません。この記事がきっかけでその先入観が無くなれば良いと思います。
それに将来その子がこの事を知ったら、もし自分に異常が見つかっていたら殺されていたのか、と思うかも。やっぱり有名人は黙ってたほうが良いよ。
とやかく言う人は変わりに責任持てるのかな。
とやかく言う人は変わりに責任持てるのかな。
「正直に」ってどういう意味だ?
どんな選択をするかは個人の自由なはずなのに、この表現だと発信することがあたかも正しいことであって、そうしないことは正しくないことのようだ。
もし本当にそう思っているならとんでもない医者だと思うし、表現を誤ったのだとしてもとんでもなくデリカシーのないことだと思う。
死んだ後は他人や社会に任せて後はバイバイもひどいでしょ
だけど、基本的には、受け入れるつもり。
妊娠してから病気の有無を調べてましてや出産を悩むのは命を甘く見てるとしか思わない。
経済的な問題や自分をとりまく環境など現実的に考えて、自分には難しいと判断する人も居るだろう。産んだ後に「こんなはずじゃなかった」とか言って育児放棄されるよりよっぽどマシだと思う。
どんな我が子でも産み育てるつもりがあるなら絶対受けた方がいいと思う。
覚悟がない人はそもそも子作りをしてはいけない。
生まれれば親は障害あっても愛せるだろうけど、きれい事だけでは済まないだろうし。
スタンダード。
ただ、公にする事自体が、その他多数の不妊治療で悩んでいる人たちにとってはツライかも…。
なんだかんだ言って、所詮悩んでても出来たんでしょ?という境遇と、まだ出来ない、の人との間には、相当な溝があるから…。
公表する事って意味ある?
鬱病になる子もいるし、引きこもりになる子もいる。学習障害を持つ子もいる。
わたしは、この検査、全く必要を感じないんだよね。
そもそも、子供を選ぶことは、子供が親を選べないのと同じように、不可能でしょう。
苦労が怖いなら産まなきゃいい。